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  (二)勇猛果敢な騎士

 柄に埋め込まれた魔導石に淡い光が灯る。魔界への〈扉〉が開かれた印だ。

「え、おい、ちょっと」

「黙っていろ」

 クレオンが短く呪文を唱えると矢じり型の小さな光が、二つ三つと現れた。光と思われたそれは正確には氷の結晶だった。

「か、皮も売れるから、あんまり傷つけるなよ!」

 クレオンは鼻を鳴らした。彼が指を鳴らすのと同時に氷の結晶は魔獣目がけて発射。弓矢を思わせる勢いで飛来した氷の刃は、魔獣の眉間に深々と食い込んだ。いかな魔獣とて身体の基本的な構造は普通の獣と変わらない。急所を撃たれた猪もどきは、もんどりうって倒れた。だが、まだ生きている。

 残していた結晶を放とうとするクレオンを制し、ジキルは猪もどきに駆け寄った。腰から大ぶりのナイフを抜いて、首の頸動脈を切りつけた。勢いよく吹き出る血から逃れるように、すぐさま猪から離れる。

 既に剣を腰に納めたクレオンは呆れたように言った。

「慌ただしい奴だな」

 それでもジキルはナイフも剣も抜いたまま、注意深く猪もどきの様子を伺った。死ぬのは時間の問題だ。しかし今際にも反撃を試みるのが野生動物というものだ。油断はできなかった。

「心臓を一突きすればいいんだけど、そうすると血抜きがあんまりできないんだ」

 はたして魔獣はあっけなく動かなくなった。あとは麓の川で内臓を取り出して冷やせばいい。猪もどきが確実に死んだのを確認してからジキルは再び獲物に近付いた。つい先ほどまで動いていた身体はまだ温かかった。何と気なしに触っていたら、不意に小さな爆ぜる音を耳にした。

 小枝を踏んで割った音とは違う。火花が散ったような、微かな音のした方を向き、ジキルは弾かれたように立ち上がった。

 猪もどきの牙、黒く鋭い二つの牙の先端同士の間に細い光が、ゆらめく線となって繋がっていた――放電している。

「クレオン!」

 ジキルが警告を発した直後、牙から青白い電撃が放出した。間一髪身を捻ったかわしたクレオンだったが、その端整な顔が歪んだ。右手を押さえているところを見ると喰らってしまったようだ。

「大丈夫か」

「うるさい。大した傷じゃない」

 右の指は全て動いていた。たしかに軽傷のようだ。手の傷よりも重傷なのは、自尊心かもしれない。完全に油断していたところに手痛い反撃。クレオンにとっては屈辱以外の何物でもない。

「まさか電撃猪だったとは」

 ジキルは恐る恐る牙に近づいた。

 牙と牙の間で発電させ、その力を使って獲物を取る。魚でも電撃で小魚を気絶させて獲るものもいることを思えば、別段不思議なことではなかった。体内に取り込んでいる魔導石の属性が風系ならばありうることだ。

 しかし、今の放電が最期の力だったのだろう。もはや猪もどきはピクリとも動かない。改めてジキルは縄を取り出して、手際よく脚を結び運びやすくした。

「慣れたものだな。剣士より猟師の方が向いているんじゃないのか」

「自分でもそう思うよ」

 クレオンの揶揄をしかしジキルは素直に肯定した。強がりでもなく本当にそう思う。自分には魔法の適性もなければ剣の才もない。多少の努力と卑怯な手でなんとか誤魔化しているだけだ。

「まさか、そのままの姿で晩餐に参加するんじゃないだろうな」

「ちゃんと着替えるよ。俺を何だと思っているんだ。それくらいの分別はある」

「分別も結構だが、礼服も持っているんだろうな?」

 ジキルは縄を担いだ格好のまま固まった。礼服。いくらレムラが故郷とはいえ、今日の晩餐会はクレア王女の別荘で行われるもの。すなわち、王家主催の晩餐。旅衣での出席など許されるはずがない。

 先日国王から賜った儀礼衣は既に売り払っている。今まで上品とは無縁の生活を送っていたのでジキルが持っている服は頑丈さを重視した旅衣や普段着ばかりだ。最後の希望は弟のロイスだが、彼だって正装する機会なんてない。着る機会がなければ当然、必要もない。

