(六)連携する婚約者
自覚はあった。パーセンの一件依頼、クレオンに対して心が狭くなっている。以前ならそういうものだとあきらめていたことが、許せなくなっている。それだけ、心を寄せているということだ。
しかし、本人を前にして素直に認めることはできなかった。
「別に、普通だよ」
「どこかだ。特にリリア様のことになると、」
絶好のタイミングで部屋の扉がノックされた。噂をすれば影。なんと王太子妃がやってきたのだという。クレオンはすぐさま近衛連隊長の制服に袖を通した。
「クレア様は外されているから、僕が代わりにお迎えするとお伝えしろ」
この状況でそれをするか。確証にまでは至ってないが、ジキルがリリア絡みで不快な思いをしていることに勘付いていながら。クレオンの配慮のなさとリリアの厚遇ぶりにジキルは呆れてものが言えなくなった。さすが王太子妃、平民とは雲泥の差だ。
「俺、帰るね」
「待て。話は終わっていない」
話が終わっていないのにリリアを優先させる奴に、呼び止められる謂れはない。
事情説明とか面倒だからもう黙って出ていこう。レオノーレには悪いが、クレオンと自分が、説明し弁明しなければならないほど親密な関係とは思えない。
少なくともクレオンの中では自分はさほど上位にいるわけではないようだ。
「王太子妃様のご用が終わって、時間があったら聞くよ」
その頃までにジキルが屋敷内にいれば、の話だが。
荷造りは終わっている。背負って窓から逃げよう。置き手紙には「旅に出ます。探さないでください」とでも適当に書いておけばいい。
まずはキリアンのところに足を運んで、長旅に必要なものを揃えるついでに、キリアン達に一時避難するようお願いしよう。サディアスに仮小屋の場所を知られている。ジキルの逃亡が発覚した際、真っ先に押しかけるのは仮小屋と故郷のレムラだ。
裏を返せば、その二つしか把握されていないということだ。逃げ切る自信はあった。
逃亡の算段がついたところで部屋を退出しようとしたら、供を引き連れたリリアがやってきた。華奢な身体に萌葱色のドレスが大変よく似合う。
慌ててジキルは姿勢を正した。が、リリアはクレオンしか眼中にない。目的のクレアが不在にもかかわらず目を輝かせた。
「クレオン様、ご機嫌いかが?」
「おかげさまで変わりなく職務についております。先日のリリア様のお心遣いに感謝いたします」
クレオンは恭しく礼をした。
「本来ならば私の方から出向いて御礼を申し上げるべきでした。ご無礼をお許しください」
「いえ、そんな、私はただクレオン様のお力になれればと」
頬を赤く染めて言うリリアはまさに恋をする少女そのものだ。誰か止めろ。
(あれ?)
ジキルは首を傾げた。ギデオン王子はクレアが好き。リリアはクレオンが好き。夫婦(になる予定)が揃って同じ人間に惚れているということだ。
(うわー……)
改めて考えると相当面倒な事態になっている。クレオンは一体どうするつもりなのだろう。
「本日はクレア様にどのようなご用で?」
「御礼を申し上げようと参りました。今朝は素敵な贈り物をありがとうございます」
クレオンとジキルは顔を見合わせた。
リリアに贈り物。全く覚えがない。クレオンもそれは同じだったらしく、遠慮がちに訊ねた。
「失礼ですが、贈り物とは……?」
「クマのぬいぐるみですわ」
リリアは侍女に目配せした。心得たとばかりに両の手でクマのぬいぐるみを掲げた。赤いリボンが特徴的な可愛らしいクマだった。
ジキル、と耳元で鋭い警告。ジキルとクレオンの血相が変わったのはほぼ同時だった。
「動くな」
言うがな否や、クレオンはリリアの手を掴んで、侍女から引き離した。途端、クマのつぶらな瞳が煌めいた。
「き、いやぁあああああっ!」
侍女の悲鳴を背景にクマは膨張。思わず侍女は手にしていたぬいぐるみを放り投げた。
「クレオン、外だ!」
ジキルはバルコニーへと続く窓を開け放った。クレオンは魔剣を腰から抜いた。刃ではなく背の部分で思いっきりぬいぐるみを打つ。
「かがめ!」
クレオンが怒鳴った直後、窓から外へと弾き飛ばされたぬいぐるみが一際大きく膨れて爆発した。破砕音と共に突風のごとき衝撃波が押し寄せた。
爆発こそ逃れたものの、一番近くにいたジキルは衝撃をまともに受けて身体が吹っ飛んだ。受け身を取る暇もなく壁に叩きつけ――られる寸前に、何かかジキルを受け止めた。
「ぐっ」
小さな呻き声。それでもしっかりとジキルを抱えたまま倒れ込む。
「ごめん、クレオン」
衝撃を逃してもらったところで、ジキルは起き上がって目を見開いた。自身を受け止めたのは、クレオンではなかった。彼はリリアを背に庇っていた。
「こっちこそごめんよ」
床に転がった状態で、キリアンは苦笑した。
「君の王子様じゃなくて」
本日は『清くも正しくも美しくもない』も更新します。21時過ぎ頃を予定しております。




