第8話:鬼姫の輝き、まほろばの黎明
1930年代半ば、既に伊藤博文や山県有朋など有力な実力者が他界し、老齢の西園寺公望と東郷平八郎は帝に後事を託す人材を紹介した。
海軍の山本五十六、井上成美、小沢治三郎、伊藤整一。皆、優れた指揮官であり、軍官僚でもある。
しかし、帝は陸軍士官の不在を惜しんだ。
「あの変事で多くが命を落としたか。」
そんな帝の心配な表情を見て、西園寺は微笑み、こう告げる。
「陸軍の有望株を呼びました。」
帝の前に山下泰文と今村均が現れ、緊張しながら帝の問いに答えた。
「軍人として国のために尽くすのは本義。陛下の信頼に応えます。」
帝は「うむ、宜しく頼んだぞ。」と述べつつ頷き、彼らを信頼した。
それから暫くして、西園寺と東郷は相次いで逝去。
帝は東郷に元帥号、西園寺に摂政号を贈り、長年の功を称えた。四鬼王は帝の直接の意向で動き、対等に近い立場で支えた。
「一人一国」の約定で国家元首扱いだが、領地がヤマトの租借地ゆえ、実質は臣下と見なされた。
1945年8月、諸外国連合の圧力が高まる中、ヤマトは先手を打ち「喧嘩」を仕掛けた。
ソビエト連邦の軍港ウラジオストクへ、火の鬼の王が単騎突入。太陽を地上に出現させたと評されるほどの猛烈な光と炎が軍港を飲み込み、太平洋艦隊を溶かし尽くした。
同時に、風の鬼の王がアメリカ大統領に挑戦状を送り、挑発的な文言で激怒させた。大統領は太平洋艦隊に加え、大西洋艦隊をパナマ運河経由でハワイに集結させ、ヤマト殲滅を宣言。
東南アジア方面からはイギリス、フランス、オランダ、更にイタリアの海軍と、フィリピン駐留アメリカ海軍がルソン島西岸沖に集結。バシー海峡を通過して南西諸島占領を画策した。
9月、アメリカの大艦隊が南鳥島近海に現れた。ヤマト海軍の駆逐艦「如月」は偵察中に遭遇し逃走。
だが、その如月に乗艦していた風の鬼の王は笑った。
「お前たちは逃げろ。ブリキの箱共に風の鬼の王の力、思い知らせてやる。」
そう言い残して彼女は疾風を纏い、艦隊に突っ込んだ。
この時の事を目撃した如月の水兵の手記にはこう記された。
「アレはもはや戦いではない。一方的な蹂躙、圧倒的破壊だ。」
アメリカの戦艦は当時の新鋭艦だった"ノースカロライナ級"を含めてほぼ全滅、辛うじて最後列にいた戦艦「アリゾナ」が逃れたのみ。巡洋艦の8割、駆逐艦の6割が沈没。
特に駆逐艦「ハムマン」は凶風で跳ね上げられ、空母「ヨークタウン」の甲板に突き刺さり、爆発四散。同時にヨークタウンも沈む。
その後、エンタープライズ、ホーネット、レキシントン、サラトガ、ワスプもヨークタウンを追うように沈んだ。
この悲劇的な被害報告を受けた大統領は鬼の少女一人の猛威からショックを受け、心労から心臓発作を発症して急死。
一方、南西諸島へ向かった連合部隊も水の鬼の王が立ち塞がり、風の鬼の王とは違った形で猛威を振るい、意図的に逃がした駆逐艦「ヴァンパイア」を除いて海の藻屑(先代水の鬼の王:水梨伊鈴と異なり、溶かすという規模ではなかった。具体的に語ると、艦隊がいる海域そのものが巨大な水の壁に取り囲まれ、それが次々と覆い被さり艦隊を水底に引き摺り込んで沈めた。)となった。
第一次碧蒼戦役(1945~1954年)は連合軍の数多な艦船を数度ヤマト領海に沈め、最終的に休戦協定で終結。
ヤマト側の損害は鬼の王不在の戦場で巡洋艦と駆逐艦が数隻か沈んだ程度だった。
連合軍は第一次戦役の戦訓から飽和戦法を編み出し、第二次碧蒼戦役(1960年代後半~1970年代前半)という形で挑んだが、損害は前回と変わらず敗退した。
第一次戦役中、帝は病に倒れ、休戦協定の発効を見届けて崩御。
崩御前、帝は高天原との絆を固める詔書を発していた。
「朕の一族に帝に相応しい者がなければ、高天原のアマテラス傍系から帝を選出せよ。ヤマトの存続のために。」
この「天壤無窮の神勅」停止は、ヤマトと高天原の一体性を示したが、同時に後の問題の種となった。
