第五話 魍魅褊(二) 神喰の水虎
魍魅は河童の枠魍を超えた存在であった。 いや、河童というカテゴリーを超越して存在していた。普通の河童の背丈は人間よりもかなり低い。だが魍魅の巨躯は六尺五寸を優に超えていた。最初からこのような巨体ではなかった。ある出来事が渠を変化させた。
かつて、・・・かなり昔のことだ。今迄の棲み処を追われた河童たちが新しい地にやって来た処には既に土着の神が支配していた。河童たちが最初挨拶に行ったとき、社殿の扉の奥深くから穏やかな神の聲が聞こえて来た。
-----さてさて、いくら田舎とはいえ、お前たちのような妖怪が大挙して押しかけたら此処の人間共も難渋するわ。軋轢が起こるぞ。そうなってはまた棲む処を失う、お前たちも困るだろう、儂が仲を取り持とう。人間の目からも隠してやる。その為には、儂を崇めてくれねばな。-----
「いやいや、それはもう・・・わしらの平穏な生活を御守り下さるのであれば、何も言うことはございません。全て神様のおっしゃられるとおりに致します。」
-----それが良い。我に従い、我を崇め、祈りを捧げ、我に供物を捧げよ。----
「一度神様の尊い御姿を見せてはいただけませぬか?。」
「神は滅多なことで人身の前に姿は顕わさん。フフフッ、お前たちは人ではなかったな。まぁ良い、供物を運んで来た者には姿を拝ませてやろう。」
その供物を河童たちは最初、人間たちが神様へ供えているのと同じ様なもの、と思っていた。
米や野菜は無理だけど、魚なら何とかなるだろうと思っていた。 だが・・・その供物は・・・河童自身であった。
遥かな太古、この土地を開墾に来た中央の役人に、人の住む土地と己の支配地を分けられ境界に結界の梲を打ち込まれた。(邪神は封印される前、人間の魂魄を餌としていた。食えば食っただけ強力な妖力を蓄えていった。)人間はこの封印した神の祟りを防ぐため社を作り神として祀ったが、しかし支配地域が限定され、人間の里に近づくことが困難なこととなった。社殿の扉は常に固く閉じられ、開けられることは決してなかった。
時折神隠しの様な事象で誤って結界を越えて入って来た人間を襲ってその魂魄を霊力に取り入れていたがそれも何年かに一度あるか無いかであった。己の霊力を維持することは困難になっていた。そこへ・・・妖気をふんだんに備えた妖怪の一族が自分たちを守ってくれ、と言ってやって来た。邪神にとって願ってもない吉兆が飛び込んできた。邪神はこれを贄とすることを思いついた。河童一匹の魂魄は人間の五六人分に当たる。これを食えば己の霊力は昔以上に跳ね上がる、はずだ。・・・結界の梲も破壊出来るかも知れぬ・・・
(こいつらを中に入れることが出来れば、・・・)
最初、神の言葉を河童たちは信じた。最初の数年間、河童たちの棲み処を人間の目から完全に隠くし、軋轢も起きなかった。だが同時に不可思議な出来事が起きた。
彼等が暮らす里の周り五里四方を取り囲む様に霧が発生したのだ。まるで柵の様に、防御壁の様な形で・・・だがこれは人間がこの中へ入るのを防ぐためではなく、河童がここから出るのを防ぐためであった。霧の中へ迷い込んだ河童たちは、迷ったまま帰って来ない者もいた。その霧の中に邪神が配置した鬼がいた為だ。そればかりではない、年に二度、春と秋の例祭に社へ供物を供えに行った河童たちがまったく帰って来なかったのだ。その数年間での犠牲者は二十人近くとなっていた。邪神の妖力は少しずつ戻りつつあった。
「こんなことがあるだろうか・・・」「仲間は何処へ消えたんだ?。」
杜の社殿の前にやって来た河童の代表者たちが扉の前に鎮座し神に尋ねた。神の答えは・・・
-----その者たちは安寧の地へ行ったのだ。ここよりさらに素晴らしい場所がある。それを教えてやったら喜んで其処へ向かった。-----
「そんなバカな、仲間に何も言わず消えるわけがない。」「其処はどこなのですか?。」
「西方浄土じゃ。お前たち妖怪でも行く方法がある。」 「何ですと・・・?」
「西方浄土・・・って、あの世ではないか。」「仲間を食ったのか・・・。」
-----儂から逃げられると思うな。お前たちに呪いをかけた、この土地からは出られぬ。ここを出てもお前たちに行く所はない。そしてすぐに人間に見つかるぞ。なに、約定は守るぞ。お前たちを守ってやるという約定はな、その代わり、儂の贄として仕えるという条件だが。-----
「奴隷ではないか・・・。」 「奴隷より酷い・・・」
-----主従の関係と言い換えればいいかな。お前たちは儂を崇めると言ったはずだ。儂は貴様ら全てを食い尽くすわけではない。な~~に、年に二人ばかりこれから儂に供物としてお前たちの中から贄を差し出せばよい。・・・ここから逃げられると思うな。お前たちを囲む霧の中、ぐるりと鬼どもを配置してある。結界の外に出る者全てその鬼の餌食となる。-----
呪いをかけた、という言葉で河童たちは萎縮してしまった。頭から信じ込んでしまった。・・・此処(この土地)から逃げられない・・・ 「・・・・・・・そんな・・・」
-----人間でも大きな建物や橋を掛けるときは人柱を立てるぞ。人がやっておるのだ、お前たちにも出来るであろう。儂に差し出す贄はお前たちで選べばいい。次の例祭までな・・・-----
-----待っているぞ-----
そう言い残して邪神の聲は社殿の奥に消えて行った。
これに恐怖を感じた河童たちの何十人かが決死の覚悟で霧を越えての脱出を図ったが、霧を抜けた途端に獣に襲われ、人に見つかり撲殺され、更には(邪神が出現させた)鬼にまで食われた。
-----まったく、余計な妖力を使わせてくれるわ、梲を破壊してこの地を再び完全に支配するには妖力がまだ足りぬからな。差し出させる贄の数を増やさせねば割に合わぬ。-----
