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三章(一)離れていても三姉弟

 大衆食堂『にくきゅう』の二階にマクレティ家の住居区間がある。元は宿泊施設だったものをロイスが店を譲り受けた際に改装したのだ。個室は三つ。ジキルとロイスで一つずつ、そして残る一つがいわゆる書架だった。魔女や魔法に関する文献から美味しい料理のレシピまで色々な書物を納めている。

 つい昨日大掃除を終えたばかりの自室にて、ジキルは荷造りをしていた。王都へ出立する前夜のことだった。旅には慣れているから迷うことはなかった。手際良く必要最低限のものだけを鞄に入れて終了――のはずだった。

「財布は持ってますか? タオルとナイフに……忘れ物はありませんね」

 ベッドの上で母親よろしくロイスが荷物を改める。ありがたいことではあるが、軟膏から『少しだけ元気になる丸薬』まで多種多様の薬を詰め込むのは困りものだ。

「これ、必要かな」

 もう一つのベッドに腰掛けたジキルは『死ぬほど苦いけど死にはしない薬』と書かれた小瓶をつまんだ。中に入っているのは無色透明の液体。ロイスは誇らしげに胸を張った。

「僕の傑作です。無臭ですが一滴で効果はてきめん。その苦さは獅子を悶絶させるほどです。そして対になっている『死ぬほど甘くて砂を吐く薬』を飲めば相殺されて無効化されるのです」

 いそいそと小瓶を詰めるロイス。もしかしなくてもそれが『死ぬほど甘くて砂を吐く薬』なのだろう。

「苦労して手に入れた魔導石で、なんでそんなくだらないものを作っちゃうのかな」

「失礼な。クレア王女にも献上した品ですよ」

 首を傾げた状態のまま、ジキルは固まった。心当たりはあの高級茶。お茶受けのクッキーのみならず、用途不明の秘薬まで献上してしまったらしい。兄もとい姉のことを非常識と責めるが、ロイスだって常識はずれなことをやかしているではないか。

「貰っても困るだけだと思うぞ、それ。まずもって贈った側の意図が読めない」

 指摘してもロイスは相手にしない。兄もとい姉の言うことなのに、まともに取り合う気がないのだ。少し目を離している間に弟はずいぶんと生意気になった。

「クレア王女だけではありません。先日はクレオンにも秘薬を譲りました。この調子でいけば、王室御用達になるのも夢ではありませんよ」

「ふーん」

 夢を描くのは自由だ。ジキルは気のない返事をしてから、頭にひっかかるものを感じた。

「クレオンにも?」

「ええ」ロイスは得意げに言った「つい二、三日前でしたね。仕込みの最中に来て、兄さんの居場所と、死なない程度に騒ぎを起こしたいが何かいい案はないかと訊ねられましたので、『死ぬほど苦いけど死にはしない薬』を。それがどうかしたんですか?」

 ジキルは首を横に振った。よもや自分が渡した薬が兄もとい姉の晩餐に盛られたと知ったら、ロイスは怒るだろう。秘薬がもったいないと。

 そうこうしている間にようやく荷物をまとめ終わり、ロイスは一息ついた。

「明日、僕は店があるので見送りはできません」

「色々世話になったね。ありがとう」

 ロイスはかなり大きくなった鞄をジキルに押し付けた。

「相手は貴族、それも王族ですからね。くれぐれも失礼のないようにしてください」

「わかってるって」

「荒っぽいことは駄目ですからね」

「クレオンもいるから大丈夫だよ」

 なにせ王国屈指の騎士殿が常に姫の御身を守っている。性格に難がある者同士で気も合うだろうし、理想的な王女と騎士とも言えよう。ジキルとしてはご免こうむりたいが。

「クレア王女は大丈夫かもしれませんが、あなたには大して護衛がつかないでしょう」

 どうやらロイスが心配していたのはクレア王女ではなく、ジキルだったようだ。情けないやらほんの少し嬉しいやらで複雑な気分になる。

「いざとなったら全力で逃げるんですよ。変な見栄を張らないでください。兄さんが情けない人であることは僕が知っています。今さら他人にどう思われようが評価は大して変わりません」

 励ましているんだか貶しているんだかわからない助言だった。

「……そうさせてもらうよ」

「毎日顔は洗うんですよ、耳の後ろまでしっかりと」

「うん」

「知らない人からもらった物を安易に口にしたりしないこと」

「しないよ。子供じゃあるまいし」

「心配です。知らない人から嫁をもらうような兄さんですから」

 証拠が目の前にあるだけにぐうの音もでない。ジキルは「気をつけるよ」と答えた。今さら気をつけても遅いかもしれないが。

「それと、食事は日に三度しっかり摂ってください。最悪の場合は干し肉一枚でも構いません」

 ロイスの言葉が示す通り、荷物の大半を占めるのが携帯用の非常食だった。

 猪肉を干したもの。先日仕留めた魔獣は燻製中だから、これはロイスがとっておいた分ということになる。他にも砂糖を煮詰めて丸薬状に固めたお菓子やクッキーなどの焼き菓子。

 ジキルは袋を漁る手を止めた。いくら日持ちするとはいえ量が多い。おまけに焼き菓子の種類に偏りがあった。木の実が採れやすい時期であることを差し引いても、不自然だった。

「胡桃……」

 呟いたジキルに、ロイスは咳払いした。

「全部食べていいですよ。でも食べ切る前に会うようなことがあれば、分けてあげてください」

 誰に、とは言わなかった。あえて挙げなくてもわかるからだ。

 殻を割るのが下手なくせにあの子は胡桃が好きだった。パウンドケーキの飾り用に乗っていた胡桃を大事にとっておいて、最後にちびちび食べていた。今でもきっとそうだろう。

「ついでに何か伝えておこうか?」

 機会があればの話だが。少し考えてから、ロイスは苦笑した。

「あの人に会ったら伝えてください。今ならお代わりはたくさんあります、と」


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