選択する未来
『…おい!天城!!』
突然、声を張り上げたのは悠太だ。何を思ったのか、消えた健作を怒ったように呼び始める。
『性質の悪い冗談だ…!どこにいる!?』
どうやら、今のが単なるマジックショーだとでも思ったらしい。いや、或いは、そう、思い込みたいだけなのか…たぶん、後者だ。それが証拠に、いつもと口調の違う悠太は、元凶である黒い物体に、決して近付こうとしない。いつもはクールって印象の彼だが、取り乱す気持ちはよく分かった。何度も言うけど、起こったのは、それほど現実離れした現象だったんだ。
女子3人は悠太の言葉に先導されたかのように、辺りをキョロキョロと見回し始めた。そんな4人に、漸く放心状態から抜け出した俺は、ノロノロと亀のようなスピードで近づいて行く。足どりがバカみたいに重い。
接近する俺に、最初に気付いたのはリーリアだった。
『ちょ…ちょっと、勇人!あんた、何、やってたのよ!!ケンサックは!?』
まるで、俺が共謀したみたいに言う。もし、今の俺が、予備知識の無い「普通の」状態だったなら、今の発言には激怒していたんじゃないだろうか。だから…
『…………』
逆に言えば、口を開くのに苦労する。その答えを持っているから。だって俺は……何が起こるか知っていた。今の光景を、前にも見ていたんだ。そう…あの夢の中で。
『…たぶん……この辺にもう、健作はいないと思う』
やっとの思いで喉から絞り出した言葉。
反応したのはめぐみだった。
『何か知ってるの!?やっくん!』
『…………』
このまま、何も分からないふりをして逃げ出すって選択肢もあった。だいたい、夢ん中での話だ。言わなくても罪にはならないし、知らなければ、誰も俺を責めることさえ出来ないだろう。寧ろ、言えば軽蔑されるかもしれない。だって、俺は知ってて、皆は知らなかったんだから。
だけどな…
『…あいつは…違う場所に移動した可能性が高い』
『…それ、どういう意味さ?』
興奮冷めやらぬ…ってな感じの悠太が、どこか刺々しい口調で先を促した。
ここで、だんまり決めこんで…どうなる?
決まってる。誰からも責められやしないだろう。何にも知らないふりして、皆と一緒に悲しみに浸るのさ。楽だろ?
バカヤロー…!
んなもん…他ならぬ俺自身が、俺を軽蔑する…!
『…前に一度、話したことがあったよな?…ここ最近、俺が見ている…その…リアルな夢の話』
そう、切り出した俺に、4人は怪訝な顔を見せた。当然だ。俺だって、こんな場面で、いきなり、夢の話なんかされたら、「何言ってんの、こいつ?」みたいな反応をしたと思う…それとも、真面目にやれ!と憤慨しただろうか?どちらにしろ、良い感情は抱くわけがない。だけど、たとえ今、悪感情を向けられようとも、「俺が消えてから」じゃ遅いから…
『…けど、まさか、こんなことが起こるなんて……いくら何でも、あり得ないと思っていたんだ…』
ただ、この期に及んで弁解めいた言葉が先に出てくるあたり、まだ、どこかで、自分を守ろうって意識が働いている証拠だろうか。みっともないよな?…震えそうになる声を、必死で制御する。
『…も…しかして、黒木さん…』
俺の言わんとするところを、いち早く察した山崎が、驚愕に目を見開いた。流石は作家志望。想像力が逞しい。あまり長々と話せる自信がなかったから、これ幸いと結論を口にする。
『…健作が消えるのを見たのは……2回目になる…』
『……っ…!?』
なら、何で助けなかった?忠告しなかった?見殺しにした?