河童の里を暗黒の霧が覆っていた。
「神様というのはこんな事をするのか・・・」「生贄を求める神様なんて聞いたことがない。」
「生贄を俺たちで選べなんて、そんなこと出来るわけがない。」
「くじで決めるしかないのか・・・・・・・」 誰かが力なくポツリと言った。
「次の例祭の贄には、俺がなる。」
周りの空気を払拭するようにそう言った若い河童がいた。もうみという若い河童だった。
「もうみ、お前・・・いいのか?、食われに行くんだぞ。」
「前からおかしいと思っていたんだ。供物を届けに行った仲間が誰も帰ってこないなんて・・・
奴は俺たちを餌にしていた。あれは、神ではない。神の名を語った奴は・・・悪魔だ。」
「もうみ、お前は今年祝言を上げる予定ではなかったか、嫁を残して死にに行く気か。」
「死ぬとは限らん。」 「何を考えている?。」
「あの悪魔を殺してやる。」 「馬鹿、! 無茶な話しだ。非力な河童に何ができる。」
「刺し違えても殺してやる。」
「出来なかったときはどうなる。奴は怒り狂ってさらに多くの生贄を出せ、と言ってくるぞ。」
「だったらこのまま奴の言いなりになっていくつもりか、この先百年、二百年・・俺たちの子孫が苦しみ続ける。」
このもうみの行動を認めるか否か、意見は割れた。
「無理だ・・・」 「しゅ、・・酒吞童子みたいなわけには、・・・いかんか?」
「あんな物語のように上手くいくわけないじゃろ、おそらく、そんな昔話は奴も知っとる。奴は、たちどころに看破するわい。」 重い空気が流れた。-----打つ手なし、だ-----
この時、一同を鼓舞する言葉を発っした者がいた。もうみの嫁となる女河童だ。名をイルマという。
「もうみだけを行かせはしない。あたしも行く。あたしはもうみの妻だ。」
「 まだ契りは結んでないぞ。お前まで来る必要はない。」
「二人で一人だと言ったじゃないか。アンタだけ死んであたしが一人残されたら・・・あたしは、どうすればいい・・・」
「他の河童と一緒になれ・・・俺は最初からいなかったものと思え。」
「バカ!・・・」 イルマは泣きながらその場から走り去った。
長老の一人がもうみのところへ来て諭すように言った。
「やはりお前の行動は容認できん。ヤツを完全に、息の根を止められれば問題ないが、おそらく無理じゃ。お前が僅かでもヤツに傷をつけたら、その後の報復は恐ろしいものになる。お前も死んでワシらも皆殺しにされるわい。・・・・贄は、公平にくじで決める。」
長老たちは一族の滅亡より存続を選んだ。どんな形でも・・・それは未来も、繁栄も無い形での種の存続だ。
-----それで生きていると言えるか・・・鳥や獣が羨ましい。俺たちに比べれば、人間の百姓の方がまだましだ。辛い日々でもあいつらにはまだ喜びを感じられる時がある。俺たちには、無い。-
もうみは月に向かって泣くしかなかった。いつの間にか、イルマが傍に寄り添っていた。
二人は川の傍に佇んでいた。その土手の上を青い光に照らされた人の影が行くのが見えた。
それは神官の姿の様に見えた。もうみがイルマを庇うように抱き寄せた。
(禰宜、か?・・ヤツの社に人はいなかったはず。それとも他に別の神社があるのか。それにしても禰宜がこんな時刻に月夜の散歩などありえん。)
イルマが何かに気付いた。禰宜の直衣の裾から何か出ている。
「もうみ、あれ・・・尻尾じゃないの・・・。」 「狐かぁ・・・!、脅かしやがって。」
この声に禰宜(狐)が応えた。
「これは珍しいものを見た。河童の逢引きなんて初めてみたぞ。月夜に誘われたのは私だけではなかったな。愛を語るには恰好の情景だ。続きをやるがいい。」
「他人に見せるものじゃない。・・・それより、あんた何処から来た?。この村に他に神社があったのか。?」
「人が暮らす処には何処にだって稲荷の祠はある。私はそこを棲み処にしているのさ。人が私のとこにも時々お供え物を上げてくれるからね。今宵は月に誘われて出て来てしまった。」
「あんたはこの辺りの土地に長く住んでいるのか。」
「長いといっても二百年くらいかな。」
「俺たちのいるこの里を支配している神っていう奴の正体は何だ、? 生贄を求める神なんて聞いたことがない。」
「正体を探ってなんとする。」
もうみは自分たちが置かれている残酷な立場を禰宜の姿をした狐に言って聞かせた。
「なるほど、あの森の社にいる神という奴は君たちを餌にする為、ここに閉じ込めたというわけか。」
「奴を殺す。抗う手立てが欲しいんだ。」
「神を殺すかね。どうやって?、無理だな、君たちでは奴に傷をつけることさえ難しいだろう。」
「ならばこのままこの土地でおとなしく運命を受け入れろというのか、残酷すぎる。」
その後にイルマが言葉を続けた。
「公平に生贄を籤で決めるというけれど、自分が助かりたい為に籤に細工をする者も出て来るでしょうね。」
「仲間が割れる。一族の心の繋がりは無くなる。バラバラになって泣きながら暮らすんだ。皆同じ場所で一緒に暮らしていながら・・・」
「抗う術か・・・。」 狐の禰宜が月を見上げて呟いた。
「そういうものがあればと思ったんだ、もしそういう手立てが解れば俺は仲間がバラバラになる前に、刺し違えて死んでも悔いはない。」
「・・・・どうやらその覚悟は本物のようだね。これは縁なのかな、私の祠に来るがいい。」
狐は二人を村の外れにある小さな丘陵の上り口に祀られた自分の稲荷へ案内した。
「私が棲み処にしているこの稲荷は麻多智を祀った稲荷だ。」
「またち・・・?」
「この里を開墾した人物だよ。この祠の納戸に収められている太古の文献がある。人が記録したものだ。ちなみに私は麻狐という名だ。」
二人が太古の文書を見せてもらったが・・・「これは、なんだ?、何が書いてある?。」
