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  (四)突然の来訪者

 ジキルが帰郷してから五日が経過してもクリスは現れなかった。

 玄関先にぬいぐるみ爆弾が置かれることも、毒入りの夜食が送られることもない。変わり映えのない、どこまでも平穏な日々――それでも、ジキルは警戒を怠らなかった。

 二日とあけずに師匠と手紙のやりとりをしているキリアンもそれは同じだった。

 師匠からの手紙によれば、王都は至って平和なようだ。ギデオン王子もクレア王女も無事に帰還している。特に大きな事件が起きるわけもなく、熊と遭遇することも、狼に追いかけられることもない。それゆえに『平和』だと師匠は断じていた。

 判断基準が間違っている気がするが、ジキルは黙っておいた。

 森の物騒さはさておき、この静けさにはキリアンも違和感を覚えているということだった。

「獲物を狩る間際。弓の弦が引き絞られているような、そんな気配がする」

 つまりいつ矢が放たれてもおかしくない一触即発の状況。ただ漫然と過ごすわけにはいかない。

 ジキルは母の書斎を漁り、魔導書を読みふけった。

 レナはジキルを生んですぐに、膨大な魔導書を地下に隠し、故郷であるレムラから旅立った。ろくに魔法一つ使えなかった落ちこぼれ魔女のくせに研究熱心だったようだ。薬草辞典や禁呪と呼ばれて差し支えない魔法、魔法の起源について論じているものなど、蔵書は多岐に渡った。

 ともすれば食べることも忘れて魔導書を読み続けるジキルを、ロイスは食事の時間が来るたびに『にくきゅう』まで呼び出した。どんなに確信めいた箇所を読んでいようが関係ない。ちゃんと食べるまで解放してくれないので、ジキルは半ば強制的に三食規則正しくいただいていた。

「兄さーん」

 ジキルは読みかけの魔導書から顔を上げた。食事も終えた昼過ぎ。夕食にはまだ早い時間だ。ジキルは一つ伸びをして、書斎から退室した。

「何かあったのか?」

 食堂まで出てくれば、ロイスが手で来客を示した。

「お知り合いですか?」

「サディアスじゃないか」

 ジキルは目を見開いた。騎士の制服こそ着ていないものの、癖のあるハシバミ色の髪と優しげな相貌は見間違えようもない。サディアスは軽く会釈した。

「突然すまない」

「いや、全然構わないけど……大丈夫なのか?」

 とても公表できないだろうが、リリアが『暁の魔女』の一員だとすればオズバーン家とて無傷ではいられない。サディアスも少なからず影響を受けているはずだ。

「近衛連隊長の職は辞しているから、時間は有り余るほどあるさ」

 サディアスはさらりと言った。口調に皮肉の色はない。

「辞めたのか?」

 自分でも白々しいと思いながらもジキルは「どうして」と理由を訊ねた。

「リリアのことで色々――本当に、色々なことがあったんだ。詳しくは道中で説明したい」

「道中?」

「俺と一緒に王都に来てほしい。情けない話だが、君以外に頼れる人がいないんだ」

「ちょっと待ってください」

 ロイスが慌てて口を挟む。

「どういうことですか? 兄はクレア王女の婚約者とはいえ、ただの平民です。大してお力になれないかと思うのですが」

 きょとんとするサディアスに、ジキルは「弟のロイスだ」と簡潔に紹介する。

「挨拶が遅れてすまない。元近衛連隊長のサディアス=ドナ=オズバーンだ。君の兄上にも関わりのあることだから、どうしても王都に来てほしいんだ」

「一体、何があったんだ」

「端的に言えば」

 サディアスは肩を落とした。

「ギデオン王太子殿下がクレア王女と婚約することなった」


明日は『清くも正しくも美しくもない』を更新いたします。

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