(八)孤立無援の王女様
ささやかな晩餐会も終わり、他の客人も帰路についたところでなおも大広間に残る者がいた。一人はクレア。そしてもう一人は、カルロ=カスターニ伯爵だった。あとは使用人が数名、客人のために茶を淹れたりと給仕に徹している程度。
クレアは視線を室内に巡らせた。控えていた使用人達はすぐさま主人の意図を察して、慇懃に礼をした後に退室する。
「……どういうおつもりなのです? カスターニ伯爵」
「どういうつもりかと問われましても、私には一体何のことだか」
「何故ジキル=マクレティに接触したのかと訊いています」
ジキル本人からそんな話は全く聞いていないが、晩餐会での会話でクレアはおおよそを察した。レムレス地方特有の獲物の処理方法を、南部地方を治める伯爵が知るはずがない。今朝、ジキルは仕留めた獲物を処理すると川辺に向かっていたから、おそらく獲物を捌いている所を見たのだろう。山の中だ。たまたま目撃したとは考えにくい。
つまり、自分の預かり知らないところで、カスターニ伯爵はジキルに会った――あるいは、手下に会わせた。
「かの邪竜オルブライトを打ち倒した『魔獣狩り』とは、どのような男かと思ったもので」
もっともらしいことを言う。しかし単なる興味ならば、ジキルにも気づかれないように密かに調べさせればいい。
失言を指摘されたカスターニ伯爵が動揺した時、ジキルは小さく声を漏らしていた。カスターニ伯爵が獲物の処理方法を知っている理由に心当たりがあったのだろう。
「彼に、何を吹き込んだのです」
「忠告を少し」
意味深な言葉にクレアの目が細まる。
「脅迫の間違いではなくて?」
「さすがはクレア様、手厳しいですな」カスターニ伯爵は快活に笑った「ご安心を。まだ危害は加えておりません」
裏を返せば、ジキルが引かなければ、実力行使も辞さないということだ。
「以前にもご説明しましたが、今回の婚約は国王陛下の一存によるものです。あれにはもちろん、わたくしにも決定権はございません」
仮に、ジキルに決定権があったとしてもこの婚約を破棄するかは甚だ疑問だった。
僅か数日とはいえ、直接ジキルと会いその人となりを知った。クレアの中で彼の評価は下がる一方だった。面倒事は全て弟に押し付けて生きてきたような男だ。自ら決断する度量なんてあるはずがない。今回の件も、ただ黙って嵐が過ぎ去るのを待てばいいと、根拠もなく楽観している。どこまでも他人事な態度がクレアには許し難かった。
「陛下が何をお考えなのか、わたくしにも理解しかねます」
貴族にとって結婚とは政治的に有効な『契約手段』だ。王族となればその効力は絶大。他国に嫁がせれば生まれてくる子は、その国の次代の王であると同時に、自国の親族になる。
「おそらく陛下の狙いは、クレア様を孤立させることにあるのでしょう。意味のない結婚をさせることにより、後ろ盾を得られないようにする」
クレアは微動だにしなかった。頷きこそしなかったが、内心ではほとんど同じことを考えていた。カスターニ伯爵の言う通りなのだろう。
第五位王位継承権を持つクレア王女が国内の有力貴族と結べば、いずれダニエル現国王の子と王位を巡って対立するかもしれない。それをダニエル国王は恐れたのだ。
「お可哀想なクレア様、先代のアダム国王陛下が早くに身罷られたばかりにこんな不遇な思いをなされて」
順当でいけば、前代のアダム国王が亡くなった時に次期国王となるのはクレアのはずだった。それができなかったのは、クレア=リム=レティスが『幼く』て『女性』だったからだ。しかし、もしも二つの要素が消えれば――ダニエル国王の懸念は、つまるところクレアの秘密が公になることだ。
「多少窮屈な思いはしておりますが、不自由はしておりません」
クレアには常に護衛兼監視役が備えられている。国王の命によるものだ。こんな片田舎に訪れていても、クレアの動向は逐一王都へと報告されているという。
(伯爵とのことがバレたのかもしれない)
怪しまれないよう手紙のやりとりは控えてきた。が、クレアと接触できる数少ない貴族にカスターニ伯爵は名を連ねている。今はまだ国王の信頼が厚いので、特に咎め立てもされていないが、今後はどうなるかわからない。
考え込むクレアに何を思ったのか、カスターニ伯爵は探るように訊ねてきた。
「クレア様、よもやあの『魔獣狩り』と婚姻をなさるおつもりでは」
そんな馬鹿なと一笑に伏したいところだが、クレアはあえて曖昧な返答をした。
「陛下のご命令ならば、それも致し方ありませんね」
良いか悪いかで問われれば断然後者だった。見返りがない上に本人に好ましい点が全くない。生産的どころか不利益な婚姻だ。
それでも仕方ないと思えるのは、クレア自身が諦めているからだ。邪竜オルブライトに捧げた身だ。今さらいけ好かない者との結婚程度で騒ぐのも馬鹿馬鹿しい。
ともすれば自暴自棄とも取れるクレアの発言にしかし、カスターニ伯爵の目がきらめいた。
「しかし、婚約相手がいなくなればどうでしょう? いかに国王陛下といえでも死人と婚約を結ばせることはできますまい」
クレアは自分の顔が強張るのを感じた。軽々しく放たれた言葉は、あまりにも冷酷で短絡的だった。
「カスターニ伯爵、まさか……」
返答の代わりにカスターニ伯爵が楽しげに頬を緩めたのと、悲鳴が聞こえたのはほぼ同時だった。