「これはすまん、君らには人の文字はよめなかったな。かな文字がなくて漢字ばかりで人でも読める者は早々いない。これは風土記という書物だ。あの森にいる邪神の正体が書かれている。そしてその邪神を封印したのが麻多智という人間だ。」
「邪神か、・・・・純粋な繁栄を司る神ではなかったというわけか。」
「繁栄の替わりに生贄を出せなんて神がいるものか。この風土記によると、・・・奴の正体は『夜刀』だ。」
「や、と、・・・・?」
「蛇の身体に頭に角を生やし、口には牙を備えている。太古の昔からこの地を支配してきた邪神だ。かなりの数がいたらしい。ここの原野を人間が開墾して新田をつくろうとした時にその妨害をしたのが夜刀だ。その時、麻多智という男が夜刀を多数打ち滅ぼした、その後で人間の住む土地と夜刀の支配する土地を分けるため境界に梲を打ち込んだ。-----この開墾は民を生かす為である、これに逆らうならばたとえ神といえども悉く打ち果たす、お前たちはここから出て来るな、----------それに虞をなして逃げ出した夜刀もいたようだが、麻多智の一族はその後で社殿を建てて神として祀ることを約束したようだ。今その社殿にいるのはその時の生き残り、最後まで逃げなかった夜刀だな。」
「人が建てた社に棲みついて、餌が来るのを待ってたというのか。」
「人間と我々との違いは何か解るかね。?」
「いや、・・・人間ってのはあんたたちみたいな怪しの術を使って脅せば簡単に逃げていく、今までそんなもんだと思ってた。」
「人間が私たちと違うところ・・・それは、彼らは武器を作れる、大軍を動かせる。時にはそれで、神すら殺す。夜刀の群れを打ち滅ぼしたのも、居座った夜刀を封印出来たのもまさにそれだ。」
「つくづく人間というのは凄まじい生き物だな・・・。」
麻狐は古文書を更に注意深く読み進めていったところ、或る記述を見つけた。
(こんなものがあったのか・・・読み落としがあったな、私としたことが・・・神官失格だな。)
「さっきは、仲間を救えるなら刺し違えても、と言ったね・・・刺し違えるという事は、奴と真正面から向き合うという事だ。風土記にはその姿を見た者、家門は破滅、子孫截断、とある。そうなっても悔いはないか?。」
「今でも変わりはない、仲間が安寧に暮らせるなら俺はどんな犠牲を払おうとも悔いはない・・。」
「麻多知が夜刀を封印したときの武器がこの祠に納められている。麻多知の一族は都で矢を作る仕事に従事していたらしい。その矢で夜刀の大群を駆逐し、封印した、と書かれている。・・・その矢がここに三本残されているのだ。」
狐の神官は納戸の奥から弓と三本の矢を取り出しもうみとイルマに見せた。
「それを使えばあの悪魔を殺せる・・・」
「この矢には霊力が込められている。これで奴の身体に僅かでも傷をつけることが出来れば、奴が君たちを逃がさぬ為に作り出した結界の効力が切れるかもしれない。その隙に仲間はこの里から脱出できるかも・・・」
「奴の身体に傷をつけただけで奴が作った結界が切れるのか?。やはり完全に倒さなければ俺たち河童の未来はない。」
「でも・・・それで本当に結界が切れれば仲間たちはここから脱出できる、けど・・・」
イルマにはまだ一抹の不安があった。
「長老たちはもうみの行動に不安を感じている。上手くいけばいいけど、そうならなかったとき、あの悪魔の報復が凄まじいものになる、と恐れている。だからもうみに止めろと言っている。」
「だろうね、長老たちの危惧は尤もだ。だが、・・君はそれを一人でやるつもりか・・・?」
「もうみ一人にやらせない、あたしも一緒に戦う。」
「バカ、おまえまで死ぬことはない。犠牲になるのは俺だけでいい。」
「いや、君たちだけでは・・やはり無理だ。」
「無理なものか、その矢を貸してくれ。必ず皆を助けてみせる。」
「君は人間の武器に触ったことがあるのかね。それに君は麻多知のような達人じゃない、同じように考えていたら確実に失敗する。」
「いや・・・無い。人間の武器なんて・・」
「自分だけが犠牲になる、その言葉は美しく、綺麗に聴こえるがもう少し仲間を信じてもいいんじゃないかな。一人で背負い込むのは良くない。・・・仲間の協力を貰え。」
「しかし、一族の為にも、犠牲者を多く出したくない。」
「まだ重要な手掛かりがある。奴は麻多知と対峙したとき、左眼を射抜かれている。」
「目が片方潰れている・・・?」
「妖力、霊力は目に宿る、奴が呪いを発動する前に、残った右眼を射抜ければ、あるいは、勝機が転がり込むかもしれん。麻多智の一族が呪いにかからず奴を封印できたのは遠間から射抜けたからだ。・・・守り刀と言うように、人間が造った物に魂が込められる事が多々ある。我々、妖しの持つ妖力とは違う、霊力というやつだ。私がさっき言った人間と妖怪の大きな違い、決定的な違いはまさにそれだ。人は時にそれを胆力とも言うがね。」
「俺たち妖しでも人の武器が使えるだろうか?。」
「君たち(河童)には人間と近いものを感じることができる。同族を思う気持ち、自分の身を犠牲にしても、というのはまさに人と同じだ。その思いは一瞬だが、君に勝機をもたらすかもしれない。」
「それは・・・ヤツの右眼を射抜く・・・?。」
「あ、当たるの?・・・」 イルマが不安な気持ちで尋ねた。「矢は三本しか無いのに・・・」
「当たらなけれりゃ手に持ってでもヤツにぶち当ててやる。」
「その為にはヤツの直近、真正面に立たなくてはならない。だからこそ、仲間の力が必要だ。」
その言葉にもうみは深くうなづいた。だがこの戦いは激烈なものになる。仲間が何人犠牲になるだろうか。その戦いに一緒に命を捨ててくれ、とは自分から言い出せない。
「これは同族の未来を開く戦いだ。彼らはその未来を、君一人に押し付けるだろうか・・・?
