(九)間の抜けた襲撃者
帰る気満々のジキルの計画を打ち砕くかのごとく、屋敷には宿泊用の部屋が用意されていた。何の嫌がらせかクレア王女の部屋の向かいに。文句を言おうにもクレオンはまだ帰ってこない。
結局、屋敷内で体調を崩した者は現れなかった。が、それも想定内だ。ジキルは湯浴みを済ませて早々に宛がわれた部屋に戻った。こうなれば自棄だ。一晩泊って、朝食をいただいたら、何を言われようと自宅に帰ってやろう。
意を決して戻った客室は既に暖められていた。火の熾された暖炉では時折火の爆ぜる音が聞こえる。壁に掛けられた灯火に照らされた部屋を見渡す。
暖炉の傍にあるのは、小さな丸いテーブルと背もたれのある椅子が二脚。ゆったりと寛げるようにか、人一人が座るには大きい。丸いテーブルには陶器製のポットとカップが一つずつ置かれている。就寝前にミルクティーとは、なかなか気が利いている。ありがたく頂戴することにした。
反対方向には天蓋付きのベッドがあった。ジキルには大き過ぎるが、貴族とはそういうものなのだろうと解釈した。住まいどころか、寝床ですら見栄を張らないといけないらしい。
ジキルは部屋の間取りを一通り確認すると、おもむろに部屋着を脱いだ。発展途上の胸を白い長布で巻いておさえる。いつもの旅衣を鞄から取り出して身に纏えば、ようやく調子を戻したような気がしてくる。手頃なクッションや毛布を集めて、ベッドのマットレスに置く。毛布を丸めたりと形を整え、さらに毛布や上掛けで覆ってしまえば、人が寝ているように見え……なくもない。今は夜だし、部屋を暗くしてしまえば大丈夫だろう。
ジキルはレオノーレに出してもらった予備の毛布を持って、部屋の隅――ベッドとタンスに阻まれて死角となる場所に腰掛けた。荷物は傍に寄せて、必要な道具はあらかじめ出してすぐ使えるようにしておく。魔剣ノエルは既に、鞘から抜いてある。
準備を終えたジキルは、部屋の明かりを全て消した。眠気覚ましの秘薬を使いたいところだが、この身体には効果がない。我ながら難儀な体質だった。
(母さんも余計なことをしてくれたよなあ)
他にやることもないのでジキルは亡くなった母を想った。自分の長女に特別な加護を与えた魔女のことを。
あらゆる薬物を分解し吸収。聞こえはいいが、風邪を引いても怪我をしても自力で治さなければならないことを考えればいかに不便利かはわかりそうなものだ。
(でもまあ、こういう時には役に立つよな)
待つことしばし――前触れもなく、施錠されていたはずの扉が開いた。足音を忍ばせても気配までは完全には隠しきれない。ジキルは座ったまま人数を把握した。三人。意外に少ない。
(やたらと苦い変な薬を前菜に盛られようが平気だし)
侵入者達はまっすぐに寝台に近づく。ジキルは魔剣ノエルを握った。いつでも動けるように体勢を整える。
(食後の香草茶に睡眠薬を盛られても眠らないんだから)
暗がりの中で、閃く刃がベッド目がけて突き落とされるなり、ジキルは跳ね上がった。クッションと毛布の束に短剣を突き刺した状態の無防備な男をノエルで殴打。ベッドの傍らにいた男を蹴り飛ばした。不意を突かれた男二人はあっさりと昏倒した。
「こんばんは。ようこそ俺の部屋へ」
三人目の侵入者にノエルの刃を突きつけて、ジキルは挨拶した。闇に同化してしまいそうな黒ずくめの男。今朝、山の中で警告してきた奴と同じ一味だろう。
「ば、化け物か……っ」
「生憎これでも一般人だよ。ただ小心者でね。これから寝るとわかっている人間にわざわざ睡眠薬を飲ませようとする屋敷では、ぐっすり眠ることができないんだ」
忌々しげな舌打ちが覆面の向こうから聞えた。暗殺者にしては手際が悪い。腕に覚えがないから睡眠薬を用いたのかもしれない。素人だとジキルは結論付けた。
「で、カスターニ伯爵がどうして俺のことを抹殺しようとするんだ?」
面白いくらいに覆面の男はうろたえた。
「貴様、な、何故それを……」
なんというお決まりの台詞だ。ジキルは笑い出しそうになった。これでは認めたようなものではないか。晩餐会で一番ジキルに敵意を剥き出しにしていた貴族を挙げただけだというのに。
「初対面のカスターニ伯爵に命を狙われる理由が見当たらない。教えてくれないか?」
剣を突き付けながら言う台詞ではなかった。覆面の男が悔しげに呻いた。瞬間、甲高い悲鳴が耳をついた。ジキルは反射的に部屋に一つしかない扉の方に顔を向けた。
「まさか、クレア王女!?」