……そんな批難の声を、覚悟してたんだ。俺は…
だが、この場にいる誰も、俺を糾弾し始めるなんてことは結局なかった。それどころか…
『…し…仕方ないよ…だって、夢でしょ?…そんなの、言ってもたぶん、誰も真に受けないって…!』
…優しすぎるぜ……
リーリアの発言で一気に目頭が熱くなり、それは堰をきって溢れだした。
くそ…かっこわりい…
大変な罪を告白したような心持ちだったんだ。こんなとき、人は思い込みが激しくなる。
『…健ちゃんは…どうなったの?…』
もらい泣き…いや、めぐみだって健作が心配なんだ。その瞳を潤ませながら俺を見据えた。
『そうだ。違う場所に移動したって、どういうことさ?』
悠太も追随する。
『…夢を…頼りにした場合の話だぜ?』
『何だっていいって。現に、黒木の夢が現実になったのって、これで2回目だろ?』
ああ、そうか…俺の夢の話が、全員にすんなり受け入れられてるのは、一昨日の事件があったからなんだ…
『…泣いてる場合…じゃないよな……』
いつ以来だろう。人前で涙なんか流したのは。もともと、あまり泣く方じゃなかった。悔しくても、悲しくても我慢出来た。だってのに…どういう理由なんだろうな?…優しくされて出る涙。……嬉しい?いいや…たぶん、情けないんだ…自分が。
服の袖で一度、涙を拭う。
4人に見つめられる中、俺は一つ深呼吸して、持っている情報を再度、整理した。
『さっきも言ったけど、健作はたぶん、違う場所に移動したんだと思う。本当なら俺は、今、この場にいないはずだったんだ』
『…どういうこと?』
めぐみが問う。
『……夢の中の俺は、すぐに健作のあとを追って、そいつに触れた』
言いながら、位置的には対面して話す悠太の後方で、今も空中で浮かぶように存在し続ける黒い物体を指し示した。同時に全員が体を動かして、それを視界に収める。
『たぶん、無我夢中だったんだと思う。健作を追いかけることで頭がいっぱいだったんだ。それで、いきなり視界が真っ白になったと思ったら…次の瞬間、俺は見たこともない、知らない場所にいた』
馬鹿みたいな話だろ?言い訳っぽいかもしれないけど、だから俺は、それをただの夢として処理した。
『だったら、早く追いかけないと…!』
『…いや、その前に、いくつか話しておきたいことがある』
ハッとなって言うめぐみに待ったをかける。夢の中の俺は軽率だった。何の検証もしてないってのに、突然、消えた健作の二の舞を踏んだんだから。それは、黒い物体に触れた健作が、消えた…というより、吸い込まれたと判断したってのと、元より冷静じゃなかったってのが重なりあった結果だろうと思う。
今、俺が冷静でいられたのは、情報量の違いが作用したからに過ぎない。つまり、実際に(夢の中だけど)瞬間移動を経験したことと、移動した先で見た情報が、判断材料になったわけだ。
『まずは、行き着く場所』
『…知らない場所って言ってなかった?』
『ああ、そう言ったけど…でも、知らなくたって分かることもあるだろ?』
『……?』
一度、目を閉じて、夢の中の記憶を引っ張り出す。
『…そこは、どっかの浜辺だった。…近くに見たこともない、でかい動物の死骸が転がってて……もしかしたら、日本じゃないかもしれない。気候も夏っぽかったし…ってことは、南半球の可能性が高いと思う』
北半球と南半球で季節は逆転するから、移動先が本当に夏なら、そこは南半球だ。
『…外国…なるほど…黒木のみてる夢って、そんなことまで分かるんだ……気味が悪いな』
『今、そんなこと言ってる場合!?空気読め!淵野辺!!』
悠太の発言にリーリアが食って掛かる。それを片手で制して、悠太に視線を送った。
『夢か現実か分からなくなるって言っただろ?』
『…悪かったよ。けど、普通、大袈裟に言ってるって思うじゃん?…いや、ごめん。続けて』
リーリアの鬼のような形相の威嚇に窮して、肩を竦めながら反論を止める悠太。さっさと話を進めたかったので、取り敢えず心の中でリーリアに感謝しておく。
『…もし、本当に行き着く先が海外なら、帰って来るのに、かなり苦労することになると思う。簡単に思い付くだけでも、言語、治安、資金……問題点は山ほどあるよな?けど、敢えて、今はそれに深く言及しないでおく』
『……?』
全員が怪訝そうにするが、俺は構わず話を進めた。
『次に、夢の通りじゃなかった場合だ。最悪、健作はもう死んでて、追いかけようとした人間も無駄死にになるってパターンだが…』
当然、一番、避けたいケースだけど、実際のところ、これは問題点として挙げてもしょうがない。起こってるのは未知の出来事で、確認のしようが無いからだ。それでも話したのは、全員に自覚しておいて貰いたかったから。そういう可能性もあると。そうして初めて、次の話がふれると思ったから。
『可能性としては、低くないと思う』
『…………』
