(十)求婚する平民
「でも、」
「僕は下賤な罠猟師ごときに心配されるほど、落ちぶれてはいない」
「あの、俺……」
言わなければ。この場で伝えなければきっと後悔する。わかっていたが、どうしても告げられなかった。いっそいつものように罵ってくれれば正直に答えられただろうに。
「帰ってくるから」
気づけばジキルは約束を口にしていた。守れるかどうかもわからないものを。
「ロイスの安全を確保したら、必ず戻ってくる。そしたらクレオンに聞いてほしいことがあるんだ。たぶん、怒ると思うけど、それでも聞いてほしい」
「ずいぶんと身勝手な言い草だな。僕が不誠実な婚約者を待ち続けるとでも?」
「待たなくていい。勝手に会いにいく。たぶんクレオン、俺に失望すると思う。赦せないかもしれない。でも、もし、それでもいいと思ってくれたなら」
ずいぶんとムシのいい話だった。クレオンでなくても理不尽さに怒るだろう。でも、それでも言わずにはいられなかった。
「俺と結婚しよう」
「な……っ!」
クレオンが困惑と驚愕に唇をわななかせた。意味がわからない、と言わんばかりの顔だった。実のところ、自分で言っておきながらジキルも驚いていた。
「……正気か?」
ジキルは頷いた。間違いなく正気だった。
本気で考えた。どうすればクレオンを助けられるだろう、と。
彼の望みは王位の継承だ。ギデオン達を失脚させて、王位を奪還する――しかし、そんなことは不可能なのだ。全員を暗殺してまわらない限り無理だ。自分が先代国王の正統なる嫡子であることを宣言しても、周囲がそれを認めないだろう。
クレオンの望みを叶えるためには、血なまぐさい争いは避けられない。
(でも、そんなのは不幸だ)
仮にクレオンが根っからの貴族で、家族の情や絆などに価値を置かない人間だとしたら、ジキルとてこんなおせっかいはしない。
しかし、クレオンは復讐に走ろうとしたジキルを止めてくれた。家族三人でレムラで暮らしたいという、ささやかな夢を聞いてくれた。ロイスを心配するジキルを思い遣ってくれた。
そんなクレオンならば、王になれなくても幸せになれる。宮廷の外でも、どんなところでも生きていけると思うのだ。
「一緒にレムラに帰ろう。俺、そんなに甲斐性はないし、贅沢はさせてやれないけど、クレオンにひもじい思いはさせないと約束するよ」
もちろん、全部解決してからのことだけど。選択肢の一つとして考えてほしかった。
「僕に、ただの平民になれと言うのか? 貴族としての身分も王位継承権も、何もかもを捨てろと」
「そうだね。すぐに決められることじゃない」
ジキルとていきなり王になれと言われたら戸惑うし、実際クレアの婚約者になっただけでもかなり苦労している。貴族から平民になるのも相当大変だろう。
「だから考えておいてくれ。無理強いはしない」
クレオンは沈黙した。否定もせず、かといって肯定もしない。困惑の色が濃かった。
「俺は、クレオンとずっと一緒にいたいと思ってるよ。でもごめん。俺は『王女様』とは結婚できないんだ」
言うだけ言って踵を返したジキルをクレオンが引き止めた。
「旅荷を忘れるな」
ジキルの部屋から持ち出したらしい。抜かりのなさはさすが貴族だ。荷物を手渡す際、クレオンはジキルの手を強く握った。
「期待はするな。だが、考えておいてやる」
クレオンは真剣な眼差しで告げた。怒ることも、鼻で笑うこともしない。ジキルの心意気をくみ取って本気で考える。
「だから必ず戻ってこい。僕の返事を聞きに、戻ってこい」
「うん、ありがとう」
ジキルは掴まれた手を握り返した。美しくなめらかな貴族の手だった。
「初めてだな。お前と握手したの」
クレオンは鼻を鳴らした。が、一層強くジキルの手を握った。




