(二)魔族の器
螺旋階段の果て、開けっ放しの扉を抜けた先に玉座の間はあった。破壊されたものはなかった。それどころか争った痕跡すら見当たらない。まるで何事もなかったかのように玉座の間には赤い絨毯が伸びていた。再奥にあるのはからの玉座。その脇に佇む者の姿を捉え、ルルとキリアンは足を止めた。
「やあルル、愛しのお兄様には再会できたのかい?」
クリスは柔和な笑みを浮かべた。その手に武器の類はない。帯刀もしていない。完全に丸腰。しかしルルは身構えた。
「兄さんの魔導石を返して」
「それはできない」クリスは虚空から魔導石を取り出した「我々の悲願を果たすにはこれが必要なんだ」
「タダで、とは言わないわ。オルブライトの魔導石と交換しましょう」
ルルはキリアンに目配せした。しのごの言っている場合ではない。が、キリアンは苦い顔をした。
「ここにはないよ。ある人に預けている」
「嘘でしょ」
「残念ながら本当だよ」
ルルは目眩を覚えた。師匠だ。それ以外に考えられない。よりにもよって。
「なんで持ってないのよ! 取引する気あるの?」
「囮役の僕がオルブライトの魔導石を持っていたら、捕まった時にどうしようもなくなるだろ」
「仲間割れはよしたまえ」
クリスが仲裁に入った。
「いずれにせよ取引に応じる気はない。それにジキルの魔導石は、私が預かった方が君達にとってもいいと思うけどね」
「どういう意味だ」
「魔導石は魔力を供給するだけの触媒じゃない。これは魔界とこの世界を繋ぐ『扉』だ。『扉』を介してのみ魔族はこの世界に関与することができる」
クリスの手がジキルの魔導石を弄ぶ。紅玉に似たそれはどこか禍々しくルルの目には映った。少なくとも魔獣などのいわゆる普通の魔導石とは一線を画している。
「ところが魔神が降臨できるほどの『扉』は遥か昔に粉々に砕かれてしまった。四散した欠片はこの世界の生きとし生けるもの身体に宿ったわけだが……そもそも人間が抱く魔導石では『扉』が小さい上に属性反発作用があるから、魔導石を介して魔族はこの世界に関与することはできない」
通常ならば。
言外に付け足された条件に、ルルの背筋に怖気が走った。得体の知れないものに対する恐怖か。それとも本能的に危機感を抱いているのか。
「そこで考え出されたのが『原初の魔女』だ。魔族の血を引く『器』をこの世界に産み落とす。血族ならば属性反発作用は起きない。自我の確立していない赤児の時に体内にある魔導石を介して『器』を支配下に収める」
ルルはクリスから数歩後退った。耐えられなかった。淡々と語るこの魔女がとんでもない化け物のように思えてならない。
「あんた……自分が何を言っているのか、わかってんの」
「確信をもって言っているよ。なにせ『私』がそうなのだから」
『クリス』は仰々しく身を折って挨拶した。
「初めまして、野蛮で脆弱な猿ども。私の名はクリス。この身体の本来の持ち主の親にして、宵闇よりもなお深き方の眷属ーー君たちが魔族と呼ぶものだ」




