腐る
ミカン。
綺麗なオレンジ。
おいしいよね。
冬は特に。
気付けば家の片隅に。
おばあちゃんがダンボールで送ってくれる。
甘いミカンが好き。
ちょっとすっぱいのも嫌いじゃない。
食後はミカン。
皮剥くのちょっと面倒くさいけど、許せる範囲。
ミカンが嫌いな人、何かミカンにトラウマを抱える一部の人は別として、ミカンが好きな人、特に好きでも嫌でもない人の感想はこんなものだろうか。
今この世に生存している全ての人が産まれるずっと以前から存在したであろうミカン。
これ豆腐の話じゃなかったっけ?
そんな疑問をいだいた諸君。
豆腐登場までそう時間はとらせまい。
もうしばらく読み進めていただきたい。
さぁ、さっきの続きだ。
長年愛され、我が国でも当たり前の存在、ミカン。
そんなミカンもある時を境に、人々から疎まれる存在となる。
変わり果てたその姿は発見されるや否やゴミ箱行きとなる。
ミカンが嫌いな人はもちろんのこと、ミカンが大好きな人々も同じ思いだろう。
食べたくない。
早く捨てなきゃ。
気持ち悪い。
他のは大丈夫かな?
時には、こんな言い回しにまで使われる落ちぶれ様だ。
ろくでもない奴だ。
あいつは人間のクズだ。
つい先日まで、私の身ぐるみをずたずたに裂き、頬張っていたくせに。
「この白いの取るのだるくない?」とか言いながらも、結構綺麗に取っていたくせに。
そんなミカンの悲痛な叫びが聞こえていそうだ。
それでも、世の大半の人々は、発見するや否や捨てる。
燃えるゴミ・燃えないゴミを瞬時に判断し、捨てる。
もちろん燃えるゴミに捨てる。
容赦なく捨てる。
『腐る』
その瞬間を境にどれだけ愛されていたミカンもその価値を持たなくなる。
ってかさ、そんなの肉も魚も全部じゃね?
そう、その通り。
なのに、ろくでもない奴だ・人間のクズを表す言葉に選ばれたのは、なぜかミカン。
なぜ、ミカン?
私はミカンを不憫に思った。
ミカンが生きていたら、名誉棄損で裁判が始まるかも。
「おまえみたいな奴を腐ったミカンて言うんだよ。周りの人間は迷惑してるんだよ、お前がいるせいで。」
なんて声が聞こえた日には、ミカンがデモを起こすかも知れない。
そんな妄想がひと段落したある日、私はダイエットを始めた。
と言っても、運動は好きではないし、大金を叩いた美容器具はいつもの場所で、いつも通り、埃を纏って居座っている。
まぁちょっとしたインテリアだ。
あと、「おいしいから続けられる」がセールスポイントの激まずジュースも飲む気がしない。
タンブラーが邪魔です。販売元に伝えたいことはそれだけだ。
運動がてら歩いてスーパーへ。少し矛盾していても、そこには触れない様にしている。
今日は大好きなチョコパイが二十円安い。
これは買いだと思う、うん。
いや、違う。いつもなら迷うことなく手を伸ばすが、今日の私は違う。
買いに来たのは、うどんのだし、榎、白菜は家にあったはずなので、とうふ。
うどんのだし、榎は即発見。後、あ、あった。
これこれ。
『おとうふ』
そう、あなた。
特売らしいが、チョコパイの時の感動はない。とうふの相場なんか知らない私に、特売の赤いポップは何の価値もない。
チョコパイに背を向け、スーパーを出た私は、少し早足で帰宅した。
早足の方が痩せるよね?
