(二)ご機嫌ナナメの王女様
翌朝早く、クレア王女とその一行はレムラを出立した。元々がお忍びの旅行もとい静養だったので大仰な見送りもない。一週間過ごした屋敷の前に、行きと同じ馬車が用意されていた。
クレア王女の装いは移動を意識してか、いつにも増して地味だった。
数日共に過ごせば、多少なりとも人となりを知る。クレア王女は傲岸不遜な態度の割に、意外にも質素を好んでいた。胸元や身体の線を強調するような服は決して着ない。大きく広がった豪奢なスカートは公式の場でもない限りお目にかかれない。美しく着飾るよりも動きやすさを重視しているようにも見受けられた。
かくいうジキルはいつもの長袖の旅衣の上にコートを引っかけただけの軽装だった。さすがに王城でこの格好はいただけないが、帰るまでの間ならば問題ない。
「道中はくれぐれもお気をつけて」
少ない見送りの一人にカスターニ伯爵。静養の付き添いという名目で一緒だった彼だが、所用があってここでお別れだ。ジキルとしては諸手を上げて歓迎すべき展開だった。あとはさっさと王都に戻って婚約を解消すれば、カスターニ伯爵とは完全に縁が切れる。彼と顔を合わすのもこれが最後になるということだ。だから多少の嫌味も受け流してやるつもりだった。
幸いにもカスターニ伯爵はクレア王女にしか興味がないらしく、ジキルには見向きもしない。無礼な態度も今はありがたかった。先日の夜みたいに、害虫よろしく駆除されてはたまったものではない。
お偉いさん二人で挨拶を交わしている間、ジキルは控えている近衛兵の面々を見渡した。その中に小柄な少年の姿がないことに首を傾げる。
「クレオンは……?」
「所用で先に王都へ戻りました」
ジキルの独り言を耳ざとく聞きつけたクレア王女が答えた。近衛連隊長なのにおいそれと王女様を放置していいものなのか。怪訝に思ったのはジキルだけではなかった。
「近衛連隊長ともあろうものが、クレア様のお傍を離れるなど……」
カスターニ伯爵は渋い顔をした。
「僭越ながら、私付きの騎士を数人王都までお供させましょう。彼はどうも自分に与えられた任務の重要さがわかっていないようです。先日の侵入者も結局全員取り逃がしておりますし、その上、クレア様が王都にご帰還されるというのに先に帰るなど言語道断」
「お言葉ですが、カスターニ伯爵」
ジキルは挑発的に言った。
「クレオンは立派な騎士だと思います。先日の襲撃事件も、彼がいち早く駆けつけてくれたから俺も無事だったんです」
本当はクレオンが駆け付ける前にジキル一人で襲撃者達を撃退したのだが。そんな些細なことはどうでもよかった。本人のいない間に悪口を吹き込む姑息に我慢がならなかった。ましてや、先日の襲撃事件の犯人は当のカスターニ伯爵ではないか。
カスターニ伯爵が不快げに眉を寄せる。が、彼が何事かを言う前にクレア王女が冷たく言った。
「口を慎みなさい。伯爵は今、わたくしとお話をしていらっしゃるのです。貴方の出る幕ではありません」
打って変わってカスターニ伯爵には丁寧に礼を述べる。
「お心遣いは大変嬉しいのですが、あまり人数が多ければ民に何事かと騒がれてしまいます。それにわたくしが、クレオンには先に王都へ戻るよう命じました。今回の不手際の責任はもちろん問わなければならないと思いますが、被害もほとんどございませんでしたので、厳重注意で留めるつもりです。ご心配には及びません」
「いえ、出過ぎた真似を致しました」
カスターニ伯爵は慇懃に礼をした。見計らったようにレオノーレがクレア王女に出立を提案。そろそろ出発しなければ今夜の宿に辿り着くのが遅くなってしまう。
「ではクレア様、いずれ、また」思い出したように付け足す「魔獣狩り殿も」
『いずれ』も『また』もねえよ、これっきりだ。不当な襲撃を受けたのもあり、ジキルは冷ややかな視線を送った。
クレア王女はそつなく「ごきげんよう」と挨拶。レオノーレに促されて馬車へと向かう。
「相手は伯爵です。分をわきまえなさい。当人でもないのに口答えなど見苦しい」
もはや定例化したお説教だった。その間でさえ、クレア王女は足を止めない。ジキルの方を見向きもしない。
「以後、気をつけます」
ジキルは何度目かもわからない詫びの言葉を述べた。ちょうど馬車に乗り込もうとしていたクレア王女が振り向く。若干おざなりな謝罪に腹を立てたのかとジキルは身構えた。
「あなたも不思議な方ですこと」
クレア王女は眉をひそめて呟いた。
「田舎者と蔑まれても気に留めていなかったのに、何故この程度の非難が受け流せないのでしょう。クレオンと別段親しいわけでもないというのに」
「実際に俺は田舎者ですから、本当のことを言われて腹を立てる道理がありません。でもクレオンは違います。彼は俺のような田舎者でもなければ、伯爵が言うような無責任な人でもありません。少し……とっつきにくいところがありますが。あと初対面で剣を突きつけてきたり、いきなり押しかけてきたり、突飛な行動を起こすこともありましたね」
ジキルは首をひねった。クレオンを褒めたいのか貶したいのか自分でもだんだんわからなくなってきた。
「とにかく、間違った見解を訂正するのは当たり前のことです」
クレア王女は胡乱な眼差しでジキルを見た。
「……まあそれはお優しいことで」
ジキルは目を見張った。クレア王女の理不尽な叱責も貴族特有の嫌味にも慣れてきていたが、今のはそれまでのものとは違う。いつになく棘のある一言だった。
しかし、意図を訊ねる間もなく、クレア王女は王族専用馬車に乗り込んでしまった。その後に続くのはクレア王女お付きのレオノーレ侍従長。彼女は何も言わず、ジキルに目礼した。美しい所作だった。ただの挨拶にしてはていねい過ぎるほどに。
(わけがわからん)
ジキルは後ろ頭を掻いた。




