第5話:蒼の決断、碧の盟約
四鬼王はサーナや帝らの前に正座し、しょんぼりと俯いていた。
サーナとの戦いには敗北したが、「我らはヤマトに降伏したわけではない」と水の鬼が冷静に言い放つ。
「我らは誇りを守る。ヤマトを古の姿に戻したいだけだ。」
その発言を聞き、サーナは微笑んだ。
「我は碧の月の統治層の代理じゃが、帝の名代も兼ねておる。我に敗れた以上、ヤマトに敗れたも同然じゃぞ?」
彼女の言葉は嘘だった。帝には事前に脳内で説明していた。
「交渉を有利に進める方便じゃ。安心せい。」
帝は黙って頷いた。
その瞳には先の戦闘の際、犠牲となった兎人兵の姿が焼き付いており、彼の胸に指導者としての重みを刻んでいた。
「鬼の王よ、君らの誇りは理解する。だが、ヤマトの民も誇りを持つ。どこかで妥協せねばならぬ。」
その発言に、西園寺が顔を強張らせた。
「僭越ながら陛下、碧の月の内政干渉を許せば、我が国の主権が危うくなりまするぞ!」
慌てて発言した西園寺に対し、サーナは軽く笑みを見せつつ、こう語る。
「西園寺、繰り返し言うが、我らはヤマトを支配する気はない。ただ、今の欲望に突き進むヤマトの姿を、そして未来を是とはせぬ。それだけじゃ。」
それらの会話を聞き、水の鬼が口を開いた。
「かつてのヤマトは、碧の月の映し身のように誇りと豊かさに満ちていた。我らはその時を思い出して欲しいだけだ。」
彼女の水色の髪が、静かな決意を映した。
帝は沈思黙考した。
兎人兵の犠牲、四鬼王の誇り、サーナの策略――全てが彼を指導者として押し上げていた。
「朕の勅命を以て、国外領からの撤退を命じる。ただし、沖縄、東北、北海道、小笠原諸島などは今やヤマトの不可分な一部だ。これを放棄せぬ条件を、鬼の王と碧の月の双方に求める。」
その帝の言葉に、火の鬼が吐き捨てた。
「完全撤退じゃねぇのか! まぁ、帝の顔を立ててやる。」
続けて土の鬼が唸った。
「この野郎……ヤマトの欲望は地に埋めるべきだ!」
土の鬼の無礼な物言いに西園寺が叫んだ。
「陛下を野郎呼ばわりとは、身の程を弁えぬ発言。許せぬ!」
憤慨する西園寺を、帝は静かに制した。
「西園寺、彼らの率直さは鬼の王の証だ。目鯨を立てるには及ばぬ。」
そんな帝の所作を見て、火の鬼が鼻を鳴らした。
「へぇ、見た目によらず、なかなかの度量があるじゃねぇか。」
一ヶ月後、御前会議にヤマトの為政者、重臣たちが集まった。
その中には、数年前に大陸東北部の大都市を訪問中に襲撃を受け、危うく死にかかった伊藤博文の姿もあった。
一命を取り留めたものの、それなりに深傷を負っていたため、朝鮮総督府内の医療施設から暫く動く事ができず、治療に専念しており、動けるようになったのは、鬼の王たちがヤマト本国で暴れ回るようになった頃であった。
そんな伊藤は会議場の中で不穏な気配を感じていた。
「この気配、幕末の修羅場を思い出すな。何だ、何が起きようとしている?」
伊藤が警戒する中、帝が口を開いた。
「これから朕が語るのは、ヤマトの未来を決する重大な話だ。だが、その前に皆に紹介したい者が居る。」
その帝の言葉を合図としたかのように突然、天井に光の輪が現れ、サーナが降り立った。
いにしえの十二単を簡略化した衣は、天の羽衣の力で宙を舞う。
この、突如現れた人物に伊藤が叫んだ。
「小娘……何奴!?」
色々な反応を示す群臣の中で唯一、西園寺は動じてはいなかった、この事を事前に知っていたからだ。
場が収まるのを待って、改めて帝が彼女を紹介した。
「こちらに居るはサーナ殿、旧都の夜空に見える碧の月より参った使者だ。見た目は少女だが、朕や皆より遥かに年長だ。」
帝の紹介を聞き、再び場が騒然とした。
そんな中、サーナは群臣の中に佇む伊藤に鋭い視線を向けていた。
その理由は、次の発言から明らかだった。
