(九)胎動する魔神
玉座の間に駆け込んだ時、全てが「終わっていた」のだとクレオンは思った。そう錯覚させるほど陰鬱で虚無的な空気が蔓延していた。
あの猟師は弓を構えもせずに立ち尽くし、ただクリスを見据えている。
もっと酷いのはジキルの妹だ。ルルはその場にへたり込んだ。放心したかのように俯いた頰に、一筋の涙が流れ落ちる。おそらく自分が泣いているという自覚すらないのだろう。
真実が告げられたのだとクレオンは悟った。が、ルルに対して憐憫や同情の類の感情は浮かんでこなかった。他人よりも本人の衝撃が大きいことを知っているからだ。ジキルの意識がないのが不幸中の幸いと言うべきか。
「お待ちしておりましたよ、殿下」
玉座から恭しくクリスが礼をした。そこでようやくキリアンはクレオン達の登場に気づいて、目を見開いた。
「一世一代の大舞台だ。ぜひとも殿下には見届けていただかねばね」
「何をするつもりだ」
キリアンが訊ねる。矢筒から矢を取り出しながら。本能的にただならぬ気配を察知しているのだろう。魔力を持たなくてもわかるほどの、何かとてつもなく悪いことが起きようとしている予感。張り詰められ、際限なく高められているものが飽和し、弾けそうな一触即発の空気。
「さっきも説明した通り『魔界の扉』が四散したせいで我らが主はこの世界に顕現できなくなり、我々もまた、こんなちんけな『器』を介してでしか関与できなくなった」
乗っ取った身体を指差し『クリス』は酷薄な笑みを浮かべた。人間に対する侮蔑を隠そうともしない。利用するだけ利用して平気で使い潰す様はまさに悪魔だった。
「そこで考えたのだよ。実に簡単なパズルだ。魔導石が『魔界の扉』を形作る欠片だとしたら、つなぎ合わせれば、一つに錬成すれば『魔界の扉』を復元できるのではないかと」
『キリアン』鎧の中から大音声『そいつを殺しなさい!』
言うが否や自身も魔法を発動させる。速さだけを重視した炎の礫がクリスに飛来。既に弓を構えていたキリアンもまた矢を放った。
しかし、遅い。何もかもが。
矢が、火の玉が届くよりも先に、クリスは翡翠色の魔導石を宙に放った。
『開け、魔界の扉』
勝利宣言のごとく高らかに告げた途端、魔導石を中心に陣が浮かび上がる。玉座の間の四隅にまで侵食するほどの大規模な魔法陣だった。
咄嗟にキリアンがルルを引っ張って陣の外へと連れ出したのと、魔導石が弾けたのはほぼ同時だった。破砕音。次いで殻が破れたかのように魔導石の中にあった光が輝いた。
クレオンは片腕で顔を覆った。
目もくらむほどの光の中、魔導石に秘められたそれは爆発と膨張を繰り返す。光量が収まった時、小石程度の大きさしかなかった魔導石は、こぶし大ほどに『成長』していた。クレオン達が見ているまさに今も、規則的な膨張を続けている。それはまるで、心臓の鼓動のようでもあった。
「見たまえ、これが魔界の胎動」クリスは誇らしげに言った「我らの主が再びこの世界に君臨する前触れだ」




