【第6話】眠れる記憶と、白薔薇の肖像
「エリセ、これ……見て」
そう言って、**親友のレティシア**が差し出したのは、一通の古びた紙切れだった。
貴族新聞の切り抜き。日付は十数年前。
そこには、王宮主催の晩餐会での記録とともに、当時の参列者の名が細かく記されていた。
その中に——
「セシリア・ヴァルフォード公爵夫人(当時は未婚)……?」
「そう。あなたのお母様の名前よ」
「……でも、どうしてこれが?」
「宮廷付きの記録係に頼んで、こっそり見せてもらったの。正式な閲覧はできなかったけど、ほんの数秒の隙でね」
レティシアは、得意げに肩をすくめた。
「……クラリス様、母のことを調べてたって言ってたわよね」
「うん。それで、気になって」
私は手の中の切り抜きをじっと見つめた。
(たしかに、母が若い頃に王宮の行事に出ていたという話は聞いたことがある。でも、それ以上のことは……)
「これ以外に、何かあった?」
「気になる記述がもう一つ。別の資料に“白薔薇の肖像”って呼ばれてた女性の記録が残ってたの。匿名だったけど、描写がセシリア夫人とそっくりで」
白薔薇——。
清廉で、誰よりも美しく、それでいてどこか儚い存在として称えられていた女性。
でも、その“白薔薇”は突然姿を消したと書かれていた。
「まるで、おとぎ話ね」
「でも、この“おとぎ話”は、誰かにとって都合が悪かったみたい。記事は王宮の記録から削除されていたの」
胸の奥で、何かがゆっくりとざわついた。
母はいつも穏やかで、控えめで、私には何も語らない人だった。
だけど——
(もしかして、あの人は……“語れない”のかもしれない)
その日の午後。
私は何となく足を運んだ王立図書館の一角で、思わぬ人物と出会った。
「こんなところにいるとは、珍しいですね。ヴァルフォード令嬢」
その声は、控えめで、どこか涼やかだった。
「……あら、リオン様。あなたも本を読むんですか?」
「騎士も時には、“物語”に触れて心を整えるものです」
「物語、ね」
私は思わず微笑んでから、ふと訊ねた。
「リオン様、王宮の記録文書庫って……誰でも入れるもの?」
「いいえ。あそこは限られた貴族と文官のみ。なぜです?」
「……少し、家族の記録を見たくて」
彼は数秒だけ黙っていた。
けれど、静かに目を細めて言った。
「……それなら、僕が協力しましょう」
「……え?」
「“王太子の補佐”という名目であれば、記録庫への同行は不可能ではありません。殿下も……あなたの背景に興味をお持ちのようですし」
それが“監視”なのか、“関心”なのか。
今はまだわからない。
けれど、このまま何も知らずにいるよりは——
「お願いしても、いいかしら」
私がそう告げると、彼はほんのわずか、表情をやわらげた。
「もちろんです、エリセ様」
その夜。
自室に戻った私は、机の引き出しから古びたネックレスを取り出した。
幼いころ、母から「あなたが大人になったら話すわ」と言われて渡されたもの。
だけど、母はその話をしないまま、病弱になり、今ではあまり外にも出られなくなった。
小さな金細工の裏に刻まれていたのは、王家の紋章に似た文様。
でも、どこか少し違う。
(王家ではなく、“王家の記憶”……?)
まだ全ては霧の中。
でも、クラリスが仕掛けてくれたおかげで、私はやっと“自分自身”と向き合おうとしている。
私、エリセ・ヴァルフォード。
おそらく、私は“ただの公爵令嬢”ではない。