「髭、汝の懐の短剣を見抜いたぞ。必要なら振るう気か?」
その指摘に伊藤は動揺した。
護身用の短剣を隠していたが、いとも容易くサーナに見破られた。
伊藤の古くからの戦友でもある山県有朋が慌てて弁明した。
「待て小娘、伊藤に二心はない!」
伊藤の人となりを知る帝も擁護した。
「伊藤公は国家の柱石だ。蛮行などあり得ぬ。」
そんな中、併合推進派の一人が叫んだ。
「陛下、僭越ながら、この少女の話は荒唐無稽です!」
直後、西園寺がそれに応じた。
「陛下の言は事実。わしも四鬼王と対峙した。」
その会話の流れから、伊藤も頷いた。
「この娘は中空から現れた。奇術手品の類ではできぬ。」
一通りの顔合わせやら何やらを済ませた後、帝は約定を発表した。
「国外領からの撤退、その代わりとなる碧の月の補償。そして、鬼の王の後継者による我が国の守護だ。」
その内容に激しく驚いた陸軍大臣と山県が反対した。
「陛下、その撤退はヤマトの弱体化を内外に示す事になります!」
その一方、大蔵大臣は賛成した。
「昨今の国情を省みれば、今のままでは財政が破綻する。負担軽減の観点から撤退は止む無し。」
かつて伊藤は朝鮮併合に反対した。その事を踏まえて、このように発言する。
「内地の弱体化を見て、半島は独立の機運が高まっている。彼の地の併合はヤマトの品位を貶める。新たな契約で切り離すべきだ。」
伊藤のこの発言に、併合推進派の群臣たちが反発した。
「伊藤さん、貴方ほどの方が言うべき発言とは思えん。先帝の遺志を裏切る逆臣の行為ではないか!」
群臣と伊藤が対峙する中、サーナが間に割って入った。
「小役人、朝鮮は歪んだ意識の地じゃ。併合を続ければ、今にもヤマトの起源を奪う詭弁を吐くぞ。棄てるに限る!」
そのサーナの一言に激昂した推進派の一人が突如として襲い掛かった。
「我が国の周囲の環境を理解せず、一方的な要求を突き付ける妖怪女狐め! 許さんぞ!」
だが、鎧袖一触の喩えのごとく、サーナは男を不思議な力で天井に叩きつけた。そして落下した男に冷やかな視線を向けると一言。
「帝の周りにこのような下種が徘徊するとは! 失せよ、俗物!」
その視線を向けられ、男は白目を剥き、口から泡を吹き出して気絶した。
だが、よほど気に入らなかったのか、サーナの力によって会議場から転送され、男は堀に放り出されていた。
帝は勅命を発した。
「この二年の争いで我が国は多くの被害が出た。朕はこれ以上の犠牲を望まぬ。彼らと約定を結ぶ!」
その、強い決意を秘めた帝の発言に、群臣たちは従った。帝はヤマトの主権者であり、その意向に逆らう事は大逆の意ありとされたのだ。
会議後、サーナ、西園寺、伊藤が会議場に残った。
そこに帝が戻り、それと共に兎人兵が現れた。
「我らは高天原の兵。帝を護るために派遣された。」
現れた兎人兵の中に見覚えのある顔が何人か居たのを確認した帝は、微笑むと気さくに声を掛けた。
「一別以来だな。」
兎人兵たちが会議場の出入り口を固めると、早速サーナが提案した。
「ヤマトと碧の月が契約を結べば、今の鬼の王の後継者たちがヤマトを守る。ただし、外敵からの防衛の時に限るぞ?」
話を聞いた伊藤は慎重だった。
「国外領を譲渡するにしても、手続きが問題だ。」
それに対し西園寺が案を示した。
「台湾を"中華民国"に譲渡、朝鮮半島を民国政府の管理の下で再独立させる。」
それらの話を聞き、サーナが控えめに笑いつつ、こう述べた。
「断捨離じゃな。ヤマトが自主的に動くことを、碧の月は望む。」
それらの話が一通り終わると、帝はその場に居る重臣たちに頭を下げた。
「西園寺、伊藤、朕を信じて力を貸してくれ。」
帝からの要請。ましてや直々に頭を下げてまでの要請を受けて、二人は誓う。
「我ら両名、命ある限り、陛下をお支え致します。」
ー その6につづく ー