退屈な日々
キーンコーンカーンコーン……
校庭にチャイムの音が鳴り響き、部活動を終えた生徒の群れが次々と校門をあとにする。
『じゃあ、また、明日ー…』
帰る方向が違うんだろう、一人の女子生徒が群れから離脱した。それが一人、また一人と繰り返され、群れは群れでなくなり、やがて消える。辺りを朱に染めていた太陽がゆっくりと沈んで行き、代わりに夜の帳が街を支配し始める。
繰り返される光景……
なあ、楽しいか?
自問。
俺の他には誰もいない教室。
つい数時間前まで、冴えない教師による授業が行われ、男子生徒がふざけあい、女子生徒が他人の恋愛話で盛り上がっていた…そんな普通の教室だ。
『つまんね…』
声に出して自答した俺は、同時に机の横に掛けていた鞄を手に取り立ち上がった。季節が秋から冬に移り変わろうとするこの時期、今日は特に肌寒い感じがする。
そうそう、自己紹介がまだだったな……
俺は黒木勇人。関東にある、割りと知名度も高い…まあ、名門っつっても差し障りないだろう学校に通う高校三年生だ。センター試験を目前に控えている身分なんだが、真面目に勉強する気にゃ、なかなかなれなかった。何故かって?…そうだな…まあ、簡単な問題だ。俺には目標が無い。
大人はみんな、勉強しろ、勉強しろって…まるで、俺が机に座ってなきゃ、死刑にでもなるかのように口酸っぱい。そのくせ、聞けば具体的な理由は説明出来ないときた。正直、うんざりさ。
遠くの方では、野球部であろう、カキーンという、バットでボールを叩く時のインパクト音が、不規則なリズムで響いている。甲子園なんて、夢のまた夢。弱小の名を欲しいままにする我が校の野球部だが、何故か設備だけは整っている。
…とは言え、強かろうが弱かろうが、頑張っているやつらは輝いて見えた。それに比べて、俺は一体、何をしてきただろう。三年間、ひたすら行動的じゃなかった自分が、今更ながら恨めしい。
『……ったく…何だってんだ……』
晴れない俺の胸中から、我慢出来なかったかのように言葉が漏れた。後悔したって仕方ないのは分かってる。けど、たまにな……こうやって放課後、一人で窓の外なんかを眺めてたりすると、そういう気分になっちまうんだ。考えてもみろよ?無駄にした時間が巻き戻ることは、決して無いんだぜ?
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帰り道を照らし出す街灯が、チカチカと点滅している。球の交換時期が来ているようだ。
そんな、目に優しくない帰路を、俺は脇目もふらず駆け抜けた。
『はあ、はあ……やべえ…あと二十分……』
腕時計の針は六時四十分を示している。そろそろ、家庭教師が家に着く時間だ。教室で余裕ぶっこいて、センチメンタルに浸っていた俺だが、ついさっき、スマホのディスプレイに浮かぶ曜日を見て、今日はカテキョの日だったことを思い出し、家までダッシュするはめになっちまった次第だ。下手したら、あまり歳の違わない、大学生である先生は、もう、我が家に着いて、親の出した茶菓子を頬張ってるかもしれない。
そういえば、俺は家族に勉強を習ったことがない……いや、そりゃあ、小学校に入る前なんかは、もしかしたら「あいうえお」くらいは習ったのかもしれん。けど、まあ、その程度だ。
『…もしかして、頭、よくないんかな…うちの親』
考えたら、両親の学生時代の話なんか聞いたことがない。家族間のコミュニケーションが希薄になりつつある昨今…時代の波は容赦なく我が家も飲み込んでたっつうわけか。
逆らいようのない波に流される下らない毎日。きっと、この先も退屈と仲良しこよしで俺の人生、過ぎていくんだろう…
今日も一日が終わる。視界の奥に小さく見えてきた、赤い屋根の自宅に向かい、俺は最後の体力を振り絞った。
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その日の夜、俺は夢を見た。
妙な場所だった。目の前には知らない男。その数メートル後方は切り立った崖になっており、眼下には見渡す限りに生い茂った木々。山を更に高い場所から見下ろすことの出来るような高いところだ。
『勇人…!』
知らない男が俺の名前を呼ぶ。その表情は、何を興奮しているのか、今にも飛び掛からんばかりの切羽詰まった印象を受ける。
『……あと…頼む』
俺の声。何だそりゃ。
『バカヤロー!!』
いきなり怒鳴った目の前の男は、よく見たら、右手をぼんやりと白く光る、手錠のようなもので拘束されていた。不思議なのは手錠の反対側だ。空中に黒い穴が空いていて、そこから伸びた、これまた白く発光している鎖のようなフォルムの何かと繋がっているのだ。
変な夢だ。
『死ぬんだぞ…!』
なおも怒鳴る男……って、死ぬ?誰が??
しかし、夢は俺の疑問を無視してさっさと展開を進める。
『ヤツもな……』
その声は俺の声だったが、俺自身、聞いたことも無いようなどす黒い感情のこもった声。
直感する。これは、憎悪…
何だ、この夢…嫌だ…気分が悪い……夢のくせに……
『やめろ。あいつの仇を討ちたいのは分かる。俺だって同じだ!だが…』
…と、そこで、夢の中の俺は右手を前に突き出し、必死に俺を止めようとする男の言葉を遮った。
『……あいつが死んだとき…俺も死んだんだ』
その台詞を聞き、情けなく顔を歪ませる男。
話は終わったとばかりに、俺は男に背を向けた。同時に広がる、今まで自分の背後にあった世界……そこには、夥しいほどの死体の山が築かれていた。
『うわぁぁぁあああっっ…!!』
自分の声に驚き、目が覚める。
辺りを見渡すと、そこは自分の部屋だった。
何ちゅう、けったくそ悪い夢だ…
照明の落ちた部屋は、月明かりにひっそりと照らし出されてはいるが、その光は、あまりにも心許なかった。ベッドに上半身を起こし、電気を点ける。背中にはびっしょりと汗をかいていた。
『……最悪』
心臓が体の外に飛び出すんじゃないかと思うくらい、強く脈打つのを感じる。俺はフラフラとベッドから抜け出すと、台所へと向かった。
コップに水を注ぐと、一気に飲み干し喉を潤す。
『……はぁ…』
安堵のため息。
心地よい冷たさが、口から喉を通り、胃袋に到達するまでの道のりを、優しく撫でてくれた。
『ああ…マジ、びびった……』
椅子に腰を下ろし、天井を見上げる。
視界の隅っこに時計が映し出されたが、朝が訪れるには、もう少し時間がかかりそうだ。
無駄にリアルな夢。
この時、俺はその夢がただの夢じゃなかった…そんなこと、考えるよしもなかったわけさ。