【第4話】影を探る声
レティシアの顔は、いつになく真剣だった。
「……で、どういうこと?」
応接間のソファに座ったまま、私は問い返した。彼女は扉を閉めると、声を潜めて言った。
「クラリス様、あなたの過去を調べさせてたみたい。しかも、かなり熱心に」
「私の過去って……何のこと?」
「具体的に何を狙ってたのかはわからないけど、どうも“出自”に関する何かを期待してたみたい。噂にできるような、恥ずかしい事実とか」
思わず肩がこわばる。
でもすぐに、深呼吸した。
そんなもの、なかったはずだ。
「で? 何か見つかったの?」
「そこなんだけど……結局、なにも」
レティシアは少しだけ口角を上げた。
「逆に焦ってたって。『大したことない家なのに、汚点もスキャンダルも出てこない』って、不満そうだったって聞いた」
「……“大したことない家”ね」
うちは代々の公爵家。ただし実戦貴族じゃなくて、古くから文化や法典を管理する“内向きの家系”。
社交界では地味だが、王室とのつながりは深い。
(見た目が可憐で、発言が控えめで、家も堅実)
(でも目立たないってだけで、隙があると思われてる)
クラリスにとって私は、王太子の婚約候補の中で「潰しておきたい相手」なんだろう。
「弱みが見つからなかったからって、すぐに引き下がる人じゃないよね、あの人」
私がぼそりとつぶやくと、レティシアは小さくうなずいた。
「それで——」
彼女は声を潜めた。
「今度は、違う手を使ってきたみたい。しかも、わかりにくくて……いやらしいやつ」
翌朝、届いたのは美しい装飾の小箱と、一通の手紙だった。
「昨夜は楽しいひとときでしたわね。親睦の印として、ささやかな香りをお贈りします。どうぞご笑納くださいませ」
差出人は、クラリス・モンテローザ侯爵令嬢。
中身は、上質な香水瓶。
手紙は礼儀正しく、文面からは何の問題も見えない。
……でも、違和感は拭えなかった。
「“あえて”何もないタイミングで贈ってくるなんて、怪しすぎるわよ」
香水瓶を前にして、レティシアが唸るように言った。
「この香り、誰かが以前使ってた気がする……」
私は瓶の蓋をそっと開けて、香りを確かめる。
甘く、華やかで、それでいてどこか上品な——
その瞬間、頭の中にある記憶が浮かんできた。
「……マリア様」
「え?」
「マリア・ロゼリア子爵令嬢。前の慈善茶会で、この香りを使ってた」
レティシアの表情が固まる。
「……つまり、これは“偶然”じゃないってことね」
私は頷いた。
クラリスはきっと、私がこれを使って現れることを見越して贈った。
“あのマリア様と同じ香りをつけてくるなんて”と、陰で噂されるように。
直接は何も言わず、ただ“火種”だけを投げてくる。それが彼女のやり方。
(過去を探っても何も出てこなかった)
(だから、次は……評判を落とすための“罠”)
「ねえエリセ、使わないでおく?」
「……ううん。使う」
私の返答に、レティシアが驚いた顔をした。
「使って、堂々と会場に出る。誰よりも笑顔で。……“仕掛けられたと知ってる上で”ね」
「……ふふ。そういうとこ、ほんと好き」
クラリスにとって“予想外”になりたい。
私はただの大人しい令嬢じゃない。毒の中を笑って歩けるくらいには、鍛えられてきたつもりだ。
(仕掛けるなら、それ相応の覚悟を持ってもらわないと)