前を見ながら後ろを見る①店主の不満
「許してください……。申し訳ありません、師匠……!」
ニロが捧げものをするように大事に俺を岩の上に置く。その手は震え、頭上からは零れた熱い雫がぽとりぽとりと落ちてくる。
ここは師匠が最期を遂げた場所。
「僕はもうこれ以上……冒険者を続けることはできません!」
やめろ。だめだ。
顔を涙でぐちゃぐちゃにしながらも、ニロのその瞳には硬い決意が見えた。冒険者をやめるというその意思を覆すには、ある誤解を解かなくてはならなかった。
待ってくれ! 違うんだ! 俺の話を聞いてくれ!
深々と一礼をして去っていくニロの後姿に何度も叫ぶ。だが当然声が聞こえるはずもなく、背中がどんどん遠ざかっていく。
どうして届かないんだ。
もどかしくて仕方がない。もしも俺が喋れたならば、師匠の言葉を伝えることができるのに。そうすれば、あいつは自分を責めずにいられるのに。
ニロが冒険者になるために師匠に弟子入りしたあの日から十年以上、長い月日を共にしてきた。あの頃はほんの子供だったのに、いまではもう立派な青年になっている。
俺はすべてを見てきたんだ。
一流の冒険者になる夢をかなえるために、ニロがどれだけ頑張ってきたのか。師匠がどれだけニロに期待していたのか。そしてあの日、なぜ師匠がここに来たのか。
全部、全部を知っている。それなのになぜ。
どうして何も伝えることができないんだろう——。
◇◇◇
ここはダンジョン遺失物センター。ダンジョン内の遺失物を管理して、持ち主に返す場所だ。
今日は朝から店主が少し疲れた顔をしている。
「大丈夫?」
声をかけると、首を傾けて振り返り少し困ったように眉を寄せてふわりと笑った。
「例の雑誌のせいなのか、ここ最近初めてやってくる方が多くって」
確かにここ数日、見たことのない人がよく来るようになった。しかも皆、遺失物センターではなくカフェを目的にしていた。
「あのうるさい小娘のせいね」
「口封じすればよかったわ」
ミランダの物騒な発言を笑い流して、顔にかかった前髪を耳にかける。疲れているのは初めて会う客に身構えてしまうからなのだろうか。たいていの客はまずこの場所にたどり着いたことに喜び、店主の整った容姿に驚き、珈琲の味に歓喜する。そのたびに話しかけられたりじろじろ見られたりすれば、確かに疲れるかもしれない。
「まあ、彼女のせいかどうかはわかりませんよ。見習いとはいえ探偵は信用第一ですからね。簡単に約束を破るとは思えません」
「店主はお客さんが増えるのはいや?」
「んー、嫌ではありませんが……別にここの場所は秘密でもありませんし。ですが……」
「わっかた! 店主、めんどくさいのね」
「店主がそんな子供みたいな理由で——」
メリンダの言葉にそれはありえないと言いかけて店主のほうを見ると、店主はぎくりと一瞬肩を動かした。
「まさか。そんなことはありませんよ」
完璧な仮面のような笑顔で答えた店主を見て、僕たちはそれが嘘だと気づいてしまった。まさかただめんどくさいという理由だけだったなんて。
僕と双剣の呆れるようなため息に耐えられなかったのか、店主が何かを思いついたようにぱんと両手を叩いた。
「ちょうどいいですね。気分転換に今日と明日、ここを閉めましょう!」
一度そう決めてしまってからの店主はとても動きが速かった。
小さく何かを呟くと魔法で光る蝶を出してどこかに飛ばした。その後サンドイッチといくつかの料理を作り珈琲をポットに入れ、大きなバッグにしまう。楽しげに準備をするその様子は、まるでいまからピクニックにでも行くようだった。
「行先はバルムンクに任せます」
「…………『時の牢獄』だよ」
「牢獄ですか! 楽しい休暇になりそうですね」
「…………」
僕ははあっと溜め息を吐いた。
実は少し前から、ダンジョン内の遺失物の声が聞こえていたのだ。それもだいぶ深い場所から。もちろん店主にも聞こえていて、ダンジョン内の遺失物を回収するのを理由にカフェを閉めることにしたのだろう。
店主は珈琲豆を一粒取り出すと両手で包み込んで魔力を込めた。途端に大きくなる豆が、だんだんと銀髪の10歳くらいの少年の形をとる。僕が使う器だ。剣から器に意識を向けると、本物の人間のように身体を動かせるようになる。
「じゃあバルムンクも準備を整えておいてくださいね」
店主が声をかけると、双剣が不服そうな声を上げた。
「またあたしたちは留守番なの?」
「連れて行ってはもらえないの?」
前回僕だけを連れて行ったことを不満に思っていたのだ。剣として使われる機会を隙あらば狙っている彼女たちは、断られても駄々をこねるに違いない。だが店主は意外にあっさりと頷いた。
「ええ、いいですよ」
「え! 本当に?」
「剣として連れて行ってもらえるのかしら?」
「ええ。今回は思う存分暴れてください」
歓喜の声を上げながら双剣が剣先をきらきらと光らせる。反射する光が店内を照らしこちらまで嬉しさが伝わってくる。
しかし店主は双剣をまっすぐに見ると、びんと人差し指を立てた。
「ただし、条件があります」
光がぱっと消える。警戒するように店主を窺いながら、双剣が用心深く訊ねた。
「……条件って?」
「簡単なことです。私は剣は使わないので、いまから来る人物にあなた方を使わせることを承諾してください」
店主が剣を使わないのは以前も説明していた。僕と二人でダンジョンに行くときも、剣としての僕を使ったことは一度もない。店主は武器など持たなくとも、魔法だけで十分戦えるのだ。
「……どんな人?」
「腕は保証します」
「でも……」
「安心してください。別に本当の持ち主を決めるという話ではありません。ですが、あなた方が認める本当の持ち主に出会ったとき、剣としての動き方を知らないのでは困りませんか? とりあえず練習だと思って」
双剣がお互いを探るように見た。そしてしばらく二人にしか聞こえない声で何かをささやきあった後、しぶしぶという口調で口を開いた。
「わかったわ」
「やってみる」
その返事に褒めるように優しく目を細め、店主は双剣の柄をそっと撫でた。
「きっとあなた方にとっていい経験になりますよ」
今回の話は全10回です。




