(五)もっと勤しむ罠猟師
二頭でとはいえ重たい車を引いている馬と身軽な狼。どちらが早いかなんて明白だ。ひたすら逃げてもやがて追いつかれる。
魔力の影響によって進化した身体は元には戻らないが、狂暴化はあくまでも一時的なもののため、魔導石の出力が安定すればやがて収まる。が、襲われている状況で暴走の鎮静化を呑気に待っていたら噛み殺されるのが関の山だ。
本領発揮。ジキルは魔剣ノエルを鞘から抜き放――たずに、荷物からスリングを取り出した。弓矢に比べれば子供騙しのような武器だが、立派な狩猟用具だ。先陣切って迫りくる狼もどきに狙いを定めて放つ。
遠心力によって加速された石は魔獣の眉間に命中した。悲鳴もなく魔獣は地面に転がる。その死体を飛び越えて魔獣の群れは馬車に急接近。威嚇の咆哮をあげる。
ジキルの馬車は魔獣に囲まれていた。足の速い魔獣はすでに前を走るクレア王女の馬車にまで追いつきかけている。
(まずいな)
数が多い。それに縄張りから追い払うためではなく、襲うつもりで追ってきている。おまけに連中は発狂している。命令を下す群れの頭を倒しても、おそらく追撃をやめないだろう。
――ジキル!
頭に響いた警告の声にジキルは我に返った。眼前に迫る魔獣の牙。考える間もなく魔剣ノエルが抜き放たれ、斬りつける。血しぶきがあがった。顔を横一文字に斬られた魔獣は力を失い後方に倒れる。
間一髪だ。ともすれば一瞬の内に焼きつけられた死の恐怖が、今さらながら身体を竦ませる。ジキルは目を瞑って首を振った。怯えている場合ではなかった。
なおも追いすがろうとする他の魔獣に、近衛兵が一気に剣を振り下ろす。キャン、と場違いに可愛らしい悲鳴。
その間にジキルは一度車内に引っ込み、荷物を背負った。馬車から出て前方の御者台によじ登る。狙われる危険性は高まるが、いずれにせよ馬をやられては終わりなのだ。それに車内からでは視界はどうしても狭くなる。
周囲を見渡し魔獣の数は多少減っているものの、まだ十数頭が元気に追いかけていることを把握。護衛の近衛兵達は馬上から剣を振るい、魔獣相手に善戦中。しかし、いかな手練でも前後左右を囲まれて襲いかかられては剣一本で防げるはずもない。
「クレア様の馬車に追いつけるか?」
「は、はいっ」
御者の返事を待たずしてジキルは再び石を放った。クレア王女の馬車に飛びかかろうとした魔獣に的中。
「並走してくれ。剣を外にかまえるんだ」
近衛兵に向かって指示を出す。騎士でもない民間人の言うことを、果たして王国に忠誠を誓う軍人が聞いてくれるかどうか。ジキルの懸念は杞憂に終わった。邪竜オルブライトを倒した名声は意外なところで効力を発揮したのだ。
「竜殺しのジキル殿のご命令だ。密集隊形!」
隊長格の近衛兵の号令。手綱を操り速やかに近衛兵達の移動はなされた。クレア王女の馬車の右にジキルの馬車。二つの馬車を囲むように近衛兵が走る。密集して走れば、独りで四方を魔獣に囲まれる心配はなくなる。
ジキルは油の入った瓶を取り出した。栓を外して代わりに布で蓋をする。
「一体何を……」
「前を見て。馬車が止まったらおしまいだよ」
ジキルは車両の屋根に掴まり、立ち上がった。すばやく蓋代わりの布に火をつけると、後方から追い掛ける魔獣の群れに向かって投げつけた。魔獣の一頭に命中するなり瓶が割れる。同時に発火。粘度の高い液体を混ぜた特製の油は、身体にまとわりつき、さらに激しく燃え上がる。炎は周囲の魔獣を巻き込み、やがて群れを包み込んだ。
もはや追撃どころではない。危うく難を逃れた魔獣も炎にひるむ。その隙に一行は群れを大きく引き離した。
が、ここで油断が生じた。クレア王女の馬車の陰に潜んでいた魔獣が御者に飛びかかったのだ。ジキルは跳躍した。隣の御者台に飛び乗りざま、魔剣ノエルで魔獣を斬り捨てる。難は逃れたものの手綱を操る御者の手が狂い、馬車は左へ傾いた。
衝撃で開いた馬車の扉から侍従長が投げ出される――と、その腕を白い手が掴んだ。クレア王女だった。細い腕のどこにそんな力があるのか、クレア王女は自らの身体を軸にして、レオノーレを右へ回し車内へと放り込んだ。
「クレア様!」
レオノーレが悲鳴に似た声をあげた。彼女を投げ入れた反動でクレア王女の華奢な身体は宙に飛ばされる。
――よせ!
制止の声は頭を素通り。ジキルの身体は勝手に動いていた。馬車から飛び降りたジキルは空中でクレア王女に抱きついた。驚きに見開かれた目とかち合う。その面差しがクレオンと重なった刹那、地面に激突。背負った荷物では逃しきれなかった衝撃がジキルの背中に走った。息が詰まる。
ともすれば遠のきそうになる意識を必死で繋ぎとめ、腕に力を入れた。
ジキルはクレア王女をかかえ込むようして山の斜面を転がり落ちた。




