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私は豆腐になりたい  作者: 新野 莉子
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私と母

私と母は二人暮らしだ。

父と母は、私が幼い頃に離婚した為、父と母と三人で過ごした記憶は夏休みの旅行ぐらいしかない。

その旅行もいつの間にかなくなった。

現在、父とは一ヶ月に一度会う程度だが、友人には「お父さんと仲良いよね。」とよく言われる。

父と仲が良いというよりは、母との仲、いや、相性が良くないのだと思う。

中学生の頃は、私は母と仲が悪いのだと思っていた。

けれど、よくよく思い返して見ると、かなり幼い頃から私は母の前で良い子を演じていた。

その事を思い出してからは、仲ではなく相性が良くないのだと思う様になった。

相性悪いなら、仲も悪いでしょ?と感じる人もいるかも知れない。

でも、自分の人間関係に置き換えてもらえれば、わかりやすいはずだ。

学校・職場・バイト先・家、どこでもいい。

嫌いな人、相性が悪いなとか、なんとなく苦手だなと思う人を思い浮べてみてほしい。



「いません。」


て言われたらどうしようかな。

そんな人いますか?中にはいるか、そんな人。

うーん。




そんな奴嫌いだっ!




嘘です、すいません。

考えましたが思いつかないので、嫌いな人・苦手な人がいる前提でお願いしたい。




では次に、その頭に浮かんだ彼・彼女との関係はどうだろう。

「悪くないよ。表面上は。」

「仕事に私情は挟みません。」

「私は嫌いだけど、私の友達と仲良いから、あんまり態度に出せないんだよね。」

この様な現状が八割、九割を占めても、何ら不思議はない。

付き合う人間を好き嫌いで判断できるのなんて、子どもの時だけ。

なんて話は、昭和まで。平成生まれの子どもたちの人間関係は、ただ呑気に過ごしていた昭和生まれの私の時より、シビアなご様子だ。

平成生まれの子どもたちに、「友達が悲しんでいたらどうしますか?」という質問をしたところ、励ます、話を聞いてあげるなどの王道を抑えて一位に輝いた回答があったらしい。




空気を読む




堂々の一位に輝いた回答がこれだったと言う話を聞いた時、何とも言えない気分になると同時に、今はこういう時代なのだと痛感した。

小学生でさえ人の顔色を伺い生活している時代、顔色を変える技術を持ち合わせる大人なら、本音のほの字も出さないことなど容易いことなのかもしれない。

逆を言えば、相性など良かろうが悪かろうが、相手に歩み寄る心一つで、仲が悪いという状態は避けられる可能性は高いと言えるだろう。

そして、私と母も一時期を除いては、そうして生きてきたので、今も同じ屋根の下に暮らしているのだと思う。

「空気を読む」この言葉が当たり前に使われだしたのはつい最近のことだ。

でも、小学生の頃には確実に、記憶こそ薄いもののそれより以前から、私は空気を読んでいた。

あの頃すでに、この「空気を読む」という言葉が使われていたら、私の幼少期は幾分か気楽なものになっていただろう。

自分は空気を読んでいるのだ、この人が言って欲しいと顔に書いているそのセリフを言っているのだ、この認識があるのとないのとでは大きな差がある。

今、私は、無意識に空気を読んでいたことをとても後悔している。

母にとって私が良い子であったこと、私が良い子であった時の優しかった母の記憶こそが、私と母の間の埋まらない溝を作り上げたのだから。

あの頃何があったのか、今何が起きているのかを考えてみると、思い当たる節があった。

私は一人っ子で、幼い頃からぬくぬくと生活できていた。人見知りで、親戚の集まりなど、大人子ども関係なく、知らない人に周りを囲まれるとトイレに行きたいと言うこともできず、ギリギリまで我慢、尚且つ漏らすことは絶対にない子どもだった。子ども同士が走り回ったり、きゃっきゃきゃっきゃ騒いでいると、一人大人しい私は、しっかりしていると必ずと言っていい程褒められた。私はというと、特に大人しくしている訳ではなかった。本当に大人しい子というのは、用意されたイスにちょこんと座り、ジュースでもすすっていそうなものだ。

