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一章(一)リーファンの王

 邪竜オルブライト討伐の知らせはまたたく間にリーファン王国中に広まった。

 生贄として捧げられた第三王女クレアも無事に帰還。王侯貴族をはじめとする国民達は救国の英雄を、諸手を挙げて歓迎した。招かれた王城ではささやかながらも宴席を設け、ジキルは報酬として大袋二つ分の金貨を手渡された。

 そして今、ジキルは国王の執務室に呼ばれていた。数刻前の宴会の最中、侍従長に耳打ちされたからだ。貴殿を見込んで内密にお願いしたいことがある、と。勝手に見込まれても困るだけなのだが、相手は一国の王だ。むげに断ればそれこそ困ったことになる。

 執務室は意外に質素な作りだった。真正面に構える大きな執務机。窓を除く四方を囲む本棚。中央には背の低いテーブルとソファー。どれも豪奢な造りではあったが、必要最低限の調度品しかなかった。

 来客用のソファーに腰掛け、出された茶をいただく。どうにも落ち着かなかった。金糸の刺繍が施された礼服はジキルの体格に合わせて作ったもののはずなのに肩が凝る。

 ジキルは肩に手を置いて腕を回した。バッサリと切った金髪は後ろの一部分だけを伸ばして編んでいる。尻尾髪が首を振る動作に合わせて揺れた。

 ひとしきり身体を動かすと、髪と同色の目を細めて並ぶ蔵書を眺める。内容こそ違えど古い書物は固有の匂いがする。本棚に囲まれた空間は母の部屋を思い出させた。ジキルは本から目を逸らした。懐かしい思い出はしかし、胸に痛みをも蘇らせる。

 執務室の扉が開かれたのは、ジキルが座って残りの紅茶をいただこうとカップに手を伸ばした時だった。

「失礼する」

 大臣を引き連れて入室した国王は、立ち上がろうとしたジキルを手で制し、足早に執務机の椅子に座った。

「待たせてすまない」

 噂に違わず気さくな性格のようだ。平民に過ぎないジキルにも礼を欠かさない。

「改めて礼を言おう、ジキル=マクレティ」

 リーファン王国現国王ダニエル=リム=レティスは、柔和な笑みを浮かべた。兄である先代国王に似て、彫りの深く端整な顔立ちをしている。短く切った金髪の上に略式の王冠を乗せる様は自然で、生まれながらの気品を感じさせた。

 六年前、先代国王のアダム=リム=レティスが病によって崩御したことにより、突如王位を継いだ男だった。

 リーファン王国では長子が跡継ぎとして定められているので、本来ならば唯一の実子であるクレア王女が次期国王となるはずだった。

 が、クレア王女は当時齢十と一国を治めるにはあまりにも幼かった。何よりも女性であるが故に統治権を持たない。そのため、元老院は弟であるダニエルを次期国王として定めたのだ。

 やや複雑な経緯で王位を継いだものの、ダニエル国王本人は聡明かつ温和な性格で、国民の支持も高かった。

「失礼ながら少し調べさせてもらったよ。魔剣ノエルの使い手、若干十六歳にして数々の魔物を打ち倒した魔獣狩り。海獣シードルを屠り、ファラレン王国の脅威となった赤竜ゴドン討伐にも関わったとか」

 少しだなんて謙遜だ。かなり本格的に調査しなければここまで詳細なことは知らないはずだ。特に赤竜ゴドンの件、公式では北のファラレン王国騎士団の総力を挙げて退治したと発表されている事実までも掴んでいる。

「聞くところによれば、君は魔獣を倒すことが目的ではないらしいね。あるものを探すために大陸中を巡っているとか」

「ええ、まあ……」

 居心地の悪さを誤魔化すようにジキルは目を伏せた。

「その様子だと今回も当てが外れたようだね」

 いつものことだった。弟を残して旅立ってから早三年間。手掛かりは、掴んだと思った瞬間にすり抜けていく。

「簡単にはいかないことは最初からわかっていますから」

 ダニエル国王は目を眇めた。羨望とも憐憫ともつかない微かな感情が瞳に浮かぶ。

「そうまでして何を探している?」

「『暁の魔女』を。畏れながら陛下、それ以上は申し上げられません」

 ダニエルは控えていた大臣に耳打ちした。一礼して退室する大臣。二人きりになったところで、ダニエルは椅子に座り直した。

「詮索をするつもりはないが確認したいことがいくつかある」

 人払いと前置きまでしてどんな質問をするのかと思えば、ダニエルは深刻な顔で訊ねた。

「その魔女を利用して何かをするつもりは」

「まさか」思わずジキルは苦笑してしまった「『暁の魔女』を探しているのは非常に個人的な理由からです。誰かを巻き込むつもりもありません」

 古来よりリーファンに限らず大陸全土の国々では魔女による魔法の使用は禁忌とされている。故に法の整備がなされていなかった百年前までは魔女狩りが横行し、魔法とは関係のない者までもが処刑されていたという。

 現在、かろうじて生き残った魔女のほとんどは人里離れた場所に住んだり、一般の人々に紛れてひっそりと生きている。が、その反面ごく一部の魔女は仮初の安寧を良しとせずに魔法を用いて王国に対抗しているのが現状だ。

「『暁の魔女』の話は私も聞いている。しかし……本当に存在しているのか?」

 組織名の由来、結成時期、首謀者の名、構成人数も不明。わかっているのは全員が魔女で、古代王国の復活を目論んでいるということ。先ほどの話で言えば、後者にあたる魔女の秘密結社だった。人知れず大陸全土の国々で活動し、その力は国家の中枢にまで及んでいる――という噂だ。実態が掴めないため、存在自体を疑う者さえいる。

