(五)対峙する妹同士
「さ、サディアス、サディアス!」
サディアスは意識を失ったまま。ギデオンが肩を揺さぶっても反応はない。ルルは素早く腹の傷を確認した。傷自体は深くないが、出血が多い。
(魔力はとっておきたかったんだけど)
王都に、特に王城に足を踏み入れてからこの方『魔界の扉』に魔力を奪われ続けている。ルルは自分の力がどんどん弱くなるのを意識せずにはいられなかった。
癒しの魔法一つでさえも今は惜しい。が、ジキルの友人を見殺しにしたら後が面倒だ。ルルは嘆息し、魔法を発動させた。ルルの魔法はサディアスの傷を疾く癒した。
「大丈夫なのか」
「さあ? 一応傷は塞いだから、あとは本人の気力次第よ」
「そ、そんな……っ」
狼狽えるギデオンの傍ら、ルルは立ち上がって険しい顔でリリアを見据えた。
「あんたの兄よ?」
「知っているわ」
リリアは栗色の髪を弄んだ。
「もしかして、お兄様の前ではリリアは良い子でいると思った? リリアが、魔法一つ使えない凡人のためにそんなことをすると、本気で思ったの?」
くすくすとリリアは忍び笑った。
「お兄様とクレオン様にひっついていたあの出来損ないの魔女もルル、ルルうるさかったわ。大事な『妹』なんですってね? 馬っ鹿みたい! 魔法も使えないくせに、利用されるだけのドブネズミのくせに!」
「そう、わかったわ」
十分だった。交わすべき言葉はない。説得も無意味。ならば自分がやるべきことはただ一つ。
「窮鼠猫を噛むくらいはしてやるわ!」
ルルは跳躍した。同時に転がっていたクマのぬいぐるみがひとりでに起き上がり、大きく膨張。人の大きさ程に巨大化したクマは猛然とルル目掛けて突っ込んできた。丸太のような腕が振るわれる。避けられる速度ではないーーが、ルルの姿がかき消えた。
「なっ」
リリアが目を剥いた刹那、炎を纏った槍がクマを貫いた。次いで爆発。クマは跡形もなく爆散した。
「攻めが単調なのよ」
右手を突き出した状態でルルは呟いた。ギデオンが呆然と見上げる中、放った炎の残滓を手でかき消す。
「転移を、」
「正解。でも遅かったわね」
クマの拳が振り下ろされる瞬間に『転移』を発動させた。一度訪れた場所ならば一瞬で移動できる、ルルお得意の魔法。ついさっきまでいたギデオンのそばに転移することで一撃をかわしたルルは、攻撃に夢中で隙だらけのクマに魔法を放った。
収束した炎で形成した槍はそれ自体の切れ味は無論、衝撃を受けたら爆発するように構成してある。いかな表面を魔法で強化したクマだろうと、内部はただのぬいぐるみと遜色ないーー四散させるのは容易かった。
リリアは青いリボンを手に取った。クマの首に巻かれていたリボンはその大半が焼けて、焦げていた。
「ねえ、どうして今、殺さなかったの?」
興味を失ったのか、リリアは先ほどまで愛おしげに撫でていたリボンをあっさりと捨てた。
「もう一撃でリリアを倒せたわ。殺すつもりで魔法を放てば」
「そうね」
「でもルルはしなかった」
沈黙したルルに、リリアは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「できなかったんでしょ? 大事な大事なお兄様とのお約束だからーー本当に愚かね! 馬鹿だわ! そんな全く価値のないことにこだわって!」
リリアの精神状態に呼応するかのごとくクマのぬいぐるみが一斉に地面から生えてくる。いや、あらかじめ埋めておいたぬいぐるみを魔法で起動させたのだろう。その数、三十は下らない。
生ける屍を彷彿とさせる不気味な光景に「ひぃいいいっ!」と悲鳴を上げつつギデオンは半泣き状態。耳障りかつ目障りな王子にルルは顔をしかめた。
「ぬいぐるみごときで騒がないでくださいますか、王子様」
「無茶を申すな! あれがぬいぐるみなものか!」
たしかに、ただのぬいぐるみではない。一つ一つに魔石が埋め込まれているため、リリアの指示がなくてもある程度は自動で戦える。ぬいぐるみ自体には意思がないため壊れることもいとわず攻撃するだろう。さらにリリアの性格からして、自爆用の爆弾もお腹に詰め込んでいる可能性大。導き出される結論、騎士団一個小隊よりも厄介かつ凶悪な軍隊だった。
「形成逆転ね」
リリアはぬいぐるみの一つを抱き上げた。
「ルルとは違って、リリアは殺せるわよ。ドブネズミなんていくらでも」
「それはそれは素晴らしいことで」
ルルは気のない賞賛を送った。リリアは不快げに鼻白む。
「負け惜しみを」
「そもそも私が兄さんの言いつけを守るような良い子ちゃんに見える? 母さんの言うことだってまともに聞いてなかったのに」
ルルは失笑した。粋がっていてもやはり子どもだ。おまけにリリアはジキルやルルを侮っている。魔女以外の人間に至っては数にさえ入れていない。
(馬鹿ね)
そんなだからクリスに利用される。思い上がっているから騙される。マクレティ兄妹を侮っているから、ルルが時間稼ぎをしていることに全く気づいていない。
「お望み通り『王子様』とご対面なさいな」
「何を言って、」
リリアは弾かれたように振り向いた。その眼前に突きつけられた切っ先。反りのある魔剣をリリアに向けた人物は、彼女の求めていた『王子様』だった。
「そこまでだ、リリア=ドナ=オズバーン」
艶やかな黒髪に生える白皙の肌、端整な顔立ちの絵に描いたような王子様。しかし薄い唇から紡ぐ言葉は、おとぎ話とは違ってどこまでも厳しい。
「クレオン……さま」
リリアは呆然と呟いた。




