【第3話】ダンスと沈黙、そして秘密のまなざし
「——ヴァルフォード令嬢。よろしければ、次の曲を私と」
まるで筋書きでもあるかのように、セドリック王太子殿下が私に手を差し出してきた。
そう、王太子その人が。
社交会場の空気が一瞬で凍りつく。全員がこちらを見ている。いや、値踏みしていると言った方が正しいだろう。
親友のレティシアが口元で「頑張れ」と微笑んだ気がした。ありがとう。でも、無理ゲーの応援って逆にプレッシャーなんだよ。
「光栄ですわ、殿下」
私は表面だけ完璧な笑顔を浮かべ、スカートの裾を軽く摘んで頭を下げる。公爵令嬢らしく、優雅に、可憐に。
(……って、内心は全力で逃げたがってますけど!?)
王太子の腕に手を添えて、ダンスフロアの中央へ。
音楽が流れ始め、二人だけの空間がゆっくりと動き出す。
セドリック殿下は想像通り、ダンスも完璧だった。リードも正確で、姿勢も美しい。……だが。
(会話が、ゼロ。無音。もしかして無言こそが正義だと思ってらっしゃる?)
そう思っていたら、突然口を開いた。
「ヴァルフォード令嬢。あなたは、王族に嫁ぐ覚悟がありますか?」
「……え?」
さすがに、出だしからの直球に一瞬たじろぐ。
ちょっとはワンクッション置いてくれてもいいのでは。
「必要な質問です。私は私の隣に、ふさわしい者を求めています」
「ふさわしい者、とは?」
「美しさ。教養。家柄。そして……従順さ」
——はい、出ました。“従順さ”。
(令嬢をペットか何かと勘違いしてませんか、殿下)
「……それはまるで、王太子殿下ご自身が“飾り物”として扱われたいと願っているようなお言葉ですね」
言った瞬間、セドリック殿下の銀の眉がわずかに動いた。
「皮肉、ですか?」
「いえ。ただの感想です」
にっこりと、完璧な微笑みで返す。
従順さなんて、私に一番向いてない言葉だ。
私は誰の装飾でもないし、王家の“便利な飾り”になるつもりもない。
曲が終わる。王太子の手を離した瞬間、肩から力が抜けた。
(……つ、疲れた……)
周囲の視線はまだ熱い。私はそっとその場を離れて、バルコニーへ向かった。
夜風が少しだけ肌を撫でる。ふぅ、と息をついたところで、後ろから静かな声が響いた。
「お疲れのようですね、エリセ様」
振り返ると、そこには黒髪の騎士がいた。
——リオン・カーディス。
かつて爵位を持っていたが、家の破産により没落した元男爵家の末裔。
今は王太子付き近衛騎士として、その才覚で自らの道を切り拓いている人物。
「リオン様。お勤め中では?」
「見回りの一環です。……殿下のお相手が、気疲れされていないかの確認も含めて」
「……ご丁寧にどうも」
私は苦笑する。けれど、内心では妙に安心していた。
この人は、貴族の形だけを見て人を判断するタイプではない。
「……さきほどの会話、少し聞こえてしまいました。すみません」
「盗み聞き……じゃないですよね?」
「いえ。あくまで偶然です」
「じゃあ、感想をどうぞ」
リオンはほんのわずかに目を伏せ、そして言った。
「殿下が、あれほど言葉に詰まるのは珍しいことです」
「……あれで?」
「はい。エリセ様の言葉は、殿下の常識を揺るがせたと思います」
それは、褒め言葉なのだろうか?
でも、少しだけ誇らしかった。
私はふと、問いかけてみた。
「リオン様は……なぜ、そんなに私のことを気にかけてくださるの?」
「……“似ている”と思ったからです」
「似ている?」
「……立場と本音の狭間で、黙って飲み込んでしまうところ。
本当は叫びたいのに、誰にも言えず、笑ってごまかすところ」
まっすぐな目が、私を射抜いた。
その瞬間、胸の奥にあった何かが、静かに波紋を広げた。
その夜の帰り道。
「ねえ、エリセ。……ちょっと気になることがあるの」
親友のレティシアが、小声で話しかけてきた。彼女の声に珍しく緊張が混じっている。
「クラリス様が……あなたのこと、少し“調べている”って」
「調べてる……?」
「はっきりとは言えないけど、何か、あなたに関する過去か、噂を探ってるみたい」
——クラリス・モンテローザ侯爵令嬢。
私を見下しているのは明らかだったけど、ついに本格的に動くつもりらしい。
(来たか、令嬢社会の裏バトル)
この場には、礼儀と微笑の皮をかぶった毒が渦巻いている。
私、エリセ・ヴァルフォード公爵令嬢、そろそろ本気で“対抗手段”を用意しなければならないかもしれない。