(六)開き直った魔獣狩り
ころころ転がり転がってようやく止まったのは、木の根元だった。はらりと舞い散る枯葉が顔に落ちた。
「……むー…………」
ずいぶん間の抜けた声だと思っていたら、それは自分の呻き声だった。ジキルは腕で枯葉をのかした。青い空を覆うように広がる木の枝。とりあえずは生きているようだ。
上にのしかかっていたクレア王女がみじろいだ。
「大丈夫ですか?」
ジキルの問いには答えずに起き上がる。早々にどいてくれたのはありがたいが、この素っ気なさには困ったものだ。ジキルも身体を起こして、右足に引きつるような痛みを覚えた。思わず顔をしかめる。右足のふくらはぎに手を当てると血が滲んでいた。おそらく、転がっている間に木の枝か何かで切ってしまったのだろう。
「クレア様、お怪我はございませんか?」
何はともあれ、まずは安否確認。クレア王女は無言で首を横に振った。ジキルが安堵に息を吐いたのもつかの間、クレア王女は小さく呟いた。
「……足を」
「怪我されたのですか?」ジキルは背負っていた荷物を外した「くじいたのですか? それとも強く打ったとか」
「違います」
クレア王女は憮然として否定した。
「あなたが足に怪我をしているのではと」
「え」
ジキルはきょとんとした。まさかこの王女が、自分を気に掛けていたとは夢にも思わなかったのだ。ましてや怪我に気づくなんて。
「あ、ああ、ご心配には及びません。大したことはありませんから」
ジキルはクレア王女に断ってからその場で応急手当てをした。傷口を確認したが少し切ってしまっただけだ。骨にも異常はない。傷口を消毒して布を当てて包帯を巻けば終了。
改めて周囲を見渡すも木、木、木。斜面を登れば元の道に戻れるだろうが、結構な急こう配だ。自分はともかくクレア王女は無理だろう。
それにしてもクレア王女の被害は酷かった。怪我こそないが、身に纏っていた服は無残にも裂けて土と埃まみれ。艶やかな黒髪には枯葉やら小枝やらが絡まっている。袖が裂けて露出している腕は白く細く、とにかく寒そうだった。
不躾な視線を注いでいたら、クレア王女の端整な顔が不機嫌に歪む。
「何か?」
ジキルは世間的な自分の性別をようやく思い出した。
「……大変失礼を致しました」
コートを抜いでクレア王女の膝の上に置く。年季の入ったよれよれコートだがそこは我慢していただく他ない。すぐさま回れ右。
「何のつもりです?」
「ご不満は後で伺いますが、ひとまずそれを羽織ってください。秋の気温を馬鹿にしてはいけません。じきに日も暮れるでしょう」
背中を向けたまま、ジキルは言った。かなり間の抜けた状態だが、自分は(設定では)男である。クレア王女の艶かしいお姿を拝見するわけにはいかない――別段見たいわけでもないが。
布を払う音が聞こえた。おそらくクレア王女がコートを広げて、眺めているのだろう。
「汚い外套ですこと。裾がほつれておりますわ」
「申し訳ございません」
いいからさっさと着ろ。ジキルは暴言を心中で吐く。
「ボタンも外れそうです。仮にもわたくしの婚約者でしたら、着る服にくらい気をつけていただきたいものですね。みっともない」
みっともない。最後に呟くようにして付け足された、言わばオマケのような文句をしかし、ジキルは捨て置くことができなかった。
みっともない。クレア王女の言うことは間違ってはいない。何度も洗っているのでくたくたになっているし、ほつれている裾も外れそうなボタンも、長旅を考えれば当然のことだ。少しも綺麗じゃないし、上品でもない。しかし――しかし、だ。
みっともないだのと蔑まれるいわれはなかった。
「それは悪うございましたね!」
ジキルは踵を返すと、クレア王女につかつかと迫った。呆然とする彼女の手からコートを取り上げた。被せるように乱暴に羽織らせ、手を引く。
「行きますよ、王女様」
「え、あ……」
問答無用で立ち上がらせて、その場を離れた。
先ほどの魔獣が匂いを辿って追い掛けてくる可能性は否めない。旅用の荷物と魔剣ノエルがあるとはいえ、お姫様を庇いつつ迎撃なんて器用な真似が自分にできるとは到底思えなかった。
三十六計逃げるに如かず。不利を悟った後のジキルの行動は迅速だった。
「ど、どこへ行くつもりです?」
「休憩所です。少し戻ることになりますが、早く合流した方がいいでしょう」
歩きながらジキルは答えた。旅人のために森にはいくつかの休憩所が設けられている。たしか山の中腹にもあったはずだ。帰郷の際に休憩したから覚えている。大体の位置も。クレア王女の捜索隊を待つという手もあるが、魔獣のことを考えると確実に誰かがいる場所に向かった方がいい。ジキルは勝手にそう決めて動き出した。クレア王女に相談しても無意味だし、説明するのも面倒だ。
そもそも自分は一体何を恐れていたのだろう。いくら敬意を払っても歩み寄ろうとしてもこの王女にとってジキルは邪竜オルブライト以下なのだ。これ以上険悪になることもないのだ。




