(十一)対峙する婚約者
ギデオンはクレア王女の正体を知らない。
何も知らないから恋をした。クレアが男であることを知らないから言い寄った。結婚しようとしたーーと、ジキルは思っていた。
「そいつは知っていた」
クレオンは吐き捨てた。
「僕の母のことも、僕のことも、知っていて『クレア』と結婚しようとした」
「はああっ! ?」
相手も状況も忘れてジキルは声をあげた。顎が外れそうになる。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
「え、だって……お、」
とこ同士じゃないか。言葉が途切れた。不意にジキルの脳裏に今までのことが蘇った。
リリアは十二歳であることを差し引いても無邪気で可憐だった。まるで恋も何も知らないかのように。
ギデオンはそんなリリアに辛く当たっていた。婚約者だというのに、人前だろうがお構いなしに。まるで嫌悪しているかのように。
「つまり、ギデオン王子には、その……そういう気が元々あったと?」
「貴様のような下賤な女にはわかるまい」
縛られた状態のギデオンが噛み付いた。
「この国を統べる高貴なレティス家の者が、あのような下衆とまぐわうなど……許されることではない! 我々の純血は守らなければ!」
そもそも同性では跡継ぎが生まれないのだが、この王子サマは過剰な選民思想が先行してそこまで考えが至らないらしい。もしかすると純血だのという屁理屈も、自分を正当化するための言い訳なのかもしれない。
ジキルは呆れて物が言えなかった。
「なんだその目は?」
「お答えしましょうか」
「ふん、貴様などに理解できるとは思ってはおらん。だが侮るのは許さん!」
では上に立つに相応しい品格と矜持くらいは備わっていてほしいものだ。ジキルはギデオンを視界と意識から外すことにした。
「これでわかっただろう」
「まあ、お前が怒るのはもっともだと思うよ。でもそれはこいつを殴り倒せば済むことだ」
「殺すだけで済むものか。僕たちが受けたのと同じだけの苦しみを味合わせてこその復讐だ」
ギデオンが引きつった悲鳴を漏らした。この馬鹿王子他レティス王家の連中をクレオンに差し出せば、丸く収まるような気がしてきた。
(でもそれは、クレオンが余計に苦しむだけだ)
憎い奴を倒せばそれで終わるほど、世の中は単純ではない。ブレイク伯爵の件で、ジキルはそれを痛いくらいに味わった。
「さて、どうする。ジキル=マクレティ」
クレオンは魔剣の切っ先をギデオンに向けた。
「そいつを守るために僕と戦うか。僕に騙され、魔導石を奪われた復讐のために戦うか」
ジキルは懐からナイフを取り出した。獲物を捌くための刃物類一式を取り出して床に置く。ヒラヒラなスカートもいい加減邪魔だ。ジキルはナイフで豪快に使用人の服を裂いて脱ぎ捨てた。下に着ていたのは簡素な旅衣だが、身軽になった。これならばたぶん一発くらいならクレオンを殴れるだろう。
「さっきも言っただろ。俺はお前と決闘しに来たんじゃない」
クレオンの言い分は聞いた。全てとは言い難いが理解もした。だから、今はもう話すべきことはない。
決断すべき時だ。クレオンは考えを改める気はない。そして自分は、クレオンの望みを叶えてやるわけにはいかない。ジキルは苦笑した。短絡的なこの性分はきっと一生変わらないのだろう。
「お前は婚約を破棄したつもりかもしれないが、俺は承諾した覚えはない。しかも俺はこの前、お前に一応求婚した。つまり準家族と呼んでも差し支えない間柄なわけだ」
ジキルは右の拳を突き出した。
「俺はルルやロイスが間違ったことをするなら、とりあえず殴ってでも止める。だからお前が復讐の道を突き進もうというのなら、殴ってでも止める」