「さて、どうでしょう? 私としても確証があるわけではありません」

『暁の魔女』に限らず、魔女を危険視する傾向はどこの国でもある。魔法は禁忌の力。裏を返せば禁じなければならない程に危険かつ強大な力だということだ。私利私欲のために悪用する者は後を絶たず、魔女を登用し他国への侵略を目論む王国まで出てくる始末。ダニエルの懸念は国王として当然のことだった。

「目的は果たせそうか」

「いつかは果たせるでしょう。それが十年後か二十年後かはわかりませんが」

「そんな長旅を……故郷の親や恋人はよく許したな」

「親はいませんから」あっさりとジキルは言った「いつ帰るかもわからない者を悠長に待ってくれる大らかな恋人も」

 ダニエルの目が閃いた、ような気がした。ジキルは内心眉を顰めた。ほんの一瞬だが、まるで好機を捕らえたかのような表情を浮かべていたからだ。

「将来を約束した者はいないのだな?」

「いません」

 ダニエルは返答を噛みしめるようにしきりに頷く。いよいよ雲行きが怪しくなってきた。

「ジキル=マクレティ殿」

 やおら顔を上げて、ダニエルは告げた。

「あの竜は先代の王からの悩みの種だった。気まぐれに飛び立っては我が王国の土地を荒らし、時には民を襲い殺した。本能のままに生きるただの獣ならばまだ良かっただろうに。下手に知能があり、人間を脅迫するだけの狡猾さもあった」

 リーファン王国を襲わない代わりに、十年毎に十分な食料と服従の証として娘を一人。邪竜オルブライトが提示した条件を王国側は呑まざるをえなかった。竜に捧げるための膨大な食料を、税として徴収されるのは民だ。国民の反発心を削ぐために、生贄の娘は毎回貴族の中から選ばれていた。今回はダニエル国王の姪であるクレア王女だ。

「そのオルブライトを倒した報酬が金貨二袋では相応とはとても言えない。褒美としてリーファン王国第三王女クレア=リム=レティスを与えよう」

 いえ、もう十分いただきました、と答えそうになったジキルは口を閉ざした。

 与える。ジキルが救出に来たと知るなり開口一番に「遅い」とのたまったクレアを。リーファン王国の王女を。つまり――女性を。ジキルは弾かれたように立ち上がった。

「陛下、それは」

「将来を約束した者がいないのならば、悪い話ではないだろう?」

「いや、あの」ジキルは言い淀み、一つ咳払いした。「陛下、お……私は、先ほど申し上げた通り、ある魔女を捜しています。見つけるまでは旅をやめる気はありません。仮に私が、畏れ多くも王女様と婚姻を結んだとしても、王女様にはお寂しい思いをさせてしまうでしょう。そばにいて支えることも、有事の際に駆けつけることもままなりません」

「あれも一国の王女だ。その程度の分別は持ち合わせているだろう」

「納得できるかではなく、婚姻を結ぶ意味が、あまり……ないかと」

 やんわりと断ろうとするジキルの退路を断つように、ダニエルは単刀直入に切り込んだ。

「不服か?」

「いえ、とんでもない。身に余る光栄でございます」

 それ以上に迷惑なのだが。国王相手に言えるはずもない。「頼みたいこと」とはこのことだったのか。今さら悟っても遅過ぎた。

「ただ、結婚など考えたことがなかったもので」

 相手が女性ならばなおさらだ。想定外にも限度がある。

「では婚約という形をとろう。しかるべき時が来たら婚姻を結べばいい」

 妥協しているように見えるが、実際は結婚決定。王族との婚約をさしたる理由もなく破棄出来るわけがない。それくらい、政には詳しくないジキルですらわかる。完全に手詰まり。窮地に追い込まれたジキルはせめてもの抵抗を試みた。

「……考える時間を、いただけませんか?」

 ジキルは機嫌を損ねないよう慎重に言葉を選んだ。相手は一国の王だ。

「私には親がおりませんが、兄弟がおります。竜を倒した後は休養も兼ねて一度帰郷するつもりだったので、そのように弟には手紙を送っております」

 ダニエルは執務椅子の背もたれに身を預けた。

「たしかに、少し急ぎ過ぎたようだな。ゆっくり考え、家族とも相談するといい」

 ただし、とダニエルは続けた。

「良い返事を期待しているぞ」

 断る道など最初から考えていない顔。背筋に走る寒気にジキルは身体を震わせないようにするのが精いっぱいだった。

「ところで、君の故郷は?」

 一瞬、縁もゆかりもない町を挙げようかと考えた。そのまま雲隠れしてしまえば婚約も結婚も水に流れ――るはずがなかった。権力の偉大さは身を持って知っている。ジキルは正直に言った。

「レムレス山脈の麓にある、レムラという小さな町です」

「聞いたことはある。自然豊かな山に住む獣の肉や毛皮、あと香草茶が特産品だったか」

 ジキルは頷いた。自然は豊かだが、これといった鉱物も資源もない。「町」というよりは「村」と呼んだ方がいいくらいの小ささと地味さが持ち味の故郷だった。

「療養にはいいかもしれんな。あの町のそばには別荘がある」

 笑顔で空恐ろしいことをのたまうダニエルに、今度こそジキルは戦慄した。

「クレアも行かせよう。まずは親睦を深めねば」

 完全に囲うつもりだ。他の選択肢を奪い、結婚に向けてまっしぐら。ジキルは卒倒しそうになった。婚約を結ぼうが故郷に一緒に帰ろうが親睦を深めようが無意味であることを、ダニエル国王は知らない。無理もないとは思う。世間では全く知られていない事実なのだから。

 ジキル=マクレティは、正真正銘の女だった。


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