流石に誰もが神妙な面持ちで、茶化すような真似はしない。話している自分自身、友達の死を口にした瞬間は気分が悪かった。
『…で、最後に誰が追いかけるのかってことだ』
『誰が…って…』
『要するに、皆で博打を打つような真似はしなくていいってことさ。誰かが残って、警察なり何なりに相談するとか、出来ることは色々あるだろ?』
元より、本当はこんな危ない橋を渡るのは俺だけでいいと思っていたくらいだ。夢の中では健作を追いかけるのに夢中で、他のやつらにまで気が回らなかったが、たぶん、めぐみとリーリアは、消えた俺の後を追おうとしたんじゃないかと思う。…自惚れてるわけじゃねえぜ?めぐみはそういうやつなんだって、知ってるだけだ。あと、ついでに、リーリアは馬鹿だから、後先、考えきれないだろうっつう予想ってことで。
今回、俺は夢の中より冷静でいられた。出来れば皆残って、俺たちの帰りをおとなしく待っていて欲しい。だから、無駄死にの可能性と、残る人間の必要性を語った。でもな、そう、簡単にゃ運命は変えられないんだろう。
『わたし行く…行かなきゃ…!』
案の定…いの一番にぼろぼろの吊り橋を渡りたいと立候補したのは、俺「たち」の幼なじみだった。話を聞いてなかったわけじゃない。俺がどういう心境で、いくつか問題点を挙げたのも、彼女なら察したと思う。それでも、めぐみは手を挙げた。そして…
『…っていうか、海外なら私の出番っしょ?』
俺の心境とか何も分かってない方のアホ女も、やっぱり名乗りを上げる。結局、選択肢は二つに一つ。健作を諦めるか、こいつらを巻き込むかってことらしい。
『あの…』
その声は息巻く二人の隙間から、やや、控えめに起こった。山崎だ。
『…こんなこと言ったら冷たいと思われるかもしれませんけど、天城さんを探すより先に、それが何なのか調べる必要があると思います。誰か専門家を呼んで…』
『悪いが、そいつが消えてしまわない保証がない』
山崎の意見を遮って言い放つ。そいつってのは、もちろん黒い物体のことだ。彼女の言いたいことも分かるが、そこまでのんびりしている暇はない。こうしている間にも、健作と繋がる唯一の可能性である目の前の物体は得体が知れないのだ。突然、消えてしまっても何ら不思議じゃない。それに、俺は昨日、健作の親父さんから、健作を頼むって言われたばっかなんだ。もちろん、そんな意味で言ったわけじゃないんだろうが、元より、あいつは「大切な友達」だから…
『今から、俺はこいつに触れてみる。…正直、怖い。…けどな、このまま、健作に二度と会えないことの方が、俺は怖い。それでだ…特にめぐみとリーリア』
『…?』
『なに?』
『本当に健作を追いかけて、そいつに触れるってんなら、今度はよく考えてから決めて欲しい。……さっき、深くは言及しないって言った問題点。死ぬかもしれないリスク。それに、家族のこと…分かるよな?』
待ち構える困難、それすら迎えることの出来ない可能性。そして、一番、嘆き悲しむことになるだろう、誰かの存在。このまま、何も告げずに事を起こせば、それはこれまで育ててくれた親や周りの人間に対する裏切りにもなるだろう。簡単に答えの出る問題じゃない。
『……そんなの…もう、考えたよ…』
しかし、予想に反して、めぐみの決断は一瞬だった。
『私の中で、これは凄く単純な問題なの。だって、もう、起こってしまったことだから』
『…?』
『…健ちゃんが招待不明の怪しい物体に触るのを、目の前で見ていて止められなかった。ううん。止めようとすらしなかった。…5分前に戻れるなら、そうするよ?でも、それは無理。今の時点で、私はたぶん、既に一生、後悔する。だって、行動しなかったから』
『………』
『けど、全部、取り戻せるチャンスがあるんだよ。だったら、私は迷わない。今度こそ行動する。それが、間違いだったとしても、何にもせずに後悔するより、百倍マシだと思うから』
相変わらず半泣き状態。けど、その言葉には強い意志の力が込められていると全員が感じただろう。
『くぅぅーっ…!ヤッバイね、めぐみちゃん!惚れちゃいそう!…ほら、さっさと行くよ勇人!』
めぐみの決意にぐぅの音も出せずにいると、何やら感銘を受けたらしいリーリアが、くるりと振り返り、黒い物体に向かってずんずん、進みだした。
『ちょっ…ちょっと待て!!』
慌てて彼女を追いかけ、その腕をむんずと掴む。
『話は最後まで聞け!単細胞!』
『なっ…!?誰がミトコンドリアよ!?』
『……ミト?…いや、ミトコンドリアを単細胞生物だと思ってんなら、中学校からやり直せ』
俺の台詞に今度は顔を赤く染めるリーリア。
『うっさいなあ…細かいこと気にする男はモテないぞ!』
『頭の悪い女もな。いや、んなことより…』
あまりにもいつも通りな彼女の様子に、ついつい、ペースが乱される。いや、ペースが戻されるって言った方が妥当なのか?