帰宅早々、うどんのだしを火にかける。
白菜を適当に切って洗う。すでに面倒くさい。
榎を裂く。こういうのちょっと好き。
最後に本日の主役、おとうふ様を六等分にした後、うどんだしに投入。
次に白菜の堅そうなところと、榎。
鍋の中で、適度に踊らせたところで、白菜の青いところを投入。
鍋の表面が葉っぱだらけになったのも束の間、すぐに榎も顔を覗かせ、奥底にはおとうふ様もいらっしゃった。
女が作る男の料理、湯どうふならぬ、だしどうふが完成致しました。
ヘルシーとはこのこと。想像通り。可もなく不可もない。
ただ、自分の胃袋も掴みきれないこの料理の腕じゃ、結婚とか厳しいだろうなとか思う。
あ、料理上手な男。
とかも考えるけど、料理上手な男は料理できない女に厳しそうだとか、料理上手なパパと、料理下手なママっていう絵が嫌だとか、子供まで登場させてみた結果、更に嫌になったので、妄想はこの辺りで止めることにした。
つくづく理想ばかり高い女だと、自分が嫌いなる。
だって、努力嫌いなんだもん。
なんて口にした日には、四面楚歌になりそうなので、人類滅亡三日前ぐらいまでは言わないでおこうと思う。
そして、頭の悪い女なりに、見た目ぐらいは人間の女の子でいれる様に努力しようとも思う。
例えば、グレーのマキシワンピを着てもトドに間違われないように。
裾がゴムの七分丈パンツから出た足がフライドチキンみたいで、足首持ち手みたいとか思われないように。
『外見が全てではない。』
その通りだと思う。でも、全てではないからこそ大事なのだと思う。
どんなに理屈を並べても、現実問題、外見に中身は反映される。どんなに綺麗事を並べても、人間の第一印象の八割以上は見た目で決まるのである。
デブは仕事ができないというレッテルを貼られるという話、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。
自己管理能力が欠如している。
主な理由はこれに他ならない。
しかし、この美しく纏まった一文は、デブが大嫌いな人間が、声を荒げることなく、デブを排除する為に考えだしたことでしかない。
デブは自己管理能力が欠如しているなんて、そもそもおかしい。
自己管理能力ができないデブとは、痩せて可愛い服が着たい、モテたい。痩せたら、今より可愛いよね?よし、今日からダイエットしよ!運動不足だし、ランニングでもしよっかなー、あ、でやっぱ最初はウォーキングかな。あ、でも、今日雨だし、明日からにして、今日は今から、もう何にも食べないもんねっ。あ、でも、何にも食べないダイエットって、体にも良くないしダメだよね、えーっと、冷蔵庫何入ってたっけ?あーっ、ケーキ。明日の朝の方がまだいいよね?あー、でも、明日の夜合コンだし。いっそ捨てようかな。でも、世の中にはごはんも食べられない子たちがいるのに、捨てるなんて。よし、今食べよ!食べて、ストレッチして、半身浴二時間。で、明日の朝と昼はサラダだけ、合コンでのお酒は付き合い程度で。完璧じゃないっ?あーおいしい!ケーキにはコーヒーでしょ。ミルクと砂糖は一杯だけ(スプーン山盛り)。よし、テレビ見ながらストレッチしよーって思ってたけど眠い。あ、もうこんな時間。二時間も半身浴とか面倒くさい。もう寝たいし。睡眠って大事だよね。荒れたお肌じゃ合コン行けないし。明日、朝も昼もサラダだけだし、もういっか。あー明日、何着よう。細く見えるけど、地味じゃなくて、明るい色のがいいけど、膨張しない色。あ、この前買ったスカートどこに仕舞ったかな?あれに首空き広めのブラウスで、首長効果。
アクセはあのネックレスと、でっかいフープピアスで小顔効果。あー、でも、明日は可愛い系で行くから、あのフープピアスはちょっとなー。まぁ、フェイスラインにちょっとブラウン系のパウダーでも叩いて、小顔っぽくすればいっか。ってか、まぁ大丈夫でしょ!寝よ。
外見は気にするが、努力はしない。
これ。まさにこれ。こんな人の事を言うんだよ。
デブだというだけで、一括りにするなんて、生粋のデブに対して、失礼にも程がある。
では、ここで、生粋のデブ○箇条を発表する。
・自分がデブであることを自覚し、受け入れている。
・他人にデブであることを馬鹿にされても気にしない。
・ある時はデブを笑いに変える懐の深さを持ち合わせている。
・デブが他人にかけてしまうであろう迷惑を自覚し、それを最小限
に抑える努力をしている。
・デブのほうができることは率先して手伝う。
・ぶっ倒れて、人に迷惑かけない様に、健康診断では先生の話は聞く。
・でも、ごはんは残さず美味しくいただく。
・適度な運動は心がける。
・座右の銘は『デブは愛嬌』
これが、デブの、デブのー、いち・にぃ・さん・しぃ・・・きゅう?
うん、九箇条です、はい。
生粋のデブは、時に、容姿端麗な彼・彼女より、人気者になることがあります。
時に、ものすごくモテます。
そして、ある時には、仕事でナンバーワンになっちゃうことだってあるのです!
