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真・恋姫†無双~絆創公~ 中騒動第四幕(後編・下)

真・恋姫†無双~絆創公~ 中騒動第四幕(後編・下)


 一刀の言葉の重苦しさを、燎一と泉美は感じ取る。

 身構えた身体と同じく、その口は一切開こうとはしない。

 話そうとした一刀の決意に、踏み出したその勇気に敬意を表するかのように。


「小さい頃の、思い出……なんだけど、さ」

 敷布に目を落としたまま、一刀は話し続けている。

 幼少時代の何か嫌な記憶が蘇ってきたのか。傍らの二人は思案を巡らせる。

「……夏休みに、みんなで爺ちゃんのいる……鹿児島に行った時の、夢を見たんだ」


 言葉を聞いた二人の頭に、かなり鮮明に映し出される光景。とりわけ、母親である泉美のそれは一際抜きんでいた。

 無理もない。彼女はその思い出を、この世界の一刀に“渡した”のだ。

 それは一刀と彼の家族の歩んだ道に、確かに刻み込まれている、端から見れば取り留めもなく、しかし彼らにはかけがえのない思い出の一つだ。

 だがその中に、一刀がこんなにも苦しむほどの辛い経験は無かったはずだ。

 少し嫌な思いをしたとすれば、川で溺れかけた彼が、家族を心配させた懲らしめとして、祖父のゲンコツを受けてはいる。だが、自分を苦しめるほど、必死に隠したがるようなことではない。

 そうして疑問を抱き始めた二人に、一刀はさらに言葉を続ける。


「夢の中で……。みんなが、どんどん遠ざかっていったんだ……」


 息が止まる。


 心臓が一つ、うるさく鳴いた。


 じわりと湧き出す汗とともに、隅に追いやっていたものが近づいてくるのが分かる。


 二人は、意識してしまった。

 いずれ訪れる、その日を……。



 しかし、一刀にとってはそれだけではない。

 もう一つ、拭い去れないものがある。


「……勝手だよな。俺の方から、いなくなったのにさ……」


「……!!」


 二人は、そこで気が付いた。


 自分たちが感じたことだけではない。

 もう一つの思いが、彼自身を縛り付けているのだ。


 日本に家族を残してきてしまった、自責の念が。


「まだ俺、二人に……。いや、二人だけじゃない。佳乃にも、爺ちゃんにも……。言えてないことが、たくさんあったのに……!」


 敷布の上の両手は、握る強さで震えている。


 あの時も……。夢で見たあの時にも、母親と妹に……。父親と祖父にも言うことがあった。


 強がる言葉じゃない。

 もっと伝えなきゃいけない言葉があったんだ。


 “心配かけて、ごめんなさい”


 “そして……。ありがとう”


 “大丈夫”なんて、曖昧な言葉じゃない。

 謝罪と、感謝を。

 口にすれば短く、でもしっかりと伝えるべき、その言葉を。


 自分は、伝えるべきだったんだ。


 しかし、日本での暮らしを思い返してみればどうだ。


 幼い妹が、笑顔で自分のおやつを分けてくれた。

 ちょっと悪さをして、母親に叱られていた。

 休みの日に父親に、遊んでもらっていた。

 たまに祖父から、稽古をつけてもらっていた。


 そんな時に。日本にいた頃に。


 自分は今までどれだけ“ごめん”と言えたのだろうか。


 どれだけ“ありがとう”と口に出来たのだろうか。


 どれだけ素直に、家族に伝えられていたのだろうか。


 いや、それ以前に……。



 俺は……。日本でみんなに、最後に何を話した……?


 思い出そうとするほどに、ぼやけてしまう光景。


 もはや、皆がどんな顔で話してくれていたのかも、分からなくなっている……。



 家族だけじゃない。学園にいた友人、教師、近所の人……。

 数え出せばきりがない。

 しかし、そんな大切な人たちに、自分はどれだけ素直に話せたのか……?