 クレオンはこれみよがしにため息を吐いた。

「付き合いきれん。どこで何をしようとお前の自由だが、晩餐の時間にだけは遅れるなよ」

 興味を失ったらしいクレオンは早々に山を下りた。手を負傷したとはいえ、重たい獲物をひきずるジキルを放って。少しくらい手伝ってくれてもいいのではないか、と思った。せめて正装のことをもっと早く言ってくれたって。文句が口を出る前に小柄な背中は木々に遮られて見えなくなった。

 一人、仕留めただけの――全く処理を施していない獲物と残されたジキルは立ち竦んだ。困惑はやがてクレオンに対する怒りへと転化する。なんて冷たい奴なのだろう!

 あんな薄情者には猪肉なんぞ絶対にわけてやらん。決意を胸にジキルは猪もどきをひきずった。

 人の気配を感じ取ったのは、肩に食い込む縄に痛みと鬱陶しさを覚え始めた頃――目的の川を目前にした時だった。

 足の運び方からしてクレオンでもロイスでもない。だいたいあの二人ならば黙ってついてくるなどという真似をする必要はない。ジキルは縄を肩から外した。

「俺に何か用か」

 茂みに向かって声を掛けるも返答はない。さてどうしたものか。

「用がないのなら、俺は獲物の処理を始めるぞ。内臓をさっさと取り出したいんだ」

 またしても返答なし。動く気配もない。あるいは沈黙が返事なのかもしれない。殺気がないのをいいことに、ジキルは宣言通り猪もどきをさばき始めた。

 川の水で泥を洗い落とし、腹を割いていく。胃や腸を傷つけたら内容物で肉に嫌なにおいがつくからことさら慎重に。ナイフを使いながら、胆のうや他の内臓を切り取って引きずり出す。

「ジキル=マクレティだな」

 魔獣の腹に手を突っ込んだ状態で、ジキルは顔を上げた。

「そうだけど、君は誰だ」

「知る必要はない」

「それでも教えてほしいな。獲物の処理の真っ最中に、黒ずくめの覆面被った人に話し掛けられる理由に心当たりがない」

 茂みからようやく現れたのは、黒い覆面で顔を隠した男だった。身体に纏う服も黒。「黒ずくめ」としか表現できなかった。

 宵闇ならば暗殺者を彷彿とさせる不気味ないでたち――夜明けを迎えて徐々に明るくなっている森の中だと、珍妙極まりない格好だった。

「クレア=リム=レティスには近づくな」

 ジキルの希望を真っ向から無視して、黒ずくめの男は一方的に告げた。

「お前には遠過ぎる高嶺の花だ。命が惜しければ二度と王女には関わるな」

 クレオンも似たようなことを言っていた。首を捻るジキルに構わずなおも男は言う。

「無論、タダでとは言わない。快く受け入れるのであれば、相応の額を支払う用意がこちらにはある。望むのであれば魔導石を対価にしてもいい」

「話の腰を折って悪いけど」ジキルは顎で自分の手元を示した「すごく中途半端だから作業進めてもいいか?」

 相手の返答を待たずに内臓を引きずり出した。覆面の奥から短い呻き声が聞こえた。動物が処理されるところを見たことがないようだ。場所をわきまえない定番の格好といい、もしかしなくとも貴族階級の者なのだろう。

 血なまぐさい光景とにおいに耐えきれなくなったのか、覆面の男は「忠告はしたぞ」とおざなりな捨て台詞を吐いて去った。

「今のは脅迫……って言うんだよな」

 ひとまずの処理を終えた魔獣の肉を川に浸しつつジキルはひとりごちた。あまりにも典型的過ぎて説得力も緊迫感もあったものではない。しかしそれはジキルの主観であり、相手はあれでも本気だったのかもしれない。

 あの黒ずくめの目的が本当にジキルとクレア王女の破談だとしたら、まずます厄介なことになる。クレア王女から離れる。近づかない。もちろん婚約も結婚もしない。ジキルは大きくため息を吐いた。

「できるものなら、とっくにやっているよ」


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