(七)なんだか怪しい伯爵
ちょうど部屋の外に控えていたレオノーレ侍従長にクレオンの居場所を訊ねる。が、彼は所用があって屋敷を離れているという。
(こんな時に……)
なんというタイミングの悪さ。筋違いだとわかっていてもクレオンを責めたくなった。
「何か言伝がございますか? 今すぐにとは参りませんが、クレオン様がお戻りになりましたら、私からお伝え致しましょう」
ありがたい申し出だが、肝心のクレオンの帰りが遅くなれば意味がない。レオノーレ侍従長に話してよいものか、という懸念もある。
悩んだ末にジキルは一つだけ頼むことにした。
「この屋敷で体調を崩す方が出てきたら、教えていただけますか?」
レオノーレは意図を推しはかるようにジキルを見つめた。
「これから……でしょうか?」
「はい。これから」
ジキルは大きく頷いた。
「確率は五分ではありますが、もしかすると今晩あたりに不慮の事故が起こるかもしれません。その際は、ぜひ私を呼んでください。いい薬をお渡ししますので」
拳を握って力説するジキルにやや気圧される格好で、レオノーレは了承した。
「ではお邪魔しました。これにて失礼」
ジキルはそそくさと広間に戻った。幸いなことに貴族の面々は話に夢中で、ジキルが席についてもお構いなしに国内の情勢がどうこう言っている。ご苦労なことだった。自分のことで手一杯のジキルにはとてもじゃないが真似できない。
ひたすらに豪華な食事を堪能することにジキルは精を出した。複雑な味わいのスープをすすり、焼きたてのパンをお代わりし、メインディッシュのステーキを残らず平らげた。
「魔獣狩りの仕事は重労働とお見受けする。こんなに腹をすかしているのだからな」
カスターニ伯爵の揶揄も何のその、ジキルは食後の紅茶を一口。薫り高い逸品はレムレス地方領主御用達の最高級の茶葉を使ったものだ。
「もしや、今日も狩りに精を出していたのではないかね?」
「ええ、まあ……山で少々、魔獣を」
口ごもりながらの返答に、カスターニ伯爵は大仰に驚いてみせた。
「さすがは魔獣狩りと呼ばれるだけはある。料理人によって調理加工された肉をフォークとナイフで切り分けるよりも、川で獲物を捌いていた方がお似合いではないか」
クレオンにも言われたことだった。自分でもこんな晩餐の席にいるよりは、山で狩りをしていた方が楽しい。覚えはないのに敵意を向けられることに内心辟易していたジキルは、カスターニ伯爵に質問した。
「伯爵は狩猟を嗜まれるのでしょうか?」
「魔獣狩りのジキル殿と比べれば、まだまだ」
謙遜の台詞を吐いて、カスターニ伯爵は嘲笑った。大貴族様からすれば狩猟とはあくまでも趣味程度だ。生業とするのは下賤な者だけ。魔獣狩りも然りだ。
「それにしては獲物の処理方法をよくご存知ですね。地方によって違うと聞いておりますが」
川に漬けて獲物の肉を冷却する手法はレムラ地方特有のものだった。他では氷を獲物の身体に詰めたり、もっと寒い地方では庭先に放置しているという。そもそも獲物の処理は召使いの仕事だ。貴族であるカスターニ伯爵が知っているのは少し奇妙だった。
ジキルとしてはただそれだけで、他意はなかった。が、カスターニ伯爵の顔は僅かに強張った。垣間見せた動揺は、ジキルに疑念を抱かせる。そして疑念は、ある可能性を浮上させた。
「……あ」
ジキルが川で獲物を処理していたのは今日の昼前のこと。その際に現れた謎の黒ずくめの男本人、あるいはそれを命じた者ならば当然報告も受けて、ジキルがどのようにして獲物を処理していたのかも知っているはずだ。
「血なまぐさいお話はもう結構」会話の終了を示すようにクレアは手を打った「食事に相応しい話をなさい」
咎めるような視線はジキルへ向けられる。理不尽さに高級茶の味もわからなくなった。最初に喧嘩を売ってきたのはカスターニ伯爵だ。ジキルは反論もしていない。ただ素朴な疑問を口にしただけで何故責められなければならないのか。
(早く帰ろう)
こんなに割の合わない仕事は生まれて初めてだ。竜の尻尾でも踏みつけてしまったのだと解釈し、さっさと帰ろう。ロイスに猪もどき肉で夜食を作ってもらうのだ。