 周りの温もりに甘えて、そんなこと言わなくても伝わるものと、高をくくっていた。


 そして今は……。

 自分の中に入り込んできた温もりを、また失う怖さに怯えてしまっている。


 なんて勝手なんだ……。

 進んで手放した訳ではない。でも、離れていったのは自分なのに。


 さっきは……。娘の孫登の面倒をみたり、看病してくれたりした二人に、ごめんと口に出していた。でもそれは素直さから出てきた言葉ではない。

 迷惑をかけてしまったと考えた、申し訳なさから生まれた言葉だ。

 本当なら出すべきは、“ありがとう”だ。

 同じように自分の身を案じてくれた孫登にも、つい謝罪の言葉をかけてしまった。


 “助けてくれて、ありがとう”


 “心配してくれて、ありがとう”


 本当なら、その言葉こそ口に出すべきで、それこそが自分の気持ちなのに……。


 意識してしまうと、何故こんなにも口に出来なくなってしまうのか……?


「俺……、言いたいことがあったのに……。みんなに話したいことがたくさんあったハズなのに……。なのに…………!」


 みんなに伝えたい、その思いは強い。

 だが強すぎて、言葉に出せなくなっている。

 しかも今は、さっき見た夢のせいで溢れ出しそうになっている。

 打ち明ければ良いのに、抑えることで精一杯。

 まるで限界まで空気を詰めた風船のように。

 膨れ上がった思いは、吐き出すことも隠しきることも出来ずに、一刀の心を不安定に揺らがせている。

 いや、心だけではない。

 彼の身体も声も震えている。


 今や彼の抱える不安が、他の二人からも見て取れた。


「…………カズ君」


 先の知れない闇へと捕らわれかけた、一刀の意識を呼び戻した母親の泉美の声。

 優しく包み込む柔らかな声にハッと気がついた一刀は、俯かせた顔を上げる。


 一刀の左側。寝台の横に立っていた泉美が、自分のすぐ近くにいた。

 いや、“いた”ではない。寝台の上に膝をかけ、一刀を抱きしめていた。


 正座に近い、その幾分不安定な体勢。

 それでも寝台からは離れず、抱きしめる力はとても優しく、それこそ一刀を包み込んでいた。


「……母、さん?」

 いきなりの事に少し驚く一刀。母親の肩に顔を埋めながら、声は少しくぐもる。そんな彼に泉美は囁くように語りかける。

「お母さんね……。カズ君と佳乃ちゃんのお母さんで、本当によかったと思っているの……」

「えっ……?」


「だって……。二人とも優しい子に育ってくれたから……。自分のことのように……。それこそこんなに苦しんでまで、誰かのことを考えてくれるんだから……」

「母さん……」

「……最初にこの世界に来た時も、こうやって抱きしめたけど……。やっぱりカズ君、大きくなったのね……。抱っこしたのなんて、もう……、ずいぶん前に、なるかしら……」

 泉美の声が、少しかすれだした。

 一刀の鼓動が、少し早くなる。


「でもね、カズ君? 自分の心に抱える量も、大きくなる訳じゃないのよ。それに……ずっと抱えたままじゃ、いつか潰れちゃうわ……」

「……うん」


「心と言葉って、不思議よね。大きくなった想いは簡単に伝えられないのに……言葉にしちゃうと、それが全ての想いと思われちゃうのよね……」


 その言葉に、一刀は返す声を出さなかった。それでも一刀を抱きしめたまま、泉美はゆっくりと話しかける。


「だからね……。いっぺんに話してくれなくてもいいの。少しずつでも、途切れ途切れでもいいから……、話してほしいの。カズ君が見たり、聞いたり、感じたりしたことは、カズ君の中にしかないんだから……」