仲間を信じろ。」
もうみは麻狐の言葉を受け取って仲間に全てを打ち明けた。仲間たちもその命をかけると言ってくれた。怖気ずく者は一人もいなかった。河童の中でも屈強な者十数人程が集った。
次の生贄を出す例祭まであと半月余り、その間に弓矢の扱いをものにしなければならない。
もうみとイルマは見よう見まねで弓と矢を作り必死で的を射る練習を繰り返したが・・・
「簡単に当たるもんじゃない・・・」 「人間っていうのは凄いね。」
「やはり難しいか、矢が的に当たらず明後日の方向に飛んで行ったらその矢はもう無駄になる。
矢は三本しか無いんだ。」 麻狐が心配そうに見守っていた。
「わかっている、必ず使えるようにしてみせる。」
「焦るなよ、準備が出来たら他の仲間に伝えて手筈を整えるんだ。年寄りたちにバレないようにね。」
もうみの憂いはイルマのことだったが、仲間に計画を打ち明けたとき、彼女も一緒に戦うと言い出した。他の仲間たちと一緒にいろ、と諭したがその決意はもうみでも変えられなかった。
もうみもイルマもお互いの気持ちは分かっている。
「この戦いは凄惨なものになる。大勢死ぬかもしれないんだ。」
「アンタは最初に死ぬ覚悟だね。」
「言い出しっぺだからな、俺がヤツの正面に立たなけりゃこの作戦は始まらない。」
「アンタの役目は食われることじゃないでしょう。あの霊力の矢を放つこと・・その前に食われちゃ作戦がなりたたない。だから、・・・あたしはアンタの傍にいる。アンタを助けられるのはあたししかいないよ。」
イルマはもうみの胸に手を当てた。
「あたしは、既にアンタのここにある・・・アンタも・・・」
と、もうみの手を自分の胸に添えた。「アンタも既にここにある。二人で一つだ。」
寄り添う二人を麻狐と十六夜の月が静かに見守っていた。
(既望の月に二世を誓うか・・・その思い、ためらわずに受け入れてあげなよ。既望は希望となるはずだ。願いは届くはずだ・・・)
遂に河童たちは例祭の夜を迎えた。生贄に籤で選ばれたのはもうみの幼馴染のイサリという河童であった。もうみとイルマは麻狐の稲荷の前で麻多知の弓と矢を受け取り作戦の詳細を確認した。
「奴は生贄を食うために社殿の扉を開く。姿を現す。まさに直近、真近だ。そのとき友達と入れ替わっていた君が奴に向けて矢を放つ。距離は・・二間もないだろう、必ず当たる!。」
「本当にやるのか?、もうみ・・・上手くいくだろうか。」
夜刀の社殿前に現れたもうみとイサリ、周りは草地となっていた。その社殿を中心に半径六七間の所に等間隔で標の梲が二十本以上打ち込まれていた。
「必ず成功させる。イサリ、お前は俺と入れ替わったら事の次第を仲間に知らせてくれ。神霊の矢が奴の身体に当たれば何らかの兆候が起きるはずだと狐の禰宜が言っていた。本体が傷つけば、おそらく俺たちを逃がさぬように梲の内側に配置した鬼の姿は消えるはずだとも言っていた。」「わかった。」
式台の上に山盛りにされた供物の魚の塊り、その中にもうみは弓と矢を隠していた。しかしよく見るとその魚の塊りから一本の太い綱が出ている。綱は矢の沓巻に固く結びつけられ夜刀から気づかれぬ様にもうみの後ろに延ばされ、そのままイルマとイサリ、そして他十人以上の河童が隠れている草むらの中まで伸びていた。
これから何が起こるのか・・・皆固唾を飲んで見守っている。・・・もし、矢が外れたら、もうみが瞬時に食われたら、・・・予測不能の事態が起きたら、・・・誰も敵と戦う、という経験がなかった。誰かが言った。
「人間ってのはこんな時どうするんだ?。」
「あいつらは戦国時代を経験して、それがやっと終わったばかりだ。」
「こんなの日常茶飯事だったんだろうな。」 「始まるぞ。」
「この地を治める夜刀之神よ、長月の例祭に奉る供物を納めたまえ、御身の僕にその御姿を拝ませたまえ。」
もうみは供物魚の前にひれ伏したままで、その時を待った。扉が開くまでの僅かな時間が河童たちには永遠の時を刻むかの様に長く感じられた。 観音開きの扉が表に向かってゆっくりと、重い音をたてて、静かに開いていった。社殿自体は一般的な大社造りであったが、その扉の向こう、内部に見えるのは漆黒の闇が無限に広がっているかの様に見えた。まるで社殿自体が異界に通じる門であるかのように思えた。
(出て来る気配がない・・・何だ、警戒している?、・・クソっ、焦るな落ち着け、最初の一発を外したら、全て水の泡だ。心を空にしろ。)
闇の中から大きな生き物が、這いずる様な音をたてて近づいて来るのが感じられた。
-----さてさて、儂の正体を知ったか・・何故お前が知っている。・・・(いや、然程大したことではあるまい。考え過ぎだ、河童どもには何も出来ぬ・・・)フフッ、まぁいい、どっちにしろお前は我が霊力の糧となる。その前に儂のありがたい姿を拝ませてやろうぞ。-----
河童は固唾を飲んでその時を待った。 (出て来る・・・)
社殿の奥からついに夜刀が姿を現した。
蛇の頭に角を生やし、胴回りは優に三尺を超え黒橡(紫みのごく暗い青)の鱗で覆われた蛇であった。それが上半身だけをこちら側、外へ突き出している。
