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  (九)背中を押す王女様

 ジキルは有無を言わせず馬車に押し込まれた。次いでクレオンも乗り込み、すぐさま馬車は動き出した。訊くまでもなくパーセンに戻っているのだろう。つまり、レムラから遠ざかっている。もしかしたら危険が迫っているかもしれないロイスから。

(荷物なしで逃げるか……)

 多少の路銀はある。魔剣も装備している。レムラになら十分たどり着けるだろう。問題はただ一つ。ジキルは向かいに座るクレオンを盗み見た。

 彼はどういうわけか手慣れた様子でドレスに着替え始めている。クレアとして行くつもりらしい。一人二役の大変さをジキルは今さらながら感じた――いや、そんなことはどうでもいい。とにかくロイスだ。オルブライトの魔導石なんぞくれてやるが、弟にだけは手を出さないでいただきたい。

(仕方ない)

 クレオンに事情を説明して降ろしてもらおう。ジキルが意を決して話しかけようとしたら、クレオンは御者に命じて馬を止めさせた。

 もうパーセンに到着したのかと窓の外を見れば、街道から少し逸れた人気の無い場所だった。完全にクレア王女の姿になったクレオンが馬車から降りる。

 休憩。貴婦人ならば珍しくもないが、クレオンは騎士だ。状況的にも不自然だった。わけがわからないままジキルもまた馬車から降りた。

「クレオン、いきなりどうしたんだ」

「わたくしはクレアですわ」

 馬車から離れた所で、周囲を見回してからクレオンは向き直った。

「さっさとお行きなさい」

「え」

「レムラに行きたいのでしょう?」

 ジキルは言葉を失った。何故気づいた。オルブライトの魔導石のことも、ロイスのことも言っていないのに。

「わたくしはあなたの婚約者です。いきなり荷造りを始めたら、あなたが何をするつもりかなんてすぐわかりますわ」

 クレオンはジキルを見据えていた。鋭い眼差しに浮かぶのは拒絶ではなく覚悟。

「でも、クレオン……」

「何度も言わせないでください。わたくしはクレアです。それに『様』を忘れておりますわよ」

 指摘する声は心なしか柔らかかった。

『暁の魔女』がクレアの正体を知っているかもしれない。これからまた襲撃される可能性だってある。それに、ギデオン王子の件もある。婚約者であるジキルが行方不明になったら、ギデオンが嬉々としてクレアにアプローチをしてくるのは目に見えている。ジキルよりもずっと賢いはずのクレオンにそれがわからないはずがない。

 なおも迷うジキルの目の前でクレオンはチョーカーを外した。

「早くいけ。お前のあるべき場所へ」


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