1.血薔薇の指輪
────夜陰に紛れて、アナスタシアは豪華な屋敷の邸内に植えてある木の枝の上に腰をおろした。
アナスタシアは、怪盗・オールドローズ。
けして人は殺さないし、余計なものも盗らない。パフォーマンスは、人々がみとれて捕縛するのを忘れてしまうくらい派手に、華麗に。
今夜盗みに入るのは、イシュネル王国王都・ジャスミンの貴族の邸宅が並ぶ通りにある、侯爵様のお屋敷だ。ジルベールのアロウ侯爵邸ではなく、オルセイロ侯爵邸だ。
(準備はいいわ……………さぁ、)
下見はカインが十分にしたし、薔薇の蜜蝋を捺した予告状も投げ入れておいた。声色もガラリと変え、口調まで変える。
瞳の色までは流石に変えられないが、幸いにもアナスタシアの瞳は、イシュネルでは珍しくもない新緑の色だから大丈夫だろう。長い髪は目立つ銀色なので、綺麗にまとめあげて後れ毛がうっかりでないようにピンでとめて、栗色の豊かな巻き毛のウィッグをつけた。
声色や、顔の造作は修行と化粧一つでどうこうできるのだ。
狐の顔を模した、顔の上半分を覆う仮面をつけ、アナスタシアの腰の細さをさらに強調するコルセットと、太股を大胆に出す短い丈の漆黒のスカート。ふんわり膨らむそれは、重くなく、武器を隠しやすいので重宝している。厚底の編み上げブーツは、軽量化や歩きやすさを追求し、改良したもの。
黒で統一された装いは肌を露出する、セクシーなもの。
いつも通りの格好で予告状通りの時間に出られるように、構える。屋敷の邸内には、明かりがつけられ遠くからは石畳を打つ無粋な軍靴の音が聞こえてくる。
(ふぅん、百人くらいかしら?………たかが指輪一つに随分仰々しいのね)
今宵の獲物は、ガーネットのように赤い宝石のついた、指輪だ。
蔦を絡めたような繊細なつくりの純金の台座に、薔薇を模した、赤い宝石の花びらが幾重にも重なったデザインのそれは、聖女・オールドローズの聖血でできている……………というなんとも嫌な逸話がある、細身のものである。
早々に回収しなければならないそれは、案外近くにあって助かった。
息を吸い込み、ゆっくりとアナスタシアは枝の上で立ち上がった。
(3.2.1………………0!)
「ほほほ、皆様ごきげんよう!予告通りこのわたくし、怪盗・オールドローズが『血薔薇の指輪』を頂戴いたしに参りましたわ!」
そして、木を伝って屋敷の屋根に軽やかに飛び乗ると、高らかに宣言した。邸内には、瑠璃色の軍服を着た軍人たちと、見物だろうか?がっしりとした体格の男…………ライオネル・オルセイロ侯爵がいる。
(…………………………って、あぁ!!ライオネル・オルセイロっていったら、ジルベール様のお友達じゃない!?あの顔、ジルベール様のお屋敷で見たことあるわ!!)
その顔を見た瞬間、アナスタシアは額を冷や汗が流れていくのを感じた。
しかし、背に腹は変えられない。
「ふふふ、特殊部隊の方にライオネル・オルセイロ侯爵閣下自らお越しとは…………そうそうたる顔ぶれですこと!」
ひらりと地面に降り、余裕綽々な笑みを浮かべて見せる。
「怪盗・オールドローズ!!今宵こそは、お前を捕まえてみせる!」
「我が家の宝石は、やらん」
お約束なセリフとともに、アナスタシアの周りを男たちが囲った。
「まぁ、無粋な方々!けれど………わたくしは欲しいものを必ず手に入れますわ。せいぜいわたくしを捕まえることができるよう頑張って下さいなっ!」
ひょいっと近くの男の肩を利用して、屋敷の大きな窓ガラスを割る。派手な音ともに、粉々になったガラスをブーツで踏みながら奥に進んだ。
ジルベールの声や、銃声などが響いたがアナスタシアは振り返らなかった。
(ロングギャラリーを右に進んで、次は真っ直ぐ、地下に続く階段を降りて…………)
頭に叩き込んでいた地図通りに進み、一つの部屋にたどり着く。
「ここですわね…………あった!この輝きはレプリカではない、本物」
ガラスケースの中にある指輪を、道具を使って取り出す。勿論、手袋は装着済み。
─────カツ カツ カツ カツ
軍靴の音が近づいてくる。もう来たのか。
アナスタシアは指輪をなくさないように、落としてしまわないように、スカートに仕込んであるポケットに仕舞った。
「遅いですわよ、軍人さん。『血薔薇の指輪』確かにわたくしがもらい受けましたわ!」
「ふん、盗ったところでここは地下。唯一の逃げ道を塞がれては、逃げれまい」
首をかしげながら言えば、ライオネル・オルセイロ侯爵が鼻で笑う。
「あら、そういうことはなくってよ?」
アナスタシアはするりとスカートをめくり、大人のこぶしほどの大きさの球体を取り出した。
「お前…………そんなヒラヒラしたスカートのどこにそんなものを……………っと、煙玉かっ!!」
「ふふふ、乙女には秘密がたくさんあるのですわ。ジルベール・アロウ様、ご名答ですわ。では、ごきげんよう!」
それに素早く取り出したマッチで火をつければ、もくもくと煙が出てくる。ハーブや香木などを使って作られたそれは、健康には害はないが、むせ変えるような香木の香りと、特殊な成分のおかげで鼻が効かなくなり、涙がボロボロ出てくる逸品だ。
ちなみにアナスタシアはすぐに鼻を布で覆った。
目は耐性をつけているから、大丈夫。
煙で目の見えなくなった男たちを蹴り飛ばしたり、踏んだりしながらアナスタシアは地下から一階へと上がる。
「待て、オールドローズッ!!」
「ッッ!?」
「うわぁ!」
「誰だよ今踏んだやつ?!」
悲鳴やら何やらが聞こえたが、気にしない。
一気に外に出れば、待機組なのであろう軍人たちと野次馬であろう一般の人々がいた。
一斉に銃口を向けられたが、アナスタシアはにっこりと微笑んで、パチンと指を鳴らす。
「今宵もこのわたくし、オールドローズが『血薔薇の指輪』頂戴いたしましたわ!」
そう言った瞬間に、アナスタシアの後方…………つまりは屋敷のうしろから閃光が夜空に向かって走り、次いで轟音が響き渡る。
「は、花火?」
夜空に花咲く光の花火に、人々は一瞬呆気にとられた。
「では、ごきげんよう!!」
その隙に、アナスタシアは素早く撤退した。
カインと落ち合い、また夜陰に紛れる。
一気に騒々しくなった夜の王都には、いまだ上がり続ける花火の音と、ライオネルの怒号や指示をするジルベールの声が響き渡っていた。