【第7話】封印された花の名
重たい扉が、きぃ、と鈍い音を立てて開いた。
王宮記録庫——それは、王家にまつわる過去すべてが静かに眠る場所だった。
昼間でも光が差し込まない石造りの空間。
天井まで届く書架には、無数の古文書が収められている。
「……ここ、本当に王族の人しか入れないのね」
「ええ。私が入るのも初めてです。ですが“殿下の命”という形にすれば、同行も許される」
隣を歩くリオン・カーディスの声は、いつも通り落ち着いていたけれど、その目は鋭く書架を見渡していた。
「エリセ様。お母様の名前で記録を探しますか?」
「ううん。きっとそれじゃ出てこない。“記録から消された”ってレティが言ってた。……なら、別の手がかりを」
私は手の中に握っていたネックレスを取り出す。
「この刻印。王家の紋章に似てるけど、少し違うの」
リオンが目を細めて、それを覗き込む。
「……これは、第一王妃の側近だった家系の印に似ています」
「側近……?」
「ええ。王家の中でも限られた者にしか仕えられない、由緒ある家。ですが、代替わりの際にその家系は解体されたと聞いています。十数年前のことです」
十数年前。
ちょうど、母が姿を消すように表舞台から引いた時期と重なる。
「つまり、母は……王家の内部に深く関わっていた可能性があるってこと?」
「はい。そして、記録を“消された”とすれば、関わり方は……おそらく、王族にとって不都合な形だったのかもしれません」
背筋が、ひやりとする。
貴族社会では、血と立場がすべてを決める。
だからこそ、“存在をなかったことにされる”のは、死より重い意味を持つこともある。
二人で探し続けるうちに、リオンがある書簡を引き出した。
「これは……“白薔薇の夜会”の記録です。十六年前、当時の王太子が主催した非公式の集い」
「白薔薇……!」
その名に、私は息をのんだ。
そこに添えられていた手描きの肖像画。
白いドレス、銀に近い金髪、優しげな目元。
どこか私に似ていた。
「……セシリア」
画の隅に、そう書かれていた。
やっぱり、母だ。
「この夜会のあと、白薔薇と呼ばれた女性が突如姿を消したとあります」
「どうして?」
「……わかりません。ただ、この年に王太子殿下が婚約者を正式に迎えたとある。別の女性を」
つまり。
母は、当時の王太子に近すぎた存在だった。
けれど、身分か、立場か、何らかの理由で排除された。
(……母が話してくれなかったのは、そういうこと?)
(私が知らなかったのは、母を守るためだったの?)
記録の中には、母の名前も家名も、どこにも記されていなかった。
でも、確かに母はここにいた。
“白薔薇”として。
記録庫を出たあと、私はしばらく何も話せなかった。
リオンは黙って隣を歩いてくれていた。
「……ねえ、リオン様」
「はい」
「殿下は、私の“血”のこと、もう知ってると思う?」
「……おそらく、はい。殿下はあらゆる人の背景を調べています。とくに、側に置く候補者については」
「じゃあ、私は今——“選ばれようとしている”?」
風が、緑の葉を揺らして通り過ぎた。
リオンは少し目を細めて、はっきり言った。
「いいえ。“試されている”のです。血筋ではなく、あなた自身の意思を」