(二)先陣を切る長男
「つまらないわ」
リリア=ドナ=オズバーンは膝の上に置いたぬいぐるみの頭を撫でた。つぶらな瞳の、首に結わえた青いリボンがささやかな個性を主張する可愛らしいクマだった。
王城の客間を与えられたリリアは、王太子妃であった頃となんら変わらない生活をしていた。城を出歩けば誰もがかしずく。伏せっている国王陛下を始め王族がまったく人前に出ない今、城はクリスとリリアの天下と言ってもいい。
しかしクリスは連日、大臣達との会議で忙しい。国王代理として混乱の収拾にあたっているというが、貴族の中には突如として現れた救国の英雄を不審に思う者もいて、なかなか進まないのが実情だ。いっそ王位簒奪を宣言してしまえばうるさい貴族達を一蹴できるのに、とリリアは思う。当のクリスは「『扉』が完成するまでは事を荒立てたくない。勝ちは決まっているのだから焦る必要もない」と気にしていないようだが。
難しいことはリリアにはわからない。興味もない。好きなお茶会やお人形遊びができる現状に不便もない。ただクレオンが一向に目覚めないのは不満だった。
「あんな氷、アリーならすぐに溶かせるのに」
どういうわけかクリスはクレオンを凍らせたまま放っておいている。放置とは語弊があるかもしれない。何しろ、クリスは離塔にクレオンを安置し、衛兵に警備までさせているのだ。
まるで、悪者の魔の手からお姫様を守るかのようーーリリアは昔、兄が読んでくれた絵本を思い出した。茨の中で眠る姫。呪われた孤独の姫。彼女が目覚めるのは運命の騎士が迎えに来た時。
リリアはクマのぬいぐるみを撫でていた手を止めた。
「……眠り姫はどうなったのかしら?」
運命の騎士と結ばれたのだろうか。茨は? 呪いは? 何度も聞いたはずだが思い出せなかった。
「お兄様に聞けばいいことね」
ギデオン王子と共に王城を離れてからからとんと姿を見せていない。そろそろ戻ってもらおう。
クリスからの『手紙』がやってきたのは、リリアがぬいぐるみに魔法をかけようとしたちょうどその時だった。
『鼠が侵入した』
耳に直接響くクリスの声。魔法を使えばたやすいことだ。リリアはクマを掲げたまま「何匹?」と訊ねた。
『正門に一人、全身鎧だから森の魔女だろうね。裏の山から二人、それと地下から三人』
「ネズミは嫌いよ」
『君のお兄君も行動を共にしている』
「お兄様が?」
そういえば以前、兄とジキルが二人で出かけたことがあった。森の魔女とその息子に会いに行っただけのようだが。
(お兄様ったら、そんな下賤な連中と)
リリアは盛大にため息をついた。常日頃から「王太子妃としての自覚」だの「相応しい振る舞いを」だの偉そうにたしなめるくせに、自分だって貴族としてあるまじきことをしているではないか。
『ギデオン王子も一緒だね。秘密の地下通路を教えてしまったようだ』
「困った人達ね」
これは厳しく言っておかなければ。下々の平民と行動を共にするだけでも非常識だというのに、王家だけが知っている地下通路を教えるなど言語道断。貴族としてあるまじき振る舞いだ。
「二人にはキツいおしおきをしなきゃ」
リリアはぬいぐるみを抱いて立ち上がった。目的の場所はわかっている。離塔だ。クレオンが眠っている場所。身の程知らずにも一国の王子を奪おうとしているのだ、あの平民どもは。
「だからネズミは嫌いなの」
まずは害獣駆除。サディアスとギデオンへの仕置きはその後だ。リリアはどう懲らしめてやろうかと思いを巡らせていた。




