3−1
エミリが報告にきてから二週間が経ったが、マオに特別変化は見られない。というか、マオの変化がよくわからない。
過睡眠が兆候としてあげられる、と言われても、もともとよく寝ていたしなあ、だらだらと。
そうまるで、猫みたいに。
それは自分もだが。
マオがテレビを見て、隆二が本を読んで、マオが飽きて隆二にちょっかいをだして、それを隆二が適当にあしらって。膨れっ面をしたマオがいつの間にか寝ていたり、気づいたら隆二も寝落ちしていたり、起きて気が向いてコーヒー飲んだり、マオが散歩に行ったり、コーヒーが切れて仕方なくコンビニに行ったり。それがいつもの、神山家の日常だった。
神山家の日常は、いつだって怠惰で非生産的で、心地よい。
いつだって眠り過ぎといえば眠り過ぎなのだ。だから違いなんて、わからない。わからないということは、きっと無い、ということだ。兆候なんて、無い。消えたりしない。
最近の隆二は、ことあるごとにそう自分に言い聞かせて安心させている。安心、ということはつまり自分は心配しているのだ。不安に思っているのだ。そしてその度に、その事実にぶちあたる。
脳裏をよぎるのは、あの言葉。
「理解してろよ、意識してろよ。目を逸らすなよ。ちゃんと考えてないとお前、後悔するぞ」
呪いのように自分にまとわりつく、京介の言葉。
いつだって見ないフリをしてきた。茜のことだって、京介のことだって、きちんと見ていたらもっと別の選択肢があったはずだ。
だけれども、突きつけられる現実が怖くて、いつだって目を逸らしてきた。目先の快楽を選んで、未来の不幸を呼び寄せてきた。そんなこと、自分でよくわかっている。
だからって、
「……じゃあどうすればいいんだよ」
見ているだけじゃ駄目なのに、どうしたらいいのかわからない。
口からこぼれ落ちた弱音に、自分で思わず嘲るような笑みを浮かべてしまう。
『んー? なんかいったー?』
こちらを振り返ることなく、マオが尋ねて来る。視線はテレビに固定されている。
マオの大好きな四字熟語シリーズとやらは、七転びヤオ君子まで無事放送が終了した。ただ、特撮版が終わったことにより、今度はアニメ版の再放送が、少し放送時間を変えて行われている。今だってマオは、アニメ版疑心暗鬼ミチコに釘付けだ。
「独り言。気にすんな」
『そー。ああっ、危ないっ』
隆二の返答よりも、画面の中で背後から襲われたミチコの心配をする。思わず中腰になっている。
その平和な姿に、思わず口元が緩む。大丈夫。ちゃんと見ている。ちゃんと見ている結果、判断している。マオは大丈夫だ。
きゃぁっ! と悲鳴なんだか歓声なんだかわからない声をあげるマオは、ちゃんとここにいる。
たっぷり三十分、わいわい騒ぎながら視聴を終えると、ふわりとスカートの裾を翻して隆二のところにやってきた。
終わった途端、すぐこれだ。暇になった途端、構ってもらいにくる。気まぐれだ。
『ねー隆二ー』
甘えるように、ソファーに座った隆二の膝に顎をのせて、上目遣いで告げる。
『お腹空いたー』
「また? テレビ見ていただけなのに、燃費悪いなお前」
呆れて笑う。テレビを見ていただけなのに、すぐに空腹を訴えてくる。<Kbr>まあ、毎回毎回あんなに高いテンションでテレビを見ていたら、そりゃあエネルギーも消費しやすくなるだろう。
『だぁって、空いたんだもん』
「はいはい」
マオはぷぅっとふくれたまま、隆二の膝から動かない。<Kbr>いつもならさらっと、行ってくるね! なんて言うのに、何か言いたげじっと隆二の顔を見ている。
「……なに」
その視線の意味をおおよそ理解しながら尋ねると、
『……一緒に行こう?』
小声で誘われる。そうだと思ったよ。
「……仕方ないな」
しぶしぶそう言うと、マオの顔が一気に華やいだ。
なんとなく、心配なことは心配だし。
『やった! お散歩!』
浮かれたように宙を舞うマオの、すらっとした体つきを眺める。
しかしまあ、よく寝て良く食べているのに、なんで育たないかなぁ。胸が。
心底どうでもいいことを思った。