一方の私は、代わる代わる入れ替わる母の話し相手が入れ替わるその合間に必至の帰りたいアピールをしていた。

「ちょっと待って。」「後もうちょっとだから。」を繰り返す母に何度も食いついたが、そうこうしている間に別の人が母に声をかけてきたり、母が挨拶にと自ら声を掛けに言ったりの繰り返しだった。いつまでも、母と行動を共にしていると、全く知らない人に「大きくなったねー。」と声を掛けられたり、男の子に間違われて謝られたりと人見知りとしては避けたいシチュエーションに見舞われる為、近寄ったり、離れたりの頭脳戦を繰り広げていた。近寄り過ぎると母に「しつこい。」と怒られる可能性があり、知らない人と会話をしなくてはならないリスクも伴う。けれど、あまり間を空けてしまっては早く帰りたいというアピールができない。私の中では誰より機敏に動いていたし、忙しかったので、大人しくしているつもりは全くなかった。でもなぜか、多くの大人たちに褒められるという現象が起こったのだ。

思えば、親や親戚の「しっかりしているね。」という一人っ子や第一子を褒め称えるに相応しい社交辞令もまた、私を空気を読む子どもに近づける格好のエサであった。

第一子の様に、「全然しっかりしてないよー。」とか突っ込んでくる妹や弟がいない分、褒められたことを鵜呑みにしやすい一人っ子にはより食いつきの良いエサと言える。

今思えば、こうした何に対する褒美なのか理解できずとももたらされる美味しいエサの数々と、私がエサを与えられる様子を嬉しそうに見守る母の姿が、私は良い子なのだという暗示を掛け、母を喜ばせる為にも、良い子でいたいと私に思わせたのかも知れない。

俗にいう一人っ子の苦労というところだろうか。

これぐらいの苦労だけ味わって、楽に大人になっておけば良かったものの、母子家庭で、母の期待を一身に受けた私は、自分でも気がつかないうちに、母の理想の子へと変貌を遂げていた。

勉強が好きかと聞かれ、嫌いと答えると、「でもお母さんと勉強するの楽しいでしょ?」と聞かれ、楽しいと答える。本当に楽しい時もあれば、別に楽しくない時もあった。でも、「母と」と前置きされると、楽しいと答えなくてはいけない気がしていたし、何より、勉強が楽しいと言うだけで、母は私をとても褒めてくれたし、とても嬉しそうだった。気がつけば、勉強は楽しいと答える様になった。

御飯に関しても、答えを誘導されることが多々あった。

外食をした際に、私が「美味しいっ!」と発言すると、すぐさま、母のセンサーが反応し、「でも、お母さんの作る物の方が美味しいでしょ?」と聞かれる。

母の料理は確かに美味しいが、子どもというのはたまの外食をとても喜ぶ生き物であり、特別な違いでもない限り、どっちの方がという趣旨の質問は苦手なものだ。それが味となると、更に表現に困る。

大人ならば、こちらの方があっさりしているとか、違いを明確に言い表せるのかも知れないが、子どもにそんな技が備わっているはずもなく、私の出した答えは「どっちも美味しい。」だった。

しかし、母の表情は冴えないので、私は「お母さんの作ったやつの方が美味しい!」と答える様になり、今となっては、感想さえ言わなくなった。

でも、こんな事は序の口で、一番苦痛に感じたのは、母に叱られる時だ。

自分は悪くないと思っていても、なぜ叱られているか分からなくても、私は謝っていた。

私にとっての問題は、何が正しくて、何が間違っているかなどという正論ではなく、母が怒っているという事実のみだった。

私はとにかく怒っている母が怖かったし、父や兄弟など第三者が家にいないことで、逃げ道もなかった。

加えて、私が謝ると、母は、私が素直に謝ったことを褒めた上で、いつもの優しい母に戻るのだ。

だから私は必ず謝った。自分の思いなど、母が私を許す頃には、どうでも良かった。

私の母に対する反応は算数の公式の様に、質問と、それに対する解答が明確に決まっていて、その事が日常化する頃、もう私は何の苦痛も感じなくなっていた。

公式は公式で、そこには疑問など存在しないのだ。

母にとって、幼少期の私は、絵に描いた様な良い子だったかも知れない。

でも、それは所詮、母の願望でできた子どもであり、そこにいたのは本当の私ではなかった。

多分、母に自覚はないのだと思う。

自分の理想を押し付けているつもりも、答えを強要しているつもりもなく、ただ一生懸命に私を育てただけなのだろう。

けれど、私は私を演じなくてはならなかった。

空気を読んでいるうちに、いつしか私が空気になってしまった。

その頃からもう、私の腐敗は始まっていたのだ。



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