そんな愛すべきデブの、どこに自己管理能力の欠如が見られるのか。
デブだって、ピンキリなのです。
誰が考えたってわかることだ。
容姿端麗な馬鹿もいれば、頭脳明晰なデブだっている。
にも関わらず、デブは仕事ができないという考えの人間がある程度存在しているのは、理屈ではないということだ。
生理的に受けつけない。見ていていい気がしない。近くに寄られると鳥肌が立つ。デブには嫌な思い出がある。
先に記した三点に関しては、ただのわがままであり、自己都合に他ならない。
子供が、ニンジンはいいけど、ピーマンは嫌だ、ピーマン食べなきゃいけないなら、ごはんいらないなんて言うのと、何も変わらない。
むしろ、その考えこそが、自己管理能力の欠如に等しい。
ただ、最後の一つ、デブに対する嫌な思い出は、一概に否定することはできない。
なぜなら、先程の三点は、先入観が基準になっているのに対し、思い出と言うのは実際に接した結果から生まれた感情がベースになっているからである。
思い出したくもない!と言うのなら、無理にとは言わないが、その思い出を今一度解析してほしい。解析ポイントは一点のみ。
・その思い出は、自分に嫌な思いをさせた彼・彼女・動物ete…がデブでなければ、嫌な思いをすることは回避できたのか。
この一点に尽きる。わかりやすく言えば、原因がデブによるものなのか、その嫌な出来事を引き起こした人間なり動物なりがたまたまデブだったのかと言うことだ。
例えば、こんなシチュエーションはどうだろう。
・会社員のA子は、社内でもスタイルの良さに定評のある美人OL。
ある朝A子は、乗り合わせた満員電車で、デブなおっさんに遭遇。痛いから、押さないでよっ!息は臭いし、脇汗も酷い。はっきり言ってキモい!これだからデブは嫌なんだよ!しかも、今、こいつ、私の足、思いっきり踏んだのに謝る素振りもないし。ってか、音楽聞くなとは言わないけど、音漏れしすぎでうるさいし、朝からムカつく。だからデブは嫌いなんだよ!とA子は思った。
あのデブっ!っと一言言ってやりたくなるのも無理はない。
しかし、この場合、悪いのは、おっさんと満員電車に乗り込んだA子本人であり、このおっさんがデブであろうがなかろうが回避できないケースと言える。
仮にこのおっさんが、スマートな体型であったとしても、息の匂いや、電車内での彼の態度が変わることはなかっただろう。
脇汗に関しては、体質の問題でもあるので、肥満が原因であるとい
う断言はできまい。
次に、A子自身についてだが、満員電車に乗り込んでおいて、押した押されたと腹を立てるのはいかがなものかと思う。
彼一人がスマートな体型になったからと言って解決できる問題でもないし、もしかすると彼自身、誰かに押されたのかもしれない。
足を踏まれたことについても同じことが言える。ベストな対応としては、自分が他人の足を踏んでしまったという事実に気づき、相手に対し謝罪をすることだが、それはあくまで踏んでしまったという自覚がある場合に限定される。
何しろ踏んでしまった本人も簡単に動ける状態ではないのだから、踏んでしまったことを自覚していない可能性もあるし、自覚していても、踏んだのが誰の足なのかわからないということも考えられる。
それにこんなことは、誰にでも起こりうることであり、満員電車に乗車する者の宿命と言っても過言ではない。
この宿命を受け入れられないのなら、満員電車になど乗るべきではない。
音漏れという迷惑行為を知ってか知らずか平然と犯している彼の無神経さが、A子の怒りの要因となったことは事実であるが、そこで問われるのは、おっさんの人間性であり、体型ではない。
デブに偏見のあるA子は、満員電車に乗らなければこの出来事を回避できたという点は見落とし、彼の人間性・マナーの欠如の問題を体型の問題と混同しているのだ。
だが、A子は決して変わった人でも、気難しい人でもない。
この社会で生きる、いわゆる普通のOLだ。
ケースは違えど、人は誰しもA子と同じ面を持ち合わせていると思う。
体型・肌の色など、人間の見た目で視覚に入るものは何でも対象になるだろう。
ある日ふと思ったことがある。
日本人は黄色人種だから、ミカンだったんじゃないかって。