『…はぁ……』
…ったく。
思いっきりため息が漏れた。
『どうしても健作の後を追うってんなら、別に止めやしないさ。まあ、正直、おとなしく待っていて欲しいってのはあるけどな…だけど、今すぐ、追いかけるってのはちょっと待って欲しい』
『何で?…消えちゃうかもなんでしょ?』
『それは憶測だ。もし、移動する先が遠い場所なら、ちゃんと準備していった方が賢いだろ?』
ぽん…と、手を打ったのはリーリア。すんげえ、古臭いリアクションだが、まあ、納得したっぽい。逆に、いつもなら、だいたい、俺の提案には賛成してくれるめぐみの方は難しい顔のままだった。
『1時間だ…俺はこいつに触れて、ちゃんと健作のいる場所に辿り着いたら、そこで1時間、待つ。4人には、俺がいなくなってから、きちんと話し合って貰いたい。それでも、もし、今の考えが変わらないようなら、一度、別荘に戻って、使えそうなものを持ってきて欲しい』
『それなら、黒木も準備してから行けばいいじゃん?』
悠太の指摘。
『健作が心配だ。もし、移動した先で動き回ってたら、捜さにゃならんだろ?遅くなればなるほど、行動範囲は広がっちまう』
もともと、落ち着きのないやつだ。既に行動している可能性もある。しかも、何の打算もない行動を。そうなると、ひたすら性質が悪い。
『そう…だな。黒木、意外といろいろ、考えてんだね?』
『………』
意外と…ってのは…そこはかとなく、馬鹿にされてるような気がしなくもないが、まあ、悪気はないのかもしれない。こいつはそういうやつなんだろう。敢えて反論はせずに、肩を竦めて見せてから、俺は黒い物体を見やる。
ソフトボールくらいの黒い球体。表面は透明のグラスに入った液体のように、時折、ゆらゆらと揺らいで見える。試しに足下に落ちていた枯れ枝でつついてみたが手応えはなかった。まるで、ホログラムだ。目には見えるけど、本当は存在していない的な…観れば観るほどに、あり得ない存在。
だが、まあ、これが何であろうと、やることは一つだ。俺はもう一度、皆の方に向き直った。
『…もし、今、何か役に立ちそうな物を持ってたら、悪いけど、貸して欲しい』
「貸して」という言葉を使ったのは、必ず返すっていう、俺なりの決意。或いは、ちゃんと自分は戻って来るから、安心して待ってろっつう、皆へのメッセージのつもりだった。しかし、さっきから、何やら、ずっと不満そうにしているめぐみ。何を用意するか、しきりに指を折って考えているリーリア。間違いなく、この二人は受け取る気がない。そして…
『ま、どうせ、1時間以内には再開するんだろうけど、ちょっと待ってて。取って来る』
初めて意向を示した悠太も、どうやら、黒い物体に触れる方を選んでいるらしい。揃いも揃って馬鹿ばっかりだ。俺とすれ違い、貯水池の方に早歩きで移動を始める悠太。女子3人は、特に渡せる物が無いようだ。
ふと、俺は山崎に視線を送る。話の流れが、彼女だけを置いてきぼりにしてしまう方向へ向かっているのが、心苦しい。ずっとうつむいている彼女に、俺は声をかけた。
『……山崎』
『…はっ…はいっ…!?』
突然、呼ばれて驚いたのか、持ち上げられた顔は慌てふためいたような表情。考えてもみれば、彼女は一番の被害者かもしれない。自分の目指す将来に向かって、人並み外れた努力をしてきたはずだ。黒い物体に触れれば、それら全てを手離す可能性があるし、触れずに1人だけ残っても、残りの5人が消えてしまっては、社会が放っとかない。彼女に降りかかる苦労は想像を絶するもとなるだろう。どちらを取っても、将来の夢に少なくない影響を与えることになる。