「……うん」

「カズ君は優しい子だから、感じたことも抱えるものも、たくさんあると思う……。だから、私たちが聞くこともたくさんあるはず……」

「…………うん」

「安心して……。私たちは、ちゃんと聞くから……。カズ君の言葉を……、聞きたいから……」

「…………うん」

「でも……。もしかしたら、それを全部は聞けないかもしれない……。その前に、私たちが…………」


 一刀の身体と呼吸が止まった。


 解けたはずの不安が、また一刀に襲いかかろうとする。

 が、その前に泉美が言葉を続ける。


「ごめんなさいね……。傍にいてあげられなくて……」


 一刀の胸の苦しみが更に増した。


 泉美は緩く、しかし強く抱きしめている。


「本当はお母さんたちも、ずっとここにいたい……。ずっと、みんなと笑っていたい……。ずっと……カズ君の家族で、ありたい……」

「…………俺だって。……みんなには、ずっと……」

「でも、カズ君。離れることを恐れて、話すのを止めないでほしいの……。カズ君だけじゃない……、私たちだって話したいことが、まだまだたくさんあるから……」

「母さん……」

「忘れたくないから……。出来るだけたくさん、覚えていたいから…………ね?」



 長い時間忘れていた、ほのかに甘い懐かしさ。

 心の中のどこかで。ほのかに、しかしそれこそ息が詰まるほどに求めていた。


 とても優しく、心地よい温もり。


 半ば身を任せながらも、一刀はそのまま一つ頷いた。

 それを感じた泉美は、一刀が孫登にしたように、ゆっくりと一刀の頭を撫でていた。


「母さん……」

「……うん?」


「……ありが、とう。……俺、ずっと……。言いたかったんだ……」


「…………うん」


 声だけしか聞こえなくても、優しく微笑んでいるのが、一刀に伝わる。


 赤子をあやすように、泉美はもう片方の手で一刀の背中を軽く叩く。


 蘇る、幼心。

 少し儚い、確かに伝わる、母性愛。


 微かな気恥ずかしさがあるものの、一刀は小さく咳払いをしてそれを受け入れていた。


 そうだ……。

 今は……。まだ、少しずつしか話せなくても……。


 それでもなるだけ、心の内を打ち明けていこう。


 精一杯、受け止めてくれる……。自分の家族のために…………。






「……泉美、少し良いかな?」


 しばらく静かに二人を見つめていた、一刀の父。燎一が口を開いた。

 呼びかけられた泉美が、ゆっくりと一刀から離れて寝台の横に戻る。一刀は、少し名残惜しそうに伏し目になる。


「……一刀と二人きりにさせてくれないか。私も、話したいことがあるんだ」


 ためらいがちに眉を寄せる燎一。泉美に向けた顔も、どこか申し訳無さそうに笑っている。


 そんな彼に、泉美の方も緩やかに笑いながら、一つ頷き返す。


「……じゃあ、カズ君。ゆっくりね……」


 その微笑みを崩さぬまま言葉をかけた泉美。

 少し含みのあるその表情に、一刀は少し間を空けた後、小さく笑いながら頷いた。


 視線を燎一に移した泉美は、また小さく頷いた。燎一は、やはり申し訳無さそうに笑って頷き返す。


 そのまま泉美は、ゆっくりと歩きながら部屋の扉へと近付いて、静かに外へと去っていく。その去り際、残る二人に軽く会釈をしたのが、閉まる扉の隙間から見えた。

 二人はその姿を、ただ黙って見送っていた。



「……こうやって二人で話す機会なんて、あまり無かったな……?」

 身体の向きを、部屋の扉から一刀に移した燎一は、深く息を吐きながら口を開いた。

「そうだね……。父さんたちが最初にここに来た日の夜……以来、かな」

 また僅かに俯きながらの一刀の答え。

 彼の頭によぎったのは、“向こう”での曖昧な記憶の断片。いくら頑張っても、綺麗に繋ぎ合わさってくれない。

 そんなことを考えていた一刀に、燎一は小さく笑う。

 少しためらいながら泳がした目線は、一刀の仕事机へと向かう。

「ん……?」

 小さく呟いたその声に一刀が顔を上げれば、燎一がゆっくりと動き出していた。

 静かに沸いた好奇心に任せて机に近付く。その瞳に映るものに、好奇心が確信に変わる。

「そうか……。これが…………」

 どこか納得がいったように、溜め息混じりで笑う燎一。ゆっくりと手を伸ばして眺めているのは、木製の写真立て。


 その中には、自分の家族の思い出が……。

 一刀を締め付けていた、夢の光景の一部が収められている。


 寝台にいる一刀は、その姿に目を逸らしてしまう。そして再び苦しそうに眉根を寄せた顔になる。


「一刀……。これは、母さんが……?」

「…………うん」

「……“写真”は、この世界にもあるようだな。真桜さんに“かめら”を見せてもらったが、びっくりしたよ……」

 そう言って気まずそうに笑う燎一。



 一刀は、その後の言葉が続かなくなってしまう。

 さっきからそんな感じだ。口から出るのは、ほとんど空返事に近い相槌。

 会話らしい会話なんてまったくできていない。

 ただ、息と言葉が詰まるだけ。


 “少しずつでいいから、話してほしいの……。”


 さっき母さんが、そう言っていたじゃないか。


 話さなきゃ、何も伝わらない……。


 何も、分からないじゃないか……!