(で、でかい・・・)陰に隠れている河童たちも見ていた。おそらく全体の体長は四間に迫るのではないかと思われた。だがみんなの心配をよそに、もうみは落ち着いていた。震えている様子も無い、流れて来た静かな空気がイルマの皮膚に届いた。
(大丈夫だ、もうみは落ち着いている。恐れている空気が無い。)
「儂の姿を拝みながら西方浄土へ行くがいい、そうそう、お前が運んでくれた魚もついでに平らげてやろうぞ。フハハハハハ。」
「我が身を捧げ、一族の永遠の存続を願い奉る。」 「良い心掛けじゃ約束するぞ。」
ひれ伏した姿のままで、魚の塊りの中に滑りこませてあったもうみの両の手は弓と矢をしっかりと掴んでいた。夜刀がもうみを飲み込もうと貌を近づけた瞬間、・・・魚の塊りが崩れ、霊力の矢が夜刀の眼前に現れた。
「我が一族を守りたまえ、此の身死すとも我が同胞に仇をなすこの悪魔を滅したまえ。八大竜王、我が同胞を守り給え。」
もうみの手から霊力の矢が放たれた。 矢は夜刀の喉元に突き刺さり、『ぐぎゃぁ!』という悲鳴と共に地面に倒れた。霊気が夜刀の体を包んだ。その体に明らかな変化が起きている。蛇の鱗からどす黒く赤に染まった血が噴き出してきた。
「お、・・おのれ・・この、河童めが・・・何だ、これは・・・この矢は・・いったい、・・前に・・・、ずっと以前、遥か昔に霰の様に、降ってきた・・・」 夜刀の記憶が蘇ってきた。
血を吐きながら苦しみもがく夜刀が社殿の奥へ逃げようとしていた。逃げられたら全てが水泡に帰す。綱はこの為であった。
-----ヤツが根城にしている社殿はまさに異界の門だ。その中に逃げられたらもう撃つことは不可能だ。中へ逃げ込む前に表に引きずり出す、その為に人数が必要なのだ。扉は、私が閉める。------
これが狐の神官が立てた作戦であった。
もうみは急ぎ綱を手に取り、夜刀の首に二重三重に巻き付けた。隠れていた仲間たちも一斉に出て来た。それぞれが綱を掴むと、悪魔の蛇を引きずり出さんと力の限り引っ張った。
「≪《引けぇーーッ!》≫、力の限り引け―ッ、今この時を逃したら俺たちに未来はない !。」
もうみの怒声が響いた。苦しみもがきながら、社殿に逃げ込もうとする夜刀。河童たちが逆に引きずられる形になったが誰も諦める者はいない。徐々に神霊の力が夜刀の体を犯しつつあった。夜刀の体、鱗から留まることをしらず血が噴き出している。
「効いている。神霊の矢の力は本物だ。ヤツは倒せる。」
その言葉に勇気を得た河童たちが盛り返す。ついに、夜刀の体全体を社殿から引っ張り出すことに成功した。その瞬間・・・扉が音をたてて固く閉じられた。
----------八大竜王に願い奉る、其気吹戸を閉め給え、異界の扉を閉め給え、水棲の民はその僕にあらず、竜王の民なり、最早悪魔を二度と其の中に入れず、悪魔の縛より解き放つべし----------
「な、・・・なんだぁ、・・・何故、我が寝殿の扉が閉じる。?」
夜刀には何が起きたか、理解できなかった。
「お初にお目にかかる。」 「誰だぁ~ッ! 貴様は・・・」
「我が名は麻狐、麻多智稲荷の神官を務める者・・・」
青鈍の束帯に身を包み、河童たちの後方から扉を塞いだ麻狐がオーラを輝かせながら宙に浮いていた。
「麻多智だと・・?、奴の遺物が此処に、残されていたのか、人間がそれを祀っていた・・。」
「覚えがあるな、お前にとっては恐怖の対象だ。」
「お、おのれ・・・」
苦しみもがく夜刀の姿を確認してイサリは急ぎ朗報を待つ仲間の所へ向かった。
(効いている・・・矢は間違いなくあの邪神を苦しめている、結界に変化が起きているはずだ。皆逃げられる。)
「おーーい。」という仲間の声が聞こえた。霧が晴れてきたという声が聞こえてきた。
「やったぞ、もうみがあの化け物に神の矢をぶち当てた。ヤツは苦しんでいる、霧が晴れてくるぞ。」
イサリもそれを確認した。その中に蠢いていた鬼の影が徐々に消えていくのが分かった。
「逃げられる。」「今だ、急げ!。」「イサリ、お前も・・・」
「俺は戻る、仲間がまだ戦っている。お前たちは霧の境目からいそいで逃げろ。できるだけ遠くへ・・・」
-----死ぬなよ、と仲間たちからの声が届いた。「必ずみんなで戻るからな。」とイサリが言い残してもう一度もうみたちの元へ走りだした。
死闘が続いていた。矢の霊力は確実に夜刀の体を蝕んでいた。それでも河童たちは夜刀の巨体に引きずられる形になっていたが、社殿から離れた草地に引っ張ることに成功した。夜刀は引っ張られる力を利用して前列にいた河童に飛びかかる形になり、その一人を食い殺し、飲み込んだ。もうみは背中から振り落とされていた。
「おのれらぁ~~、・・・許さぬ、許さぬ・・一匹残らず・・・食い殺してくれる。」
河童たちは綱を梲の一本に繋いだ。
「喰えるものなら喰ってみろ!、」
