【第5話】薔薇の香りと偽りの微笑
香水をまとった自分が、鏡の中で微笑んでいる。
ふだん使っている香りより、少し甘くて主張の強い匂い。
でも、それがいい。今日は“わざとらしい”くらいでちょうどいい。
(さあ、見てなさい、クラリス様)
王宮の中庭。今日のお茶会は、王太子殿下ご臨席ということで、ふだんよりも一段と豪華な設えがなされていた。
薔薇のアーチの下、金糸を織り込んだテーブルクロス。高価な陶器に盛られた菓子。
そして、着飾った令嬢たちの視線。
私が現れた瞬間、空気が微かにざわついた。
「……あれ、香りが……」
「マリア様が使っていたものと……?」
ひそひそとした声が、花の陰から漏れてくる。
私は気づかぬふりをして、にこやかに会釈を返す。
噂が広がっていくのを、あえて見届けるつもりだった。
「まあ、エリセ様。今日の香り、とっても素敵ですわ。どちらの調香師?」
クラリス・モンテローザ侯爵令嬢が、まるで打ち合わせ通りのような台詞を口にした。
口元に微笑を浮かべながら、目だけが試すように揺れている。
私は一瞬間を置いてから、答えた。
「贈り物なんです。とても人気のある香りらしくて。香りの由来は……ご存じかもしれませんね?」
クラリスのまつ毛が、わずかにピクリと動いた。
「ふふ、まあ。偶然って重なるものですわね。マリア様も、少し前までその香りを使っていらしたような……」
ここで話を振られた当の本人——マリア・ロゼリア子爵令嬢は、微かに驚いたように目を見開き、そしてふわりと笑った。
「ええ。昨年の秋頃までは、ずっと使っていました。でも、最近は気分を変えたくて、違う香りを選んでいますの」
「まあ、それは素敵ですわ」
マリアの返しは優しくて穏やかで、そこには何のとげもなかった。
でも、だからこそクラリスの仕掛けが“未遂”だったことが、場の空気に伝わった。
わたしは、そのやりとりを黙って見守る。
(……さすが、マリア様。真正面からの戦いを好まない人だけど、こういうときに一歩引ける余裕がある)
そして、場が和らぎかけたそのとき——
「“その人らしさ”って、やっぱり香りにも出ますわよね。たとえ、流行の香りであっても」
クラリスが、やんわりと釘を刺してきた。
“真似”と“らしさの欠如”を暗に指す、遠回しな攻撃。
けれど私は、何も動じず返した。
「そうですね。だからこそ、“その香りが似合うかどうか”は、贈る側の眼差しにかかっていますわ」
沈黙。
一瞬、空気が止まる。クラリスの笑顔が、わずかに引きつったように見えた。
(贈ってきたのはあなた。似合わないって言いたいなら、目利きの方がどうなのって話になる)
言葉は使いよう。毒にも、盾にもなる。
お茶会が終わったあと、私は人気のない通路でそっと一息ついていた。
そこに現れたのは、やはり彼だった。
「今日も、見事でしたね」
リオン・カーディス。
没落した男爵家の出身で、今は王太子付きの近衛騎士。
彼のまなざしは、いつも静かに、まっすぐだった。
「また見てたの? 監視役みたい」
「あなたの動きは、どうしても目で追ってしまいます」
そう言って、彼は目を逸らした。
「……クラリス侯爵令嬢の動き、殿下も気にされています。あなたに関する調査も含めて」
「知ってる。もう済んでるわよ。何も出なかったけど」
わたしは意図的に、あっさりと答えた。
過去を漁られるのは不快だけれど、それ以上に——この世界では、“嗅ぎ回られたという事実”こそが武器になる。
「でも、それを知ったうえで香水を贈ってくるんだから、彼女もなかなかやるわよね」
「ええ。……ですが、あなたはその上をいきました」
「褒めすぎじゃない?」
「いえ、本心です。僕は……あなたのそういうところが、好きです」
え、と声が出そうになった。
でも彼は、それ以上言葉を重ねず、静かに一礼して立ち去った。
その日の夜。レティシアが駆け込んできた。
「エリセ……まだ、終わってないかもしれない」
「今度は何?」
「クラリス様……あなたのお母様のことを調べてる。しかも、本気で」
「……母を?」
胸が、嫌な予感で締めつけられた。
クラリスはまだ探っている。
香水での攻撃が不発だったから、今度はもっと根本に手を伸ばそうとしている。
(どうして、そこまで)
何が知りたい? 何を狙ってる?
思考が渦を巻く中、ひとつだけ確かなことがあった。
——これから先、もっと深く“踏み込まれる”。
そういう覚悟が、必要だということだった。