「……父さん」


「ん……?」


 一刀に背を向けたまま、燎一が訊き返す。


 ……何を、話せば良い?


 ここにきて一刀は迷った。考えてしまった。

 しかし……時間がない。

 何でも良いから……。何かないか……?


 焦る一刀の視線が落ち着かない。

 視点は部屋の中を不規則に動き回り、それだけで疲れてしまいそうになる。


 そんな中で目に留まるのは、燎一の手にある写真立て。


 一刀の頭に、一つ浮かんだ。


 ずっと、言いたくても言えなかったことが。

 気になっていても、怖くて聞けなかったことが……。


 勇気を振り絞って、声を出してみる。


「……母さんの、ことだけど……」


 燎一の身体が硬直する。

 背中越しでも一刀にそれが分かるほどに。


「……やっぱり、俺の……、せい、かな……?」


 その問いかけに、黙ったままの燎一。


 少しの、沈黙。

 だが今の一刀には、押しつぶされそうなほどの長さに錯覚される。


 微かに聞こえた、咳払い。

 その主の燎一が、ようやく動き出す。

 ゆっくりと、写真立てを机の上に置き直した。


「……泉美が、そう言ったのか……?」


 また、背中越しの聞き返し。

 その口調も、どこか重苦しい。


 またも一刀の視線が落ちる。

 ますます息が詰まりそうになりながらも、“いや”とだけ呟いた。


 それを聞いた燎一が、深く息を吐く。


「……じゃあ、違うんじゃないか。泉美がそう言わないのなら……、お前のせいじゃないさ……」


 口調に重苦しさが感じられなくなる。


 燎一は言いながら、ゆっくりと振り返る。


 一刀の妹の佳乃が腰掛けていた椅子を引き寄せた。少し寝台から離れた場所に、しかし一刀とあまり距離を置いていない所で、燎一は腰掛けて微笑んでいた。


「お前は気にしなくていい。心配するな……」


 今の一刀は、敏感すぎている。

 この言葉が、その場しのぎであることも、燎一は理解している。

 でも……。それでも言わなければいけない。

 互いの心の、均衡を保つために。

 避けられないと分かっていても、いつか来るその日の為に……。


 それでも、目の前にいる自分の息子は、辛そうに顔を伏せている。


 溜め息を吐きながら、燎一から話を切り出す。


「……一刀。前にやった、お前と沙和さんとの結婚式の時なんだが……」


 唐突な話題。

 興味を持ったのか、一刀が顔を上げた。

 そこには微笑みながら、一刀と視線を合わさず。少し俯きながらも、どこか遠い目をした燎一の姿があった。


「あの時、父さんは……。お前と佳乃が……、産まれた時のことを思い出していたよ……」

「えっ……?」


 一刀は微かに目を見開いた。


「お前が産まれた時、私はまだ仕事中だった……。病院からの電話を聞いた私は、仕事を放り出して病院に駆けつけた……。あの時は父さんも若かった……。後先考えずに、会社に何も告げずに出て行ったからな……」


 あまり聞いたことの無かった、自分の出生の話。


 少し心がこそばゆくなっていた一刀。そんな彼の前で、穏やかに笑いながら話を続ける燎一。


「でもな、その時嬉しかったことが二つあった。一つは、その日夜中に会社に帰った時……。上司や同僚、後輩皆が祝福してくれたことだ……。勝手に飛び出した私を責めることなく、拍手と祝いの言葉で出迎えてくれたんだ……」

「……そう、なんだ」

「本当はそのまま一日中、病院で泉美に付き添ってやりたかったんだが……。“会社に戻って、皆さんに謝ってきてください”って、泉美にたしなめれてな……。おまけに、先に来ていたお爺ちゃんにも怒られる始末さ……」

