第四話:ダンスホールの外の秘め事
「アーサー殿下、なぜ机に突っ伏していらっしゃるのですか?」
「顔を見られたくないからだよ」
冬の祭の次の日、アーサーは執務室のデスクに突っ伏していた。朝のスケジュール確認のためにセバスチャンが入室し、顔をあげないまま挨拶をしたアーサーのことを怪訝そうに見つめる。
アーサーの後ろに立っているトーマスが頷いた。セバスチャンはその様子を見て片眉だけで反応する。
「理由をお伺いしても?」
「……」
アーサーはのそのそと身体を起こした。無言である。
「やや顔色が悪いような気が致しますが……体調不良ですか?」
「いや、元気なんだけど……だめだ、思い出すと消えたい」
アーサーはデスクに頭をつけた。ごん、と鈍い音がする。
「何があったんですか?」
「こんなにカッコ悪いところを見せたことはない。もうだめだ」
会話になっていないので、セバスチャンは答えを求めてトーマスと視線を合わせた。トーマスは拳を握ってアーサーに呼びかけた。
「アーサー殿下、大丈夫です! ちょっとだめなところを見せたほうが女性の心には響くらしいですよ!」
「ちょっとじゃなかったらどうなる?」
「それは……」
トーマスが言い淀むと、アーサーはさらに机に沈み込んだ。
「もうだめだ」
「殿下、失礼ながら今の会話では状況が把握できないのでご説明いただいてもよろしいですか?」
アーサーはもう一度身体を起こした。
「ああ、そうだね。昨日セシリーに会ったんだ」
「祭の参加名簿に名がございましたね」
「ああ。神官の祈りが終わってみんなが自由に雑談を始めた頃に、セシリーが一人で庭に行くのを見て、追いかけたんだ。侍女もつけてなくて、どうしたのかなと思って」
「なるほど」
「そしたら、ベンチに一人で座ってのんびり過ごしている様子で、僕も隣に座って二人でしばらく黙って秋の風を楽しんだ」
「はぁ」
「そしたら突然セシリーに『恋をしたことはありますか?』って聞かれて」
「そうですか」
「僕は完全に油断していて、『いい風だな』『老後もこうやって一緒に過ごすのかな』と思っていた。そんな時に不意打ちで聞かれたら、かっこいい返事なんて思いつかないじゃないか……!」
アーサーは昨日のことを思い出しているのか、深くため息をついて下を向いた。
「それで、なんとお返事なさったのですか?」
「正直覚えてないけど、『え? あ、う、うん、……き、君に』っていう感じかな。噛んだんだよ! 噛んだことだけ覚えてる。恥ずかしい。それに昨日スピーチの原稿も頭から飛んで即席で考えたからめちゃくちゃなことを言ったに違いない。何も覚えてないんだ! カッコ悪い……!」
「大丈夫です、殿下、スピーチは完璧でしたよ!」
「嘘はやめてくれ……!」
二人の会話を聞いて、セバスチャンはあまり興味がなさそうにスケジュールが書き込まれた紙を広げた。
「本日は騎士団長との会合、演習の見学の後、宮廷に戻っていただき、来週の隣国からの使節団訪問に向けて有識者との面会を設定しております」
「あ、うん」
セバスチャンが淡々としているので、アーサーはその雰囲気に引っ張られるように背筋を伸ばした。しかしすぐしゅんとして視線を下げる。
「アーサー殿下」
「大丈夫、聞いているよ」
「本日夕方は、時間に余裕があります。セシリー様に次にお会いする機会はおそらく妹君のエリザベス王女の誕生日でしょう。改めてお気持ちを言葉にする練習をされては? せっかくお手元に彼女の好む口説き方を書いた書籍があるのですから」
アーサーがぱっと顔をあげた。
*
第一王女のエリザベスは、十歳となる王女である。アーサーと同じ青色の瞳に、王妃譲りのふんわりとした淡い金髪。
王女の好みに合わせて庭をライトアップして広く開放し、宮廷で祝いの席を開催することとなった。
「誕生日おめでとう、エリザベス」
「ありがとう、お兄様!」
エリザベスは一通りゲストからの贈り物とお祝いの言葉を受け取り、ご機嫌だ。
アーサーも可愛い妹に祝いの言葉を捧げ、彼女とファーストダンスを踊ると、アーサーはセシリーの姿を探して会場を見渡した。
普段なら、アーサーが主催者や主賓に挨拶し終えた頃にちょうど良いタイミングで近くに来てくれるのに、セシリーの姿は近くにない。
しばらく会場の中を探し、遠くのほうで、母親とともに挨拶に回っている彼女を目にとめた。落ち着いた淡い菫色のドレスを身にまとい、いつもより装いが控えめなのは主役に気を遣ってのことだろう。
(よし……!)
