(二)捨てられた魔女
「く、れ、おん……」
何故。どうして。視線で訴えるジキルを見下ろすクレオンは仮面を被っているかのように無表情だった。迷いも、一片の躊躇もない。冷静に血を流して倒れるジキルを眺めていた。
「何度も言ったはずだ。僕はお前が大嫌いだと」
クレオンはせせら嗤った。
「何を勘違いしたのか、結婚だのなんだのお前一人で勝手に盛り上がっただけだ」
ジキルは痛みを訴える腹に手をやった。赤黒い、血。鮮やかとは言い難い、濃く深い赤だった。ああこれはまずい。非常にまずい。
「最初、から……?」
「ああ。本当はオルブライトの魔導石を奪って終わるはずだったんだが、お前の母親のことを知って作戦が変わった。<扉>を開くにはより強力な魔導石が必要だ。原初の魔女の魔導石を使わない手はないだろう?」
クレオンの手が魔導石を弄ぶ。血のように紅い、ジキルの魔導石だ。
「婚約破棄は?」
「相変わらず頭の悪い奴だな。お前を呼び戻すための嘘だ。オルブライトの魔導石と一緒にここに来させるために、サディアスを仕向けたんだ。それに、王族の結婚となれば国内有数の貴族が王都に集まる。連中を一網打尽にする絶好の好機だ」
つまるところ、クレオンはジキルが帰ってくるとは思っていなかったのだ。プロポーズまでして、約束もしたのに。
「俺は戻ると言った」
ジキルは奥歯を噛み締めた。
「約束だから、必ず戻ると言った。どうして信じてくれなかったんだ」
「馬鹿を言うな。僕は誰も信用しない。ましてや愛だの家族だの……虫唾が走る」
クレオンは吐き捨てた。
「十六年だ。お前に想像できるか。僕は十六年間、お前の言う『愛する家族』とやらの都合であの塔に幽閉された」
紫水晶を彷彿とさせる瞳に憎悪が閃く。
「国王が自分の妻と子を幽閉し、母親が保身のために娘を殺して息子に代役を担わせる――それが愛か。それが家族のすることなのか!?」
それは、慟哭だった。踏み躙られた心が叫ぶ悲鳴にも聞こえた。ジキルは目を伏せた。
「だからお前が王座を奪うのか? もう死んでしまった親への復讐のために」
「奪ったんじゃない。取り戻したんだ。僕が本来受け継ぐべきものを」
「どっちでもいいけど、あのクリスとかいう魔女は危険だ。信用しない方がいい」
クレオンは鼻で笑った。いらぬお節介だっようだ。元よりクレオンは誰も信用していない。
「これでお前もわかっただろう。力のない者は、何一つ選べない――生き方も、死に方もだ」
底冷えするほどの怒気と悪意を向けられながらも、ジキルは恐怖を抱かなかった。空虚と落胆がないまぜになる。胸の奥がしんと冷え切ってしまった。
「あなた、最初から利用されていたのよ。かわいそうにね」
アリーの口調は楽し気。その笑顔は禍々しく、女の情念を感じさせる。
「そうか」
自分の声が遠く聞こえた。
独りよがりだったのだ。クレオンは誰の助けも必要としていない。自分一人で切り開いていく。何を犠牲にしてでも突き進むのだ。彼の計画において、平民の魔女など魔導石以外の利用価値はない。最初からジキルは必要とされていなかったのだ。
「……なんだ」
ジキルは大きく息を吐いた。自分も性別を明かさなかったのだから、クレオン一人を責めるのもおかしい。ましてや王族との結婚など最初から無理だとわかっていた。
でも本気だった。
本気でクレオンと一緒に生きていきたいと思った。地位や権力も金も何もかも捨てて、ただの人間同士、肩を寄せ合って生きていけたらと願った。
「かわいそうだから生かしておいてあげるねー」
「魔導石の礼だ。命は助けておいてやる。だが、二度と僕の前に姿を現すな」
置き土産とばかりに台詞を残して、クレオンとアリーは玉座の間へと向かう。床に転がったジキルには目もくれない。
「残念だよ、クレオン」
遠ざかるクレオンの背中が歪んだ。幕が張ったかのように視界がゆらぐ。ジキルは自分が泣いていることに気が付いた。
「俺は好きだった。今でも。大好きだ」