「爺ちゃんも、来てくれたんだ……」

「多分、照れくさかったのかもしれないな……。思い返してみれば、お義父さんの目が赤かった記憶がある……」


 小さく思い出し笑いをする燎一。そんな彼を見た一刀も少し笑っていた。

 しかし、次には軽く咳払いをした燎一。その顔つきがいくらか真剣になる。


「そして……。もう一つの嬉しかったことは……、一刀。お前が産まれてきてくれたことだ」


 見据える燎一の視線。

 一刀は逃げださず、立ち向かうように視線を合わせる。


「お前が産まれて……。お前を腕に抱いた時……。私は、泣いてしまったんだ」


 一刀はまたも微かに目を見開く。それでもじっと、一字一句聞き逃さないように神経を集中させる。


「父親になったという自覚……。泉美が身を痛めながら産んでくれたという感謝……。いろいろあるんだろうが、その中でも一番の理由は……」


 そう言いながら燎一は手の平を広げた。胸の前で軽く腕を伸ばして、目線もそちらへと移る。


「今、自分の腕の中に……。一つの命があるという……感動だ」


 まるで赤子を抱き抱えるような体勢に、一刀の瞳が熱を帯びた。


「腕の中にいるお前は、ただ泣き声を上げていた。でもそれは、悲しみや痛みのために、泣いているんじゃない……」


 開いた手の平は、力強く握られた。


「この子は、産まれた喜びと……家族に会えた嬉しさに……。そしてこれから、共に生きていきたいと……。その思いを、私たちに教えたくて泣いているんだ……」

「父、さん…………」

「お前を抱いたとき……。腕から伝わる温もりと、その意味を感じて……。私は、泣いてしまった……」


 話す言葉尻に、燎一はその手をゆっくりと握る。

 蘇るかつての実感を、噛み締めているように。



「そして、佳乃が産まれた時……。母さんと会うために病院に行った時だ……。お前は“自分が抱っこしたい”って言ってきたんだ」

「え……。俺が……?」

 一刀は寝台の上で、僅かに身を乗り出す。

「一刀はまだ幼かったから、覚えていないのも無理はないかもしれないな。……でも父さんは、その時のことをちゃんと覚えているぞ」


 少し困ったように笑う燎一。


「私たちはお前を止めようとした。赤ん坊を抱くほどの力があるとは思えなかったからな……。でもお前は自分が抱っこすると言って聞かなかった」


 そこで一息ついて、一刀に再び顔を向ける。


「お前は言った……。“お兄ちゃんになるんだから”とな……」


 やっと、思い出した。

 一刀の脳裏に過ぎる、ほんの微かな感覚。


 小学校にあがる前の自分がそこにいて。

 心配そうに見下ろす家族が周りにいて。

 そして……。

 まだ産まれたばかりの妹が、安らかな寝顔で自分の腕の中にいて……。


「私が一刀に、佳乃をゆっくりと渡したら……。お前は重みでよろけて、後ろに倒れそうになってな。その時すかさず、お爺ちゃんが支えてくれた」


 でも、と燎一は言葉を区切る。


「お前は佳乃を、絶対に離そうとしなかった。そのままじっと、瞳を輝かせて……。眠っている佳乃を見つめていた……。」

「…………うん。うっすらだけど、そんなことがあったような……。はっきりとは思い出せないんだけど」


 一刀の言葉に安心したのか、燎一は笑みをこぼす。


「今度は私は、その光景に微笑ましくなった。ああ……、この子は自分の家族が増えたこと。そして自分の目の前に、一つの命がある……。その重みをしっかりと感じ取っているんだ……とな」


 一刀の脳裏に、もう一つ蘇る。

 それは、幼い頃ゆえの漠然とした。

 しかし確かに芽生えてきた、兄としての決意。


 この子の兄として、しっかりしなきゃいけない。

 この子を守るために、前を歩いて道を拓いていく。


 幼い頃は理解できず、曖昧なままに。

 それでも心のどこかで、そうしなければならないという、言い聞かせのような思いを。

 一刀は思い出していた。


 と、ここで燎一は一つ咳払いをする。


「話は戻るが。前の結婚式で、ドレスを着た沙和さんを見た時……。幸せそうに笑い、時折少し不安が混ざった顔を見せていたあの娘を見た時に思ったんだよ。“ああ……。この娘は私と同じように……。家庭を持つ幸せを、いつか実感するのだろう。そして、今のこの時よりも……。もっと幸せそうな顔で、お前に笑うのだろうな……”と」