『…こんなことになって、ごめん』
『……黒木さんの…所為じゃないです』
そう、小さな声で山崎は応える。無理をしているのは明らかだ。しかし、その反応に、さらに深刻な表情に変わったのはめぐみだった。山崎をキャンプに誘ったのは彼女で、2人は親友でもある。その葛藤は容易に想像がつく。
だが、そもそも、本来なら健作が消えた時点で、そこには大人が介入し、然るべき方法で事後処理を行うべきなんだ。全員を巻き込んでまで、健作を追いかけようとしているのは、俺の我が儘。
『いや、俺も悪い…』
『…ううん。…こうしないと、手遅れになる可能性だって確かにあるんです。私の都合でどうこうするべきじゃない。さっきは、ああ言いましたけど、その所為で天城さんが助からなくなったら、多分、罪悪感で私もまともじゃいられなくなる』
『………』
その言葉に、俺は頭を下げるだけで、返事をすることが出来なかった。彼女がこのあと、どのような選択をするのかは分からない。けど、全部、丸く収めるには必ず帰って来ることが義務付けられるんだと、骨身に染み渡った。
健作が消えてから、どのくらい経っただろう…つい、さっきのことだが、結構な時間が過ぎたような気もする。非常事態ってのは様々な感覚を狂わせるもんだ。俺は確認のため、腕時計に目を落とした…が、健作が消えた時間を記録してなかったことに気づき舌打ちする。
『13分です』
『…え?』
山崎だった。見ると、彼女も腕時計に落としていた視線を俺に向ける。
『天城さんが消える直前、たまたま、時計を見ていたんです』
なるほど。俺が時計を見て、舌打ちをしたのを見逃さなかったんだろう。ずいぶん、注意力の高い優等生だ。こんな時だが感心してしまう。
『ありがとう…』
13分…
突然、知らない場所にワープしたら、健作はどうするだろうか…パニクってるだろうな。健作じゃなくたってそうだろう。はやまって、変なことしてなきゃいいが…
黒い物体を見やる。もう、神に祈るしかない。さっきから気分は盛り下がる一方だ。ったく、キャンプが台無しだっつの…
それから3分ほどして漸く悠太が戻って来た。
『はい』
そう言って、肩で息をする悠太は、健作のショルダーバッグと、自分のリュックサックを手渡す。
『……何が入ってんだ?』
『サバイバルナイフ』
…は?
悠太の口から飛び出した、まさかのお役立ち品に、喉まで出かかった素っ頓狂な声をギリギリで呑み込む。
何だよ…あんた、誰か抹殺するつもりだったのか?
『何か使えないかな…って思って持って来てたんだけど、リュックから出すの忘れててさ』
その前に、何でそんな物騒なもん、持ってんだよ?
…普段の俺なら絶対、つっこむんだろうが、今はそんな気にもならないので、礼だけ告げる。
皆、不安そうに俺を見ていた。
『…じゃ、そろそろ行くわ…』
そう、全員に伝え、震えそうになる足を必死に制御しながら物体に向かう。手の届く位置まで辿り着くと、俺は一度、深く息を吸って吐いた。
『…やっくん』
『うん?』
背後からのめぐみの声に、振り返らずに返事をする。
『…また、あとでね』
その一言に、背中を押された気がした。絶対に追いかけるっつう、めぐみの強い意思の声。
『……無理すんなよ?』
止めはしないさ。めぐみにとっても、健作は大切な友達なんだから。
眼前に浮かぶ未知の物体。いや、物体なのかどうかも不明だが…そいつに、恐る恐る手を伸ばす。
頼む…頼む…!
心の中で、何度も何度も、そう祈りながら…
手が物体に触れ、視界が真っ白に染まった。
そう……俺たちの大冒険が、とうとう始まる。
第一章【悪い夢】完了