アーサーは、自分の少し後ろに立っているトーマスとセバスチャンに「いってくる」という意味で目配せした。
先日の失態を挽回すべく、彼女と二人きりになって改めてもう少しカッコよく想いを告げるという大事な任務がある。
妹は大勢のゲストに囲まれて楽しく過ごしているので、お祝いの言葉を彼女に伝え終わった今、アーサーは自分の兄としての役割は一旦果たした。あとはセシリーの婚約者として過ごすつもりだ。
(まずはダンスに誘って、雑談してからバルコニーに……)
アーサーは、昨日のうちにトーマスと一緒に会場周辺を見て周り、会話は聞かれづらいが適度に人の目があり、セシリーと二人で話すのに相応しい場所をいくつか見繕ってある。ライトアップされた庭を見渡せるバルコニーが一番ロマンチックではないかという結論にいたったため、バルコニーが目標である。
まだ舞踏会が始まったばかりで、ほとんどの人々は踊っているか、挨拶をしている様子だ。これならバルコニーが混みすぎて話ができないということもなさそうである。
「アーサー殿下!」
アーサーは爽やかな声に名前を呼ばれて立ち止まった。
「ヴィットリオ殿下!」
日焼けした肌の黒髪の男性が、人混みをかき分けてアーサーの元へとやってくる。海を超えた場所にある国の第一王子で、同じ立場ということもありアーサーとは良い友人だ。
近くまでくると、ヴィットリオは声を落として親しげに呼びかけた。
「元気そうだな、アーサー」
「うん、久しぶりだね! 来てくれたのか」
「ああ。エリザベス王女の誕生日なら船を出す理由になるから」
「エリザベスも喜ぶよ。あとで踊ってあげてくれる?」
「もちろんだ。今日はアーサーは一人なのか? 婚約者は?」
「ああ、セシリーなら……」
アーサーは先ほどまでセシリーが立っていた壁の方に目を向けた。
「あれ、いない!」
会場を見渡すと、庭のほうにセシリーと思わしき銀色の髪が消えていくのが見えた。
「なんで庭なんかに……?」
「なんだよ、喧嘩中か?」
冗談っぽく揶揄うように発せられた言葉に、アーサーの身体がぴしりと固まった。
「悪い、冗談だったんだが」
「喧嘩はしてないんだけど……声をかけてくるよ。あとで二人で挨拶させてほしい」
「ああ」
アーサーはヴィットリオと別れて、セシリーらしき人影が消えた方向に向かった。誰かと目が合うたびに親しげに微笑まれ、なかなか思うように前に進むことができない。
「失礼、少し道を開けてくれるかな!」
短い挨拶を返しながら人混みをかき分けて進むが、庭へ続く階段にはもうセシリーの姿はない。
蝋燭で照らされた薄暗い庭に降りる。蝋燭の光で星空のように輝く庭は、昼の庭とは異なる幻想的な趣がある。まだゲストのほとんどは広間でダンスや歓談を楽しんでいる様子だ。
周囲を見渡して、まばらなゲストの中にセシリーの姿を探す。
(いないな……)
迷路のように立ち塞がる垣根の中を進もうとして、右の角を曲がったところで人にぶつかりそうになった。
「わっ……!」
突き飛ばしそうになって、思わず腕を引いた。
明るいブラウンの髪をした若い見習いメイドだ。手には籠があり、中身は庭を照らすための蝋燭のようだ。
床にバラバラといくつかが落ちて転がった。
「アーサー殿下! 大変申し訳ございません」
「大丈夫。僕も前を見てなくて悪かった……君、セシリー・ウィングトン公爵令嬢を見かけなかった?」
「見ておりません。庭の西側はゲストの方は通っていらっしゃらないと思います」
「そっか、ありがとう」
*
セシリーは、ライトアップされた静かな庭で、一人でぼんやりとベンチに腰掛けていた。
友人の一人が、婚約者にもらった指輪を庭に続く階段で落としてしまったというので、こっそりと一緒に探しに来た。無事に指輪は見つかったのでよかったが、靴の踵が折れてしまい、戻ることができない状態である。
(お母様に殺される……!)