「父さん……」

「その感動と、意志は……。この先ずっと続いていくんだろうな……。守るべき家族が増えていけば、自分だけじゃなく、周りの人にも伝わっていく。……私は、そう思うんだ」


 その言葉で、一刀はやっと気が付いた。


 日本にいた自分の家族が、この世界に溶け込んでいった。

 その理由を。


 自分の家族は、日本にいる皆だけじゃない。

 この世界……。三国時代にいる皆も、新しくできた自分の家族なのだ。


 その二つが……。また新しい、一つの『家族』となったのだ。


 だからこそ、互いに受け入れ。


 そして、同じくらい……。

 どちらかを失うことに、怯えている。


 だが、目の前にいる父親も。

 彼と共に来た、他の家族も。

 いずれ離れる日が来ることを、覚悟している。


 久々に逢う家族は……。

 自分では及ばないくらい、強い人間であることを、痛感した。


 出来るなら、自分もそうありたい……。

 いつか来るその日に、お互い笑って見送りたい。


 でも、それでも……。


「……出来るなら、俺は。父さんたちと、一緒に……」


「さて……。私もそろそろ部屋から出るよ。蓮華さんも来る頃だろうし、な」

 一刀が言い切る前に、燎一は椅子から立ち上がる。

 行き場を無くして微かに視線を落とした一刀の言葉は、口惜しく澱んで消えていった。

 その気まずさに、燎一は再び咳払いをして背を向けた。僅かに重い空気の中、同じく重い足取りのまま扉へと向かう。


「……一刀。これは余談かもしれないが」


 顔を上げれば、扉の前で背を向けたまま立ち止まっている父親がいた。

 扉に手をかけず、そのままじっと話しかけていた。


「父さんはこの世界で、あまりカメラを使わなくなった……。それが周りの人たちに失礼だと思ってな……」

「失礼……?」

「言っておくが、真桜さんの作った物に遠慮しているんじゃないぞ?」

 首を傾げた一刀に、燎一は小さく笑って話を続ける。

「この国には、私たちの世界の技術は無い。そして戦が日常的に起こる、自分の命が明日あるか分からない……。そんな世界だ」


 お前のお陰で、あまり心配はしていないがな。と、燎一は続ける。


「でも……。そんな世界だからこそ、皆は今いるこの時間……。お前と過ごす時を、必死に心に刻み込む。忘れないように、な」

「父さん……」

「今の平和な時の前には、幾多の命が散ってきた戦乱の時代がある。だからこそ……。共に歩んできたからこそ、余計に忘れることは出来ないかもしれない。でも、その当たり前にある、身近なことが幸せだとは、あまり気が付かないものだ。……失ってから、その大切さを思い知らされるんだ」


 一刀の心に、鋭い痛みが走る。その言葉が示す物は、この国の人々だけではない。


「だから、一刀。皆と共に、この世界を作っていってほしい。私たちが余計に、ここから離れたくないと思うくらいにな」

「父さん……!」

「……長くなったな、すまん。ゆっくりと休んでくれ」


 静かに扉を開け、そして部屋を出ていく。

 扉が閉まり、後には寝台に一人残る一刀。



「ハァ…………」

 溜め息を吐く一刀。そのまま投げ出すように倒れ、寝台に仰向けになる。

 そして深く息を吸いながら頭の後で手を組んで、息を吐き出した。

「……結局、あまり話せなかったな」

 それどころか、二人に一方的に喋らせてしまった。

 それも、二人の悩み事に近い話を。


“話してほしい”

“忘れないように”


 両親の言葉の端々が、頭の中でリフレインする。


 とうとう自分は、今回の機会を上手く活かせなかった。

 しかし、今日の自分は風邪を引いていたから仕方ない。

 …………いや、それは単なる言い訳だ。現に母親は、自分にもっと話してほしいと打ち明けたじゃないか。


 忘れないように……。


 忘れられる訳ないじゃないか。

 こんな形で、出逢ってしまったら……。


 失えば、はっきりとした傷痕となる。

 嫌でも思いだし、その度に疼き出す深く大きい傷痕に。


 しかし……。


 かえって、その方が良い。


 日本での最後の言葉を忘れている自分としては、これから背負っていく罪としては相応しい。

 優しく傷を負わせて、心残りがあるままここを去る。

 印象を残すには十分すぎる。


「……忘れないさ、絶対に」


 一刀は決めた。


 意地でも頭と心に、刻み込もう。

 もちろん、それは自分の想い人たちと一緒になって。


 その方が、ますます頭から離れられなくなる。


 どちらも大事な家族なんだ。忘れてたまるか……!


 後に回した手を、しっかり握る。


 元気になったら、何を話そうかな……?



 一刀は少し楽しそうに、その口元を緩ませた。






-続く-




 これで第四幕が終わり……な訳ないですよ。


 蓮華出していないし、写真の件も残ってますからねー(笑)



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