黄色と言えばバナナやレモン・グレープフルーツや、沢庵なんかもあるけど、人間の顔の形をイメージするなら、真っ黄色の沢庵やフルーツより、みかんの方がしっくりくる。
こたつやお風呂で暖まって、頬の赤くなった笑顔の子どもたち。
想像するだけで、鮮やかなオレンジのミカンのイメージにぴったりだ。
それに、レモンやグレープフルーツが、ダンボールやかごにどっさり入っているところはあまり見かけない。
腐ったミカンを、できそこないや、ろくでもない奴に例えた人には、ダンボールやかごにという社会に入った不特定多数のミカンたちの一部が腐っているのを発見して、取り出して見たら、その中心に見るも無残なミカンを見つけたんじゃないかって。
ここでもまた、ミカンの声が聞こえた気がした。
腐るまで、放置したのは、どこのどいつだ。何日も真っ暗な箱の中でぎゅうぎゅう詰めにされてたんだ。知らなかったとは言わせねぇ。
腐ったのはミカンでも、ミカンを腐らせたのは人間なのだ。
腐る前に箱から出せばいい。腐る前に食べてしまえばいい。食べきれないのなら、近所の人にお裾分けすればいい。
腐らない様に対処することはできたのに、何もせずに放置した結果が招いたことだ。
社会でも同じことが言えるのではないだろうか。
人間はミカンと違い、意志や感情、顔や手足など、肉体を持ち合わせ、それらをコントロールできる能力がある。
を上げたり、文字を書いたり、手足を使ったりして意思表示ができる。
それらを駆使すれば、問題を起こさないことも、起きてしまった問題を解決することもできる。
だから、何か大きな問題が起きれば、問題を起こしたやつが悪い、以上!
これは社会の一般的な見解であり、周知の事実だ。
しかし、人間はミカンとは違うのだ。
ミカンの様に、皮を剥いて、中身を見てもらうこともできないし、自分に起きた異変を色を変えてお知らせすることもできない。愛されても、嫌われても、おいしいと言われても、まずいと途中で捨てられても、腐っても。
ミカンとして生まれてから、その身が亡びる瞬間まで、時に身を任せて、何もせず、何も言わずに生き続ける。
そんなミカンの様な素晴らしい生き方は、我々人間には到底できまい。
人間はミカンとは違う。
不完全で、不確かで、誰かに愛されなければ、名前を呼ばれなければ、何かを口にしなければ、何かに触れなければ、生きているのかいないのかさえ、認識できない弱い生き物なのだから。
けれど、そんな弱い私たち人間にも、ミカンに負けない不思議な能力がある。
元気とか癒しとか向上心とか。
もし、私がミカンで、これを聞いたら人間ってもうちょっと凄い奴らだと思ってたよ、何それ?って思うかもしれない。
けれど、人間って、そんなもんだ。
人間はミカンより、簡単に腐る。嫌なことがあった、悲しい思いをした、もう全部嫌だ。
ほら、もう心の一部が腐っている。
更には、あんなことさえなければ、あんなやつさえいなければ、悪いのはあいつだ、社会だ、全部消えればいい。
もう、腐敗の一途をたどっている。
ほんの一言、ほんの一瞬で、人間は腐る。邪悪な心をやどしたり、悲しみに暮れたり。実に単純で脆い。
こんなミカンより脆い人間がここまで生きて来人類の進歩、技術開発。そんなもので生きていけるほど、人間は利口な生き物ではない。
誰かの言葉に傷ついた。自分を傷つけた誰かを憎んだ。でも、別の誰かに話をすると、とても共感してくれて、その後も話に花が咲いた。話が終わる頃には、自分を傷つけた誰かも何かストレスを感じていたのかも知れないとか、自分にも何か問題があったのかも知れないと思える様になって、家に着く頃には、傷ついた思いだけが充満していた心が、反省と感謝と優しい気持ちでいっぱいだった。
こんな風に馬鹿みたいに単純に腐敗と浄化を繰り返す。色も形も変えずに、二十四時間×日数=死ぬまで。
人間はミカンとは違う。
自分を腐らすこともできるし、腐った心を浄化させることもできる。
些細なことで誰かを傷つけることもあるし、何もしていないと思っていても、誰かを救うこともある。
人間って、マジ面倒くせぇ。
そんなミカンの声が聞こえる。
マジ面倒くさくて、愛おしい。
それが人間であり、そんな人間を辞めれるものなら私である。
今日も心の腐敗を感じる。
今日、私の心を腐敗させたのは、母だ。
そんな母がミカン剥いているのを見たのを最後に、私は部屋にこもった。