(三)攻め入る次女
地鳴りのような振動を感じて、ルルは足を止めた。耳をすませば遠くで喧騒。戦闘の真っ最中なのだろう。まず裏から兄とキリアンが攻め入り、そして正門で師匠が暴れる手筈となっている。
「大丈夫だろうか」道案内役のサディアスが呟いた「あまり戦いに慣れていないようだったが」
「大丈夫ではないけど、まあキリアンがいるから簡単に殺されはしないでしょう」
自分の魔力を込めた魔石もいくつか持たせた。威力はともかく派手な魔法にしておいたので、いざとなったらすぐさま目くらましに使って逃げるだろう。とはいえ『魔獣狩り』の名を汚さない程度には頑張ってほしいところだ。
「こんな単純な策にひっかかるとは思えんがな」
サディアスの後についてきているギデオンが鼻を鳴らした。ルルは皮肉をたっぷり込めて返した。
「わかりきったご指摘をわざわざありがとうございます」
ギデオンの顔に怒気が浮かぶ。が、隠密中に騒ぐ真似はしなかった。最低限の分別はあるようだ。
いや、これは根気よく『説得』した成果だとルルはほくそ笑む。王都への道すがら、事あるごとにワガママを言うギデオンを、都度蹴り倒したり殴り飛ばしたりと徹底した『教育』をほどこした。おかげで今やギデオンは暴言はおろか畏怖(とルルは信じている)の眼差しでこちらの顔色を伺うまでに『成長』した。
「ヤバそうだと感じたらすぐ撤退。死なない限りチャンスはいくらでもあるわ」
相手は王城を支配下に収めたクリスだ。陽動作戦がバレるのは百も承知。少しでも戦力を分散させるための策だった。そしてルルの予想が正しければ、これから向かう離塔にこそ大物が配置されているはず。
ルルは意地悪く付け足した。
「いざとなったら殿下を盾にすればいいことだし」
「なんだと⁉︎」
ギデオンが声を荒げる。捨て石発言には耐えられなかったようだ。
「わ、私は王太子だぞ! そんなことが、」
「ええ存じてますわよ、王太子殿下。ところで今、私達は密かに行動しなくてはならない状況であることはご存知でしょうか?」
凄みのあるルルの笑顔にギデオンは黙った。
「王太子だからこそ盾にできるのよ。人前でクリスは王族を手に掛けることはできないわ。現国王派の貴族達が黙っていないだろうし、下手をすると魔族であることがバレてしまうから」
魔族と人間の力の差は歴然。しかし千年前にはその矮小な人間が魔神を撃退したのだ。クリスが恐れているのは人間が一致団結し、数にものを言わせて攻めてくること。だから慎重に慎重を期してリーファン王国を乗っ取ろうとしている。真正面から攻め入るのではなく、裏から侵略するつもりなのだ。
「だからあんたは一番安全ってこと。安心した?」
あからさまに安堵するかと思いきや、ギデオンは不快げに眉を寄せた。
「飼い殺しということだろう」
「そうとも言うわね」
「魔族に利用されるくらいならば死んだ方がマシだ」
ルルは笑みを消した。腐っても一国の王太子、最低限の矜持はあるようだ。
王家にのみ伝わる隠し通路のおかげで、拍子抜けするほど簡単に城内へと侵入することができた。ギデオン曰く「直系にのみ伝わる重要機密の一つ」なだけあって、リリアは無論、クリスですら把握していない。外壁に沿って離塔を目指した。
「変だな」
古井戸の陰から様子を伺ったサディアスが言う。離塔の周辺に兵の姿はない。争った形跡も。侵入防止の結界が張られている気配もない。陽動作戦中とはいえ明らかにおかしかった。しかし、ここで手をこまねいているわけにもいかない。さっさと囚われの王子サマを救い出して兄の元に向かわなければ。
「手はず通りにいくわよ」
ルルは堂々と正面口に向かった。周囲を警戒しつつ、サディアスとギデオンもその後に続く。
結論を言えば、ルルの読みは的中していた。クリスは大物を離塔に配置していた。それは取りも直さず、離塔に重要人物が閉じ込められていることを示す。
「ごきげんよう、殿下」
迎えたのは鈴の鳴るような声。フリルのついた薄桃色のドレス。細い腕でクマのぬいぐるみを抱きしめる様は、あどけない少女にしか見えなかった。
「……リリア」
呆然と呟いたのはサディアスかギデオンか。リリアは無邪気と見紛うほどの笑顔で挨拶した。
「お久しぶりですわ、お兄様。今までどちらにいらしていたの?」