宮殿の舞踏会で、主要な挨拶は済んだが、まだ婚約者のアーサーとダンスをしていない。つまり婚約者の義務を果たしていない。
友人の落とし物という、母からすればくだらないものを探して、一人きりで暗い庭に座っているなどとばれたらどうなるだろうか。おそらく公爵家に戻る間、ずっと無言で睨まれるに違いない。
そして明日からマナー研修が増える。
(はぁ、もうお願いだから誰も私に気づかないで……!)
公爵家の長女で、第一王子の婚約者という立場を考えると、きっとそれも難しいのだろうと想像できる。
エリザベス王女の誕生日に姿が見えないのと、壊れた靴で会場に出向くのはどちらがマシなのだろうかと考えるが答えは出ないのであった。
(アーサー様は、私がいないことにも気づかなかったりして)
いつもなら、舞踏会のときはアーサーの隣にいるためにその日の主催者や主賓のことを調べて、アーサーがちょうど挨拶を終えて顔をあげたときに、彼の視界に入るようにしている。そうするとアーサーが声をかけてくれる。
基本的には、公式の場で王族に対して自分から声をかけることはできないので、セシリーはアーサーの行動をずっと注意深く観察して、邪魔にならないタイミングで彼の隣に行かなければならない。
彼は、妹のエリザベス王女と楽しそうに踊っていた。踊り終わった後に自分の姿なんかなくても、もしかしたら気づかないかもしれない。
そんなことを想像してしまうくらい、アーサーを信じられない自分のことが嫌いで、気分が沈む。
(大丈夫よ。ちゃんと、私に恋をしていると言ってくださったもの)
アーサーは、セシリーに恋をしていると言ってくれた。
ただし、目は合わないし、気まずそうだった。どうしてそんなことを聞くのかと、驚きが顔に書いてあったし、隠れ蓑の婚約者には嘘でも「恋をしている」なんて言いたくなかったのを我慢して絞り出したという可能性はあるのだが、彼はちゃんとセシリーが欲しい言葉をくれた。
(言い訳してないで、会場に戻らなきゃ)
セシリーは小さく息を吐くと、背筋を伸ばして気を取り直した。
口角をあげればいつもと同じ表情を作れるような気がする。歩きづらい靴でひょこひょこと歩いて、背の高い垣根の迷路を出れば、目の前には煌びやかなシャンデリアの光が飛び込んできた。
音楽が庭のほうまで響いている。
その彼女の視界に、転びそうになったメイドと、アーサーの姿が飛び込んできた。
籠の中に入った蝋燭があたりに散らばる。
アーサーに支えられて、メイドは転ばず立ち上がった。申し訳なさそうに頭を下げると土の上に転がった蝋燭を素早く拾う。
アーサーが自身の足元にある蝋燭を一つ拾って彼女に手渡し、二人の目が合う瞬間は、シャンデリアの光に照らされて絵画のようだ。セシリーが小説で見た、恋に落ちるシーンのように。
「アーサーさまっ」
セシリーは思わず叫んだ。思わず前に出た瞬間、ヒールがないことを忘れていたせいでバランスを崩して転びそうになる。
「きゃっ」
「セシリー!」
スローモーションのように地面が近づく。
アーサーが慌てた様子で駆け寄ってきて、倒れ込んだ彼女と地面の間に滑るようにして彼女を庇った。
「大丈夫⁉︎」
彼の衣装は白をベースとして、金色の刺繍で華やかに装飾されている。それが土埃で汚れたことに対してセシリーの顔から血の気が引いた。
「ああ、よかった。やっと会えた」
アーサーの目がふわりと優しく緩む。
「お菓子はもう食べた? エリザベスが全部決めたから、普段より甘いものが豊富だよ」
アーサーが手を差し出す。真新しい手袋に包まれた手は、セシリーが彼の手を取るであろうことを疑わない。
アーサーはいつもそうだ。セシリーが、どれだけ不安で、その手を取るのが相応しくないと思っていても、アーサーはセシリーと手を繋ぐことを当たり前だと思っているのだ。
セシリーさえ手を伸ばせば、応えてくれる。
「殿下……わ、私……」
「うん」
セシリーの紫色の瞳に、じわじわ涙が浮かんできた。言葉の代わりにぽろりと雫が落ちる。
「わっ、だ、大丈夫? 足がすごく痛い? 休憩室に行こう」