河童たちは竹槍と石で夜刀に襲い掛かる。何本かが蛇の身体に突き刺さった。頭が固定されたがまだ蛇の尾が残って強靭な力で河童たちを吹き飛ばすにはまだ余力が残っていた。尾に弾かれて岩に叩き付けられ、また二人が絶命した。麻狐も術を掛け、河童たちを援護する。のたうち回る尾を何とかしなければならないが、その麻狐の陰陽術を跳ね返すかの様に尾は暴れ廻る。
尾を竹槍で地面に固定しようとした者もまた地面に叩き付けられた。一瞬、麻狐は・・
(やはり・・無理か・・このままではこちらが、全滅する。)大きな不安がよぎった。
(まだ右眼が生きている。あれを塞げれば、蛇の力はさらに弱まるはずだが・・・)
もうみは二本目の矢を放つ姿勢に入ったが動く頭に狙いが定まらずにいる。
(クソっ!頭が動く・・狙いがつけられない。ならば近くへ行って、ヤツの顔前で右眼を射抜く。)
既に何人もの犠牲者が出ている。自分もとうに命を捨てている。もうみが夜刀の目の前で弓を構えた時、最後の力を出して、夜刀はもうみに牙を剝いた。矢を射る直前、右眼が赤く光り、牙がもうみの体に突き立てられた。弓と矢がその手から零れた。
「この非力なクソ河童共がぁーーーー、舐めるなぁーー!、おのれらぁ~~全員、食い殺してくれるわぁ~~~ッ!」
「もうみーーーーー!、」 イルマが駆け寄り、もうみの手からこぼれ落ちた矢を手に取って自身が夜刀の右眼に突き刺そうとした。そのイルマの目の前に、もうみが夜刀の口から吐き出される様にずり落ちてきた。首を絞められていたため、最初に飲み込んだ河童がまだ喉の奥に引っ掛かっていた為に、腹の中まで飲み込むことが出来なかったのだ。完全に喰うことが出来ていれば夜刀の妖力はかなり戻っていたはずだが、最早それが尽きかけていた。瀕死のもうみがイルマの手から二本目の矢を取り上げると・・・
「俺がやる・・・まだやれる・・・ヤツも瀕死だ。死にかけている。」
「死にかけているのはあんたも同じ、後はあたしがやる。」
イルマはその矢を再び取り上げて、自ら夜刀の首に跨った。「直接右眼にぶっ刺してやる!、」
「や、やめろ・・・お前には・・無理だ。」
もうみが言う間も無く、イルマの体は振り落とされ、夜刀の牙が突立てられた。夜刀の大顎がイルマを飲み込もうとしている。最初の河童を無理矢理だが喉の奥にまで飲み込んでいた。夜刀の首の綱が緩んできていた。
「クソォ―!、やめろーーッ!。」 引き剝がそうとしてイルマの体を掴んだ。だが、もうみも引きずられる様に大顎に飲まれていった。これはには麻狐も、万事休すか・・・と思ったほどだ。
そこへイサリが戻ってきた。苦戦を強いられていると予想はしていたが、その惨状に啞然とするしかなかった。 呆然と腰を落とすしかなかった。
「やっぱり無理だったんだ・・・俺たちは・・・非力すぎる。」
「何故自分たちを非力だと決めつける。ヤツは弱っている。死にかけてるのは向こうも同じだ。自分を犠牲しても仲間を救う、その気持ちがヤツを追い詰めたのだ。非力な者にこの状況は作り出せぬ!、あと一押し!。この後は、・・・私がやる。まだ無事な仲間を連れて、下がっていたまえ。」
しかし外へ引きずり出すことは出来たが打つ手が無い。 夜刀は苦しむ息の中で、挑発的な聲を出してきた。河童たちが突き刺した竹槍が体に数本刺さっていた。そこから血が流れ出している。邪神夜刀の妖力が尽きるのが先か、河童たちが全滅するのが先か・・・麻狐は地面に落ちていた残り一本の矢を術をかけて自分の手に引き寄せた。
「グフッ!・・・この・・・クソ狐の禰宜め・・・、こいつらを焚き付けたのは・・・貴様だろうが・・・安全な所にいないで・・・ここへ来て、そいつで俺を殺してみろ・・・梲を越えて、この中に入ってみろ。人や河童どもと違い、貴様がこの中に入れば或いは出られぬかもな。・・・恐ろしいか、・・俺を・・・・殺しに来てみろ・・・」
「・・・・・・責任は、取らねばなるまい。・・・お前をこのままには出来ないからな。」
麻狐は矢を強く握り締め、強い足取りで前に踏み出し自ら梲の結界の中へ入った。重い空気の壁が波紋が拡がるようにその体を中へ通すと梲の結界の壁は再び閉じた。最早、夜刀を倒さねば恐らく再び外へ出ることは叶わないだろう。 夜刀はその鎌首を擡げ向き合った。
「自ら中へ入って来るとはな・・・貴様の霊気は人間千人分に匹敵するであろうな・・・・恐らくこの周りの梲を破壊出来る程に・・・・貴様を食えば俺が出られる、・・今・・喰らって・・やる!。」
両者が激突する、夜刀は頭を上下左右に揺り動かす。頭の後ろを取られたら右眼に矢を突き立てられる。だが、夜刀も麻狐の肉片を喰らいたいのだ。麻狐の霊気を喰らうことが出来ればそれから得られる霊力は河童の比ではない。残りの力を出し尽くしても、この狐を食わねばならない。
麻狐が宙を飛び、頭の上を取ろうとした。その瞬間、夜刀の尾が更にヒュンという音をたて閃光の様に三メートル以上も伸びて麻狐に襲い掛かった。尾の先端が鋭く尖り、麻狐の体を突き刺した!。 「グッ!。」という声と共に血を吐きながら麻狐は地面に串刺しにされた。
「これで終わりだ・・・今から・・・貴様の骨まで、食いつくして・・・やる。」