1960年代半ば、大満大韓帝国において、皇帝として君臨していた、かつての清朝最後の皇帝が後ろ盾を無くした事から、主に半島出身の貴族や官僚の圧迫を受けて退位。
かつての大韓帝国の皇帝一族が再び至高の位に就くと、国号を高句麗帝国として再出発。
この新皇帝は「東夷鬼国」とヤマトを蔑むも、その戦力を恐れ牽制するに留まった。
第二次戦役終結(1970年代半ば)で、連合側のアフリカ、南アジア、東南アジア、南アメリカなどの植民地で独立運動が活発化。
イギリス、フランス、オランダ、イタリアはこれらの動きを辛うじて抑え込んだが、後の放棄の兆しを見せた。
1990年代初頭、第三次碧蒼戦役が勃発。
当時、既に実用化されていた音速戦闘機や、その運用のための大型空母を主力として、連合軍がヤマトを圧倒。
一時、南西諸島と小笠原諸島が奪われる事となる。
この事態に、四鬼王は高天原の王選公会に自分たちの後継者候補、兎人兵師団、戦闘用天浮舟の派遣を要求。
高天原側は熟慮の末、援軍を送り、連合諸国に宣戦布告。その後、一進一退の戦局が続いた。
一方、開戦初期、ソビエト連邦は再革命で崩壊。ロシア共和国が成立し、過去の戦闘における土の鬼の王の猛威による恐怖も手伝い、連合を離脱した。
そんな状況の目まぐるしい変化に、時のヤマトの新帝は高天原の参戦を表向き歓迎しながら内心恐れ、密かに事実上の降伏を検討する。
だが、四鬼王はこの裏切りを高天原側の情報提供から察し、先帝の詔書を盾に退位を強行。
1996年正月、新都の宮殿を占拠し、高天原から碧月帝(初代)を迎えた。碧月帝は「かぐや姫」の血を引き、高天原統治層の代表を兼ねた。
この事から、彼女はヤマトと高天原の「同君連合」を宣言し、志願兵制を布告。この際「ヤマトは高天原が護る。」と語る。
旧約定は吹き飛び、ヤマトは高天原の管理下に置かれた。だが、国民は徴兵制度による戦闘義務から解放され、前線は高天原の戦力が担った。
一方、連合はアメリカ主導で史上最大の戦力を展開。中華民国にヤマト国との相互不可侵条約を破棄させ、1997年末には、高句麗を含む包囲網を完成させた。
碧月帝即位後の3月、アメリカの新型兵器が新都を狙うも、計算ミスなどから神戸を壊滅させ、その際に二次的な「災い」が顕現する事となったが、この時は内地守備を命じられていた鬼の王候補生四人と、有馬温泉に湯治に来ていた先代鬼の王四人が災いを食い止めている間に「さらなる客人」の参戦で災いを鎮圧する事に成功した。
一方で、兎人兵の奮戦と四鬼王の激闘でヤマト国は各地の戦線で踏み止まっていた。
特にとある兎人兵の活躍が目覚ましいが、ここでは触れないでおく。
1998年の春、ヤマトの地に一人の少女が現れた。
後に「護国の鬼姫」と称され、アメリカから「アンゴルモアの大王」と恐れられた彼女。
その傍らには、碧色の瞳と満月の光を映す黄金髪の少女――サーナと酷似――と、背格好の似た二人の少女がいた。
「四人で一人」と称される彼女らは、千島列島沖でアメリカ海軍中心の連合の機動戦力を壊滅させ、ヤマト周辺から敵を駆逐。
1999年7月、鬼姫はアメリカ本土に「ちょっかい」を出し、ロッキー山脈は崩壊。不毛の砂漠へと変貌させた。
このためにアメリカは戦争継続不能に陥り、2000年、パールハーバー協定で第三次碧蒼戦役は終結。
戦後、ヤマト国は高天原と一体化を進め、独立独歩を確立。
一方、連合は植民地独立で弱体化し、反高天原グループ主体のヤマト亡命政府も支援を打ち切られて自然消滅していた。
終戦の立役者と言える鬼姫は、三人の少女と共に姿を消し、特に鬼姫はヤマトの某所で学生として暮らしたと囁かれた。
こうして百年近い混沌の時代は幕を閉じ、ヤマトに平穏が訪れた。
第三次碧蒼戦役終結から20数年後、ヤマト国の四大鎮守府の一つである軍港"佐世保"を訪ねる母娘と従者の姿があった。
それは、新たな物語の始まりであるが、荒ぶる鬼たちの殺伐とした闘争劇ではない。
日常と、ちょっとした非日常が織りなす軽妙な物語である。
ー おわり ー