アーサーはセシリーの腰と膝裏を支えると、彼女を横抱きにして立ち上がった。セシリーが、足の痛みは関係ないのだと説明する間もなく、階段を駆け上がって広間を抜けて、室内に入って彼女をソファの上に降ろす。
「今医師を呼んでくるよ」
「大丈夫です! 足はもう全然痛くないですから!」
「本当に?」
「はい、本当に。足が痛くて泣いたわけじゃないですから……」
「……じゃあ、どうして?」
アーサーは、セシリーが話すのを待っている。海のような瞳に、蝋燭の光が映ると、水面に夕日が反射しているように見えた。
「私……お母様に、夫の不貞には目を瞑って正妻として堂々としていなさいと言われて」
「え⁉︎ どういうこと?」
「アーサー殿下が、メイドの一人に恋をしているかもしれないと噂を聞いたときにも、『正式な婚約者は私なのだから、気にするものですか』と思っていたんです」
「してないよ!」
アーサーはセシリーの両方を押さえ、叫んでから、左右を見渡して声を顰めた。
「本当にしてない。誓って。指名したのは事実だけど、あれには理由があって……」
「それは、大丈夫です」
「本当?」
「ええ。問題はそれより、私の気持ちなんです。噂が気になってしまうくらい、私がアーサー殿下のことを信じられていないから。この前だって、私に恋してるっておっしゃってくださったけど、目も合わないし、気まずそうに見えて……疑ってしまって」
アーサーが息を呑んだ。セシリーは彼の顔を見ていられなくなって、下を向いた。
「セシリー……」
「でも、私は、殿下のことが好きなんです。ずっと貴方のことだけが好きで、殿下も同じ気持ちでいてくれないと嫌。私のことだけ好きになってほしいんです。もの分かりのいい婚約者になれなくてごめんなさい。他の人と噂になんてならないで……っ」
セシリーが下を向いていると、アーサーの手がすっと視界に入ってきた。セシリーは彼の真意を確かめるように顔をあげる。
彼の青い瞳が、真っ直ぐセシリーを見つめていた。
「不安にさせてごめん。僕が恋をしているのは、間違いなく君だよ」
ダンスをしているわけでもないのに至近距離で目があう。セシリーの心臓は止まりそうなくらい大きく跳ねた。
アーサーの眉が困ったように八の字になる。
「他に何を言ったらいいだろう……小説だったらここでキスしているのかな」
「キ、キス⁉︎」
「あっ、もちろんしないよ! 結婚前にそんなことはしないから安心してほしい」
アーサーは慌てた様子で距離を取る。
セシリーは、以前輪読会で渡された小説の内容を頭に思い浮かべた。ヒーローの外見描写はアーサーによく似ていたが、性格は正反対だ。
二人きりで、思いを確かめあったばかり。こんなところで引くヒーローはいないだろう。
「……しても、構わないのに」
「えっ」
アーサーの驚いた顔を見て、セシリーは自分が心の声を口に出してしまったことに気づいた。
顔が燃えるように熱くなるのを感じながらも、セシリーは視線を逸らさなかった。
「お母様には、言わなければ分かりませんもの」
アーサーは言葉を失っている様子だ。
これまでどんなことがあっても慌てずに落ち着いているように見えた彼が、セシリーのこんな発言で動揺するのはなんだかおかしく、可愛らしく感じた。
白い手袋に包まれた彼の指先を、人差し指でそっとつついてみる。
いたずらした彼女の手はすぐ力強く握り返された。ぐっと引き寄せられて、焦点が合わなくなるほど顔が近づく。青い瞳が彼女を捕えた。
そのままの距離で、無言のまま二人でしばらく見つめあった後――。
彼女の指先から手袋が引き抜かれて、ゆるく握ったその指の甲に、彼の唇が触れた。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
お久しぶりのなろう投稿でしたが楽しく書くことができました。
楽しんでいただけましたら、評価や感想等いただけるととても嬉しいです!
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