【第8話】選ばれるということ
数日後、王宮から正式な使者がヴァルフォード公爵家を訪れた。
差し出されたのは、王太子セドリック殿下からの直筆書簡。
「外交使節団への同行を願いたい。立場は“特別随行者”。王族の意向を代弁する補佐役として、君の見識を頼みにしたい」
「外交……随行……って、これ……」
私が手紙を読み返している横で、親友のレティシアが目を丸くする。
「それって、実質的な“寵愛の証”じゃない!」
「ちょ、ちょっと待って。そんな簡単な話じゃ——」
「随行者に“未婚の令嬢”を選ぶって、前代未聞よ。しかも、他の貴族の娘じゃなくてエリセ。これは狙ってるとしか思えない!」
「いや、私も驚いてるけど……」
手紙にはあくまで「見識と判断力を評価した結果」と書いてある。
けれど、王太子が私を“ただの令嬢”として扱っていないことは、もう明白だった。
その日の夜。
応接間には、父と母、そして私。
父は沈黙を保ったまま、書簡を三度読み直している。
母は顔を伏せていた。あの“白薔薇”と呼ばれた過去を、私が知ってしまったことを——彼女はまだ言葉にできずにいた。
「……行かせていただきます」
私の声に、父はようやく目を上げた。
「軽々しく決めることではない。だが、殿下がそこまで信を置かれている以上、家としては……拒む理由もない」
母は何か言いかけたが、結局、言葉を呑み込んだ。
(……大丈夫。母の過去がどうであっても、私は私だから)
数日後、社交界はちょっとしたお祭り騒ぎになった。
「ヴァルフォード令嬢が、殿下の随行者に?」
「しかも外交の場にまで同行するって……」
「まさか、本命……?」
噂は瞬く間に広がった。
そして、当然——あの人の耳にも入った。
「ふぅん。エリセ様が、ね……」
鏡の前で髪を整えながら、クラリス・モンテローザ侯爵令嬢はわざとらしく笑った。
侍女が小さく口を開きかけたが、クラリスは手で制した。
「いいのよ。もう“香り”では揺らがなかったし、“血筋”も予想以上に手強かった。次は——」
彼女の視線が、机の上の封筒に落ちる。
「可愛い“白鳥”を使ってみましょうか。……そう、マリア様」
その翌日、マリア・ロゼリア子爵令嬢は、クラリス邸に呼ばれていた。
「……どうして私を?」
「あなたなら、分かってくれると思って」
クラリスは、まるで旧友に話しかけるように笑った。
「王太子殿下のそばに、“ふさわしい女性”とは、誰なのか」
「……」
「エリセ様は確かに優秀。でも、それだけじゃ王宮は務まりませんわ。だから、手を貸してほしいの。あなたの品位と、“正統な家柄”が必要なの」
マリアは何も言わなかった。
ただ、窓の向こうを見つめていた。
一方、私はというと——
「外交使節団って、どこに行くのかしら」
出発を数日後に控え、書簡や報告書に目を通していた。
そんなとき、そっと扉がノックされた。
「エリセ様。……少し、お時間を」
顔を出したのは、リオン・カーディス。
久しぶりに見るその姿に、思わず背筋が伸びた。
「随行の件、正式に決まりました。僕も護衛として同行します」
「……ああ、よかった。あなたがいてくれると心強いわ」
彼は小さく笑って言った。
「それでも、この旅は——“ただの任務”ではありません。王太子殿下は、あなたを試すためにこの場を設けたのです」
「……わかってる。たぶん、“白薔薇の娘”としての私が、どう振る舞うのかを見たいのね」
「はい。そして、殿下はあなたを“手の内に置く”ための動きを……すでに始めています」
その言葉が、ほんの少しだけ胸を締めつけた。
(選ばれることって、嬉しいばかりじゃないんだな)
(私は、これから“決断”を繰り返すことになる)