(七)颯爽とした猟師
「キリアンがどうしてここに」
口にしてからジキルは壁に激突するところだったことを思い出した。
「あ、その前にありがとう。助かった」
「どういたしまして」
キリアンは身を起こして立ち上がった。次いでジキルの手を引いて立ち上がらせる。乱れてしまったジキルの髪を撫で付け、服についた埃を払う。爪先から頭のてっぺんまで眺めてから「怪我はなさそうだね」と結論付けた。
「間に合ってよかった。実は今朝「おい」
不機嫌な声が割って入った。警戒、というよりは敵意を露わにクレオンが睨んだ。抜いたままの魔剣はいつでも振るえるようにしている。
「貴様は何者だ」
「初めまして。僕の名はキリアン。ジキルの友人だ。この屋敷の近くにある森で猟師をしている」
「どうやってこの屋敷に忍び込んだ」
「あのドアから」
キリアンは部屋に一つしかない扉を指差す。その先には、フルアーマー〈全身鎧〉が鎮座していた。いつの間に。
「なんだアレは」
「僕の母」
弾かれたように動いた鎧が盛大な音を立てた。小さな竜を彷彿とさせる鋭角的な全身鎧だ。
「さあ母さん、挨拶を」
ずりずりと後ずさる鎧。兜で表情は伺えないが、どことなく怯えているように見えた。相変わらずのようだ。クレオンは剣呑な眼差しを向けた。
「何故、顔を見せない」
「人見知りなんだ。とにかく他人と直接対面するのが嫌で、可能な限り避けようとする。どうしても外出しなければならない時はああして全身鎧を装備して姿を見られないようにするんだ」
「……そういう問題なのか」
クレオンに怖気づいたらしい。ガチャガチャと甲高い音を立てて鎧がキリアンの背中に回り込む。背後に隠れているつもりなのだろう、本人は。しかしあいにくキリアンは背こそ高いがほっそりとした身体なので、とても体格のいい全身鎧は隠せなかった。
期せずしてクレオンの背中に隠れてこちらを伺うリリアと同じポーズ……なのだが、いかんせん鎧なので違和感が半端なかった。見かねてジキルは助け舟を出した。
「前に話していた、古い友人だよ。ほら、猪肉をくれた」
「猪を狩る猟師が何故この屋敷に来た」
「警戒を促すつもりで来たんだけどね。どうも遅かったみたいだ」
キリアンは肩をすくめた。背後の鎧も一緒に。
「今朝、僕達のところにもクマのぬいぐるみが仕掛けられていたんだ。間一髪母さんが気づいて投げ飛ばしたから実害はなかったんだけど。ジキルの所にも仕掛けてくるんじゃないかと思ってやってきたら案の定、というわけさ」
「どうしてキリアンの所にまで」
「考えられるのは『暁の魔女』だろうね。君がやってきた直後に襲撃してきたから」
ジキルは思わず目を伏せた。気を利かせてキリアンは言わなかったのだろうが、その時はルルも来ていた。ルル個人としては、一介の猟師と隠居している魔女に過ぎないキリアン達に危害を加える理由はない。にもかかわらずキリアン達までもが襲撃された。
『暁の魔女』の総意なのか。ルルの意思なのか。それとも――あれこれ考えていたら、キリアンがジキルの手を取った。
「今日はパーセンで宿を取ったから」
少し強く握られた手を、ジキルは見つめた。次いで視線をキリアンに戻す。穏やかな表情を浮かべるキリアンは、一見いつも通りのようだった。
「どこの宿?」
「大熊亭」
それならばジキルも知っている。一階が食堂で二階が宿泊部屋の典型的な宿だ。熊肉料理を出すことから宿の名前が付いたという。
「いつでもどうぞ」
ジキルが頷くと、キリアンは手を離した。背中に引っ付いている鎧に「戻ろう」と声をかける。どちらが保護者なのかわかったものではない。
「突然失礼いたしました。では、僕たちはこれで」
「待て。お前達の疑いが晴れたわけじゃない。詳しく話を聞かせてもらう」
「じゃあね、ジキル」
キリアンは爽やかに挨拶した。クレオンの怒気にも全く頓着していない。
「おい、聞いているのか」
「断固拒否するよ。クレオン殿下」
クレオンは息を呑んだ。大きく目を見開いてジキルの方に顔を向ける。思わずジキルは首を横に振った。言うわけがない。いくらキリアンでも。
動揺しているその隙にキリアンとフルアーマーは窓に向かって駆け出した。
「キリアン!」
ジキルの声を背に、二人はバルコニーから飛び降りた。慌てて駆け寄ったが、木々に遮られて既にその姿は見えなくなっていた。