夜刀が荒い息使いのなかで、グフ、グフと血を吐きながら麻狐に迫った。両者共に、虫の息寸前となっている。夜刀が再び鎌首を上げたその瞬間であった。この時、夜刀は自分の体内に激痛が走るのを感じた。 「ウ、ウェッ!、・・・ぐぁっ!。」
夜刀の胴体が突然膨らみ出した。胴体・・喉の部分だ。そこから外へ・・・麻多智の矢が突き出てきたのだ。
一瞬、夜刀は何が起きたか理解理解不能となった。突き出た矢が一旦引き戻され、再び喉から、腹から、背中から、何度も出てきた。その穴という穴から血が噴水のように吹き出し、夜刀は崩れ落ちた。-----何が起きた、?・・・麻狐にも直ぐには理解不能だった。
「ウ、ウェッ・・・!・・・・・」
もう夜刀は言葉を発することも出来ずにいた。喉の辺りが異様に膨らみ続けている。
「ウ、・・・エッ、」 更に膨らみ、大蛇の皮がはち切れんばかりとなっている。
(もうみたちを飲み込んだ筈だが、完全に腹の中へ入っていない、?・・・何が起きている?。)
次の瞬間、麻狐は信じられないものを見た。夜刀の断末魔と共に、内部から、頭骨を突き破り夜刀の右眼を中から貫いて矢が突き出てきたのだ。そしてその夜刀の肉片を腹の中で食いちぎっていたもうみが夜刀の血を全身に浴びながら上顎と下顎を引き裂いて出て来たのだ。
「な、・・・何だ、? もうみが・・デカくなってる。あれはもはや・・・河童の体躯ではない。優に六尺、いや七尺は超えている。」
もうみの体が明らかに変化しているのが分かった。もうみが口元に夜刀の肉片を食わえていた。そこからら血が滴り落ちている。
「なんという執念・・・彼のあの体躯の変化は、・・・腹の中で、夜刀の肉を食いちぎり、全身に血を浴びて・・・体が数倍の大きさになった。夜刀の血を飲んだのか・・」
夜刀の頭を引き裂いて出て来たもうみはイルマの亡骸を抱えていた。
その姿に生き残った仲間たちが驚愕した。明らかに自分たちと体格が違う。強靭な手足と、そこには虎の様な爪と牙を備えていた。それが泣き崩れながらイルマを抱えていた。
「あれは・・・もうみか、?」 仲間たちが恐る恐る近づいて行った。
「もうみ・・・その姿は・・・?」
「・・・・・・俺はイルマを助けられたら代わりに死んでもよかった、一緒に死んでもよかったんだ。」
「君が死んだらこの後の河童の里の行く末を誰か見守るのかね、?」
麻狐が夜刀に貫かれた腹を押さえ、苦しい息の中でもうみの前に来た。
もうみはまだ自分の体の変化に気づいていなかった。
「邪神の血を浴びてその血が体に入ったが、・・・君は尚、・・・自我を保っている。・・その姿はまさに魍魅・・・水辺に棲む怪物、・・・水虎の誕生だ・・。」
もうみは改めて自分の姿を見返してみた。明らかに自分の目線の下の方に仲間たちがいる。
自分が大きくなっているのがその時分かった。
「一体何が起きた、?・・・」
「夢中で気がつかなかったのだろう、・・・もう君たちを覆っていた怖れは消え去ったよ。
皆・・・姿は変わったが彼は彼だ・・・何も心配することは・・・無い・・・」
その言葉でイサリも生き残った仲間も、もうみの元へ駆け寄りお互いがしっかりと抱き合った。
「神官の麻狐よ、ありがとう・・・なんと礼を言ったらいいか。」
「魍魅よ、・・・水虎として、・・・これから、君が仲間を守るんだ。・・・やはり君たちは、他に存在する物の怪とまるで違うね。・・・人のようだ、仲間を思いやり・・・仲間の為に自らを犠牲にするのを、・・・厭わない・・・それは誇っていい。」
麻狐は苦しい息の中で河童たちに語りかけた。 「麻狐・・・」
「さ、・・・仲間たちのところへ行きたまえ、君たちの帰りを皆待っているだろう・・安心させてやるがいい・・・私には、まだやる事がある・・・。さぁ行くがいい・・・。」
魍魅たちが戦いで倒れた仲間の遺骸を抱えて里へ戻った時であった。突然、夜刀の棲処、つまり社から炎が立ち昇ったのを河童たちは目撃した。
「夜刀の棲み処を焼いたのか・・」 「あの狐の神官が後始末をしているのか。」
魍魅は一瞬胸騒ぎを覚えた。麻狐が夜刀の攻撃で深い傷を負っていたのを思い出した。如何にも気になってイサリにその場を任せて自分は麻狐の元へ走った。魍魅が駆け寄ったとき、邪神が棲み処としていた社と、夜刀の遺骸が激しく音を立てて燃え盛っていた。その近くに、妖力を使い果たした麻狐が横たわっていた。
「やはり、怪我は相当重かったんだな。腹を貫かれたるじゃないか。こんな状態で妖力を使ったら、命に関わる。」
「いいんだ・・・これを、このままにして置けない・・・全て更地に戻さねば、・・・呪いは消えぬ・・・」
「俺たちの為に、ここまでしてくれたのか・・・」
「魍魅、・・・君は夜刀の血を浴びたとき、僅かだがヤツの呪いを浴びたかもしれない・・・
恐らく、君自身は子を成すことは出来ないだろう・・・家門破滅、子孫截段の呪いだ。」
「そんなもの・・・俺一人が受ければ何も問題ない。・・・イルマも死んでしまったし、今更、
・・・子など・・・」
