第二夜 お日様
扉の外には明るくもどこか薄暗い世界が広がっていた。
この街に朝が訪れなくなったのはおよそ100年前、正確には104年前とのことだ。それはつまり、例の彼が生まれてから15年経ったときのこと。
街の人々は眠りから目を覚ましても太陽を拝むことはなかったらしい。何度眠っても、何度起きても、朝日の輝きは届かなかったそうな。
「ハスベリアまでお願いします。どれくらいかかりますかね?」
「特急でしたら五日ほどでしょうか。普通飛行なら2週間はかかります」
「じゃあ特急でお願いします。できればファーストクラスで」
私、メリネア・ラングベイドは魔女証を提示した。受付の女性は慌てて座席の確認をし、そしてすぐに案内してくれた。
この世界において、魔女というものは相当に地位が高い。建物を建てるのも、重鎮を護衛するのも、あるいは人を治すのも、魔女はやろうと思えばなんだってできてしまう。
ちなみに“魔女”とは言うものの、女性ばかりというわけではない。魔力を扱う能力が女性の方が長けているというだけであって、特に最近では希少だけれど男性の魔女、つまり魔導師も存在している。
「で、では魔女様。ごゆっくりお過ごしください」
「ええ、ありがとうね」
飛空船の広い一室で私は一人身体を伸ばした。快適だ。飛んでいるのかいないのか、窓の外を確認しなければ分からないほどにただひたすらに静寂だった。
「ふふ……お日様はどんななのかな」
私は窓の外の炎魂を見て呟く。太陽が世界に昇らなくなり、世の魔女達は死力を尽くして日光を再現した。
もちろん本物のそれには遠く及ばないようだが、それでも世界の半分を照らすことはできている。
それが発端となって魔導全盛の時代を迎えるのだから、朝を失ったことは必ずしも損失ではなかった。そうでなければ、こうして夜空を行き来することなど当分叶わなかったことだろう。
私は大きなソファに寝転んで手の甲を額に当てた。
現代において、朝を知らない者は少なくない。そしてその逆も然り。実際、私だって夜しか見たことないわけで、世界旅行でもしない限りは一生片方しか知らない、なんてこともよくある話だ。
というかそもそも、私達は夜空に浮かぶはずのお月様も知らない。昔は太陽の反対側に月があったらしいけれど、今では太陽も月も揃って世界の裏側だ。
お日様の光を反射して金色に輝くらしいお月様、どちらも一面にあるならばその輝きが失われてしまうだろうに……。
「—様、お客様。到着いたしましたよ」
「ん……あ、起こしてくれたのね」
ソファに寝転んだままに重い瞼を叩いた。乗組員が寝ていた私を起こしてくれたらしい。
乾いたように目が痛むけれど、今さらゆっくりしていることもできない。扉を越えたすぐそこに、待ちに待ったお日様があるのだから。
私は強引に眠気を吹き飛ばし、やや前傾姿勢で外に向かった。
「わぁ……! あれが……!」
あれがお日様……! これが昼……!
初めて感じる暖かさに私は言い得ない感情に包まれた。何よりも強い白い輝きが空から私のことを見守っている。そしてどこまでも青い空が広がっている。
どこか空気も爽やかだ。どんな高級な部屋よりも温かい香りがする。これがお日様か……。
「お嬢ちゃん、陽半球は初めてかい?」
「え、あ、えぇ。そうなの。ネネリューンという国から観光に来て……」
両手を広げて空を仰いでいると、落ち着いた雰囲気のご婦人に声を掛けられた。は、恥ずかしい……。見知らぬ人に年甲斐もなくはしゃぐ姿を見せてしまった……。
「そうかいそうかい。それなら舞い上がってしまうのも無理はないね」
……なんだろうか。どこか爽やかな雰囲気がある。陰半球の人達よりも心が豊かに見えるというか……日光が当たるだけで人の性格も変わるのだろうか。
いや、そう断じるのは早計か。何でもかんでも良い方向に捉えてしまうのは避けなければ。
「お嬢ちゃんはどこに行くんだい?」
「ログの方に」
「あぁ、あの山かい。あんまり勧められたものではないけれど……」
誰も近寄らない呪われた山、それがログだ。木も草も、花も咲くことはないらしい。正確には咲いたとしてもすぐに枯れてしまうかららしいけれど、おおよそ普通の山ではない。
そして何より、太陽の真下に位置しているのが最大の特徴だ。まず間違いなく、彼がいるならそこだろう。
「気をつけなさいね。お嬢ちゃんはまだ若いんだから、無理しちゃいけないよ」
「ええ、ありがと。でも大丈夫よ。私は魔女だから」
「え……? それって……」
私はご婦人の質問を待たずに箒を跨いで空を飛んだ。こんなことをすれば多少は目立つだろうけれど、珍しい景色でもないだろうから問題はないだろう。
彼がまだ生きていたとすれば100歳を超えているだろう。だから普通に考えれば、まずそんなことはない。そう、普通に考えれば。
ただ彼は普通ではないのだから、老人の姿でまだ生きていても不思議ではない。何より、お日様もお月様もまだ沈まないのだから、彼の美しさは損なわれてはいないということだ。
「ふふ……どんな御仁なんだろう」
私はいつになく胸を弾ませて、ログの麓へと飛んでいった。




