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  (三)憎いあんちくしょう

 王族専用馬車の乗り心地は他のものと比べようもなく、快適だった。頑丈な造りなので振動が少なく、速度もゆっくりなので舌を噛む心配もない。

 にもかかわらず、クレアは落ち着かなかった。手にしている扇を開いては閉じてを先ほどから何度か繰り返している。

 向かいに座るレオノーレは口元に上品な微笑をたたえていた。傍から見たらいつも通りの彼女にしかし、クレアは居心地の悪さを覚えた。レオノーレが直視できない。なんとなく気恥ずかしかった。

「何が面白いのでしょう 」

 いたたまれなさに負けて、憮然とした顔で訊ねる。

「仲のよろしいことで、安心致しました」

「誰が、どなたと?」

「『クレア』様がジキル様と。『クレオン』様がジキル様と、と申し上げるべきでしょうか」

 レオノーレの双眸が優しく和む。

「少なくともジキル様はクレオン様に親しみを感じられているご様子。以前にも申し上げましたが、同年代のご友人はクレア様にとって良い刺激となることでしょう。積極的にご交流を深めていただければと」

「あなたにしては珍しく早計ですこと」クレアは背もたれに寄り掛かった「あれはクレオンに取り入ってわたくしとの婚約の解消を目論んでいるだけです」

 笑顔の陰に憤怒が、涙の裏に策略が潜んでいるかもしれない。その点ジキルは非常に短絡的でわかりやすかった。底が浅く、裏表もあまりない――正確には取り繕うだけの器用さがないのだ。

「信頼に足る者とは到底思えません。友好を深めたところで無意味でしょう」

 むしろジキルがクレアに深く関われば、いずれ内情を知るようになり、やがて――本人にその気はなくとも、クレアと敵対する側の者にその情報を流してしまう恐れがある。

「そうおっしゃる割には、足繁く通っていらしたと思いますが」

「敵情視察です」

 少し語弊があるかもしれないが、決してレオノーレの言うような親睦のためではなかったことは確か。

 結果も散々たるものだ。ジキルは敵にもなりえないくらいに平凡で普通の人間だった。

 別段剣の腕が優れているわけでも特別頭が良いわけでもない。根っからの悪人ではないし、底抜けのお人好しでもない。とにかく中途半端。だからクレアには理解できなかった。

 何故こんな奴が邪竜と恐れられたオルブライトを倒し、人々に賞賛されているのだろう。

「わたくしは今回の件で一つ学びました。それは、人畜無害は時として罪にもなりうるということです」

 つまるところ、ジキル=マクレティは毒にも薬にもならない人間なのだ。存在理由を考えても無意味。関わるだけ時間の無駄だった。

「お言葉ですが」

 半ば強引に完結させたクレアに対し、レオノーレは躊躇いがちに言った。

「いつものクレア様ならば、相手が無価値だと断じた時点で、関わりを絶っていらっしゃるかと存じます。確かに婚約者となれば全く無関係とは参りませんが、それでも極力関わらないようになさるかと。無視黙殺もできず、しかし受け入れることもできない。それではまるでクレア様が――」

 言いかけてレオノーレは口を噤んだ。気遣ったのだろうが、あいにく中途半端は最も嫌うところ。クレアは続きを促した。

「最後までおっしゃいな」

「私には、ジキル様を憎んでいらっしゃるようにお見受け致します」

 躊躇いがちに、しかしはっきりと。長年仕えているだけあってレオノーレはクレアの心中を誰よりも理解していた。もしかすると、本人よりも。

「憎んでなどいません。ただ、」

 クレアはうつむいた。自分の中で渦巻く苛立ちや焦燥などの負の感情。それらを生み出すひどく曖昧な原因に適当な名を探す。

「癇に、障ります」

 結論は自分でも呆れるくらい子供染みていた。クレアは自らの言葉に押されるように顔を上げた。

「何故、怒らないのでしょう。やっとの思いでオルブライトを倒したのに、礼すら言わなかったわたくしをどうして責めないのですか? いきなり申し込まれた決闘を何故、馬鹿正直に受けて立つのです? 食事に毒を盛られても、不当な理由で襲われても、恨み言一つ言わない。申し訳程度に文句を言うだけで、すぐに水に流してしまう」

 八つ当たりだとわかっていた。

 オルブライトを倒してしまったことも、ジキルは何も知らなかったのだから致し方ない。クレアとの婚約だって不可抗力だ。ジキルが卑怯な手を使おうが、今までどれだけ呑気に生きていようが、他人が口出しすることではない。

 納得させようとする理性の下で、なおも叫ぶ幼い感情があった。謂れのない責めも、不当な扱いも、あんな簡単に受け流してしまえるのなら――

「それでは、むきになっている僕が馬鹿みたいだ」

 自分は一体何なのだろう。虚無感に襲われる。

『クレオン』は剣にかけて自負があった。体格でこそ劣るが、一撃の早さと鋭さは実戦でも他を圧倒する。鍛錬を欠かしたことはない。周囲に認められるために相応の実力をつけた。

 しかしジキルは、そんな努力を必要としないでオルブライトを倒した。

『クレア』は将来国を治めるに相応しい人間となるよう、幼い時から厳しい教育を受けていた。帝王学を始めとする学問においても、一般生活においても通常の人の上を求められ――そして、全てに応えてきた。かけひきを覚えた。他人の裏を読むことに長けていた。誰が誰と繋がっているのか。領主を始めとする有力貴族の人柄、各地の状況。あらゆることに気を配っていなければ、策謀渦巻く宮廷で上に立てない。

 しかしジキルは、ただ平凡に生きているだけで、帰る場所と常に支えてくれる弟を持ち、魔獣狩りの名声まで得ている。

 嫉妬に似て非なる感情が胸を占めた。ありていに言ってしまえば『どうしてお前ごときが』という、世の理不尽さに対する苛立ちだ。ぬくぬくと幸せに生きてきた奴と同等に扱われることが許せなかった。

「クレオン様」

 レオノーレに名を呼ばれ、ようやくクレアは我に返った。

 自分は今『クレオン』ではない。

「……すまない」

 掠れた声はそれでも高い女性のもの。自分が何者なのかを否応なしに実感させられた。

「クレア様が謝られる必要はございません。むしろ、クレア様のご心中を察せず、安易に関わるよう勧めた私に非はございます。長年仕えていながら、なおも至らない私をどうかお赦しください」

 座った状態で、レオノーレは深々と頭を下げる。ますますクレアは、いたたまれなくなった。


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