「いつか、呪いが溶ける日が来るかもしれない・・諦めるなよ・・・奇跡を信じろ。魍魅、私が死んだらあの火の中へ、置いてくれ・・・私の灰がこの地の糧となる。・・標の梲はそのまま残す、人間から姿を隠すには丁度いいだろう・・・」
魍魅は小さく頷くしかなかった。亡き骸を火の中に収めてその場を後にした。
それから二百数十年の月日が経った。あの時の仲間たちは既に天寿を全うし、自分一人が残された。・・・-----俺は、皆のところへは行けないのかもしれない、イルマが待っている所へも、行けないのだ。・・・ 夜刀の血を体内に取り込んだ魍魅が手に入れたものは不死の肉体であった。そしてその肉体は他を圧倒する程の破壊力を持ったものであった。その姿はかつて麻狐が形容したように、水辺に棲む怪物、・・水虎そのものである。丸太の様な腕と、太く迅い脚、そして口元の牙・・・他の物の怪はこの姿を見ただけで恐れをなして近づくことすらできぬであろう。
この力でここを護るのが自分に課せられた役目なのだと割り切って思うことにした。
この聖域を侵すものを排除する、同胞の為に己の役割を果たすのだと、言い聞かせて生きてきた。その間、何人かの妻を娶ったが、やはり子は出来なかった。だがその魍魅の身体に微細な変化が起き始めていた。昔は(ある物の怪との)戦いで受けた傷がたちどころに塞がっていたものが、傷の治りに時間がかかる様になったのだ。一週間、十日、一ヶ月という具合に回復への時間がかかるようになったのだ。
-----どうやら、俺も不死身ではないようだ、・・自分の命がこのまま永遠に続くかと思っていたが、それならそれでいい・・二百年か・・・よく生きたほうだ。皆の所へ行く日もそう遠くないかもしれない。----
そう思っていたところへ吉慶が飛び込んできた。彼に子供が出来たのだ。これはどういうことなのか・・・夜刀の呪いが薄まってきた、ということなのか、
まさか自分に子が出来るとは思ってもみなかった。この慶事は河童の里の同胞を大いに喜ばせた。 「我らの守護に後継ぎができた。」
「これは吉兆、! 我らの里はこれからも栄える事が約束されたのだ。」
夜刀の呪いで子供は出来ないと思っていた魍魅自身も涙を流して喜んだ。自分はいつ死んでもいい、・・・いや、まだだな、せめてこの子が大きくなるまで、・・・
竜丸と名付けられたその子は里の仲間たちに見守られ大事に育てられた。
喜びの輪に包まれて十年以上の平和な時が過ぎた。そこへ突然思いもかけぬ知らせが飛び込んできた。竜丸が友達二人に誘われて、禁忌を破り、大人たちに絶対近づくなと言われ続けた人間の世界に向かったというのだ。事のあらましを報告に来た鯉丸は大人たちに怒鳴られながら涙を流して詫びるしかなかった。当然の如く河童の里はパニックになった。
今迄、子供たちが近くの人間の村へ、祭り見物にコッソリ顔を覗かせに行ったことはあった。しかし今回はまったく規模が違う、人口が集中する巨大都市・・・江戸だ。ここに向かってしまったのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・まさか、こんなことになるなんて・・・思ってもみなかった。」
「この大馬鹿者!、お前と瓜助がそそのかしたんだな。」
鯉丸はその時の経緯を話した。見つかった時に人間たちに袋叩きにされて竜丸だけが捕まった。王子の狐たちに助けられ自分たち二人は何とか逃げ出せた。瓜助は人間に連れ去られた竜丸の行方を追うため向こうに残った。
「竜丸は無事なのか、?」 「たぶん、無事・・・」
「たぶんじゃ分からん。一緒に行った瓜助は・・向こうに居るんだな。」
「うん、竜丸が連れて行かれた所を王子の狐さんたちと探している、おそらく見世物小屋だろうと言ってた。」
「俺が行く、俺の息子だ。」 魍魅が怒りの炎を目に滾らせて言い放った。
「だ、駄目だ、守護様、あんたが行ったら目立ち過ぎる。それこそ大事になるぞ。」
「いや聞かぬ、・・・人間共はお前たちを袋叩きにしたんだな、許さぬ・・・我が子を救うのもお前たちを守るのも俺の役目だ。」
「そ、それは分かるが・・・」 「とにかく、まず偵察を出したら・・・」
「そんな悠長なことをしてられるか、! その間に竜丸は死んでしまうわ!。」
「まてよ・・江戸はたしか水路が張り巡らされている、とか聞いたから・・もしかしたら気付かれずに行けるかも・・」
「それがいい、上手くいけば人間に気付かれず助け出せる。」
だが魍魅は我が子を助けるだけでは怒りは収まらなくなっていた。
「そんなものでは済ませるか、竜丸に傷をつけた人間共、一人残らず退治してくれる!。」
こりゃぁいかんと、憤慨する守護神を宥めて、とにかく数人が魍魅に付き従って江戸へ向かうことにした。
「守護殿、潰すのは見世物小屋だけにして下されや、貴方様が暴れたら町一つ潰れるかもしれんでな、死人も大勢出るかもしれん。人との軋轢はなるべく避けたい。」
「わかっている・・・」
「おい、鯉丸、お前も来い。案内せぇ。」 「うん、分かった。」
こうして魍魅を含め、数名の河童たちが江戸を目指すこととなった。
魍魅褊 第五話 神喰いの水虎 (完)




