第4話:真鬼の顕現、結界の果て
四鬼王との交渉は続いたが、焦れた水の鬼が思わず言い放つ。
「我らの要求を飲まぬなら、我々四名の個々のやり方で国外領を灰塵に帰す。」
帝と西園寺は仰天した。ヤマトの陸と海の軍を壊滅させた鬼の王が、海を渡り台湾や朝鮮を荒らせば、無人の荒野となる。
その際に列強の大陸にある租借地を巻き込めば、生じる禍根は計り知れない。
その事が脳裏を過った帝は訴える。
「鬼の王よ、君らの時代と今では常識が違うのだ。力で自らの意思を押し通すのは、この蒼の月では侵略となる。君らはこの世界を支配する気か?」
帝のその訴えに、鬼の王は困惑した。
彼らは支配を望まず、ヤマトを本貫の地に戻し、山岳を制して睨みを効かせるだけでとりあえず良かったのである。
なぜなら、彼らも王となる以前、古の昔話を聞き、過剰な干渉は避けるべきと学んでいたからであった。
その困惑、そして動揺を、サーナは見逃さなかった。
帝から離れた場所で会談を見守り、鬼の意識が散漫となった瞬間、自らの身を隠していた上衣を空に放り、呪文を唱えた。
その直後、空間が歪み、周囲の風景が一変。帝や西園寺が目を白黒させる中、風の鬼が叫んだ。
「罠か! 妙な気配を感じていたが、我らを"特装結界術・阿頼耶識"の中に封じるとは……。さては高天原からの追っ手だな!」
これには帝と西園寺の両人とも想定していなかった。帝は即座にサーナの名を呼び、状況説明を求めた。
一方、鬼の王は帝の口から出た「サーナ」の名に驚愕。追っ手を予想はしても、まさか彼女とは思わなかったのだという。
サーナが現れると、鬼の王の余裕が消え、戦慄感と怯え、そして冷や汗を流す鬼の王すら居た。
そんな中、帝がサーナに問い掛けた。
「鬼の王は罠だと言ったが、一体それはどういうことだ?」
ふふっと言わんばかりに、サーナは笑った。
「鬼共は我が高天原からの御使いとは知らなんだ。……覚悟が足りんな。」
西園寺が「何故鬼の王たちは怯えるのだ?」と問うと、気の強そうな顔付きをしたベテラン兎人兵の少女が答えた。
「簡単だ。サーナ様が鬼より強いからさ。」
直後、サーナの指示で、兎人兵が帝と西園寺を安全圏まで退避させようと動いた。
それを見て、逃がすまいと火の鬼が火球を放ち、先導の兎人兵が断末魔を一瞬だけ上げた後、消し炭となってしまう。
この衝撃の光景に帝が立ち竦むと、西園寺が叫んだ。
「陛下、動かねば我らも同じように死にますぞ!」
西園寺の叱咤に帝は我を取り戻し、周囲の兎人兵の助けで逃げた。安全圏に至るまで、数人の兎人兵が鬼の攻撃で戦死。だが、攻撃は帝を避け、兎人兵のみを狙った。
西園寺は後に述懐した。「鬼は帝を狙わず、娘達を犠牲に。サーナの冷酷な計算だ。」と。
安全圏まで逃げきった帝は、悪態吐き少女の姿を見つけた。だが、彼女は重傷で、息も絶え絶え。衰えもあったベテラン兵ゆえ、鬼の攻撃を避けきれなかったのだ。
彼女の側に移動して片膝を付きつつ、帝は問う。
「何故こんな、こんな事になったのだ?」
ベテラン兎人兵の少女は息も絶えだえながら答えた。
「サーナ様は、帝をダシに、鬼を封じるつもりだった。鬼は……話し合いでは折れない。今はおそらく力を封じるか、ヤマトを守る程度に力を抑えるか、その、二択を迫ってる。」
息遣いが荒くなり、他の兎人兵が治療を試みた。しかし彼女は呟いた。
「傷が、深いな。長い兵務、だったが、蒼の月に、来れて良かった。話でしか、知らなかった、その地で、死ねる、なん、て……」
後輩の兎人兵の一人が「生きて帰ろう!」と叫んだが、彼女は力無く瞳を閉じ、言葉は途絶えた。その死が確認され、帝はただ、黙り込んだ。
つい数刻前まで悪態を吐いた少女の、あまりにも呆気ない死を前に、帝の心痛はどれほどのものだったか。
そんな帝の様子を見て、西園寺が重々しく言った。
「陛下、先帝の時代も戦で多くの命が散りました。"戊辰戦争"に"西南戦争"、"清国やロシアとの戦争"……此度の鬼との争いも同じ。戦とは斯様な物です。」
西園寺の重い言葉を聞き、帝は呟く。
「為政者の一言の重みを、いま改めて思い知った。朕はこの娘の家族に何と言えばいいのだろうか?」
その帝の言葉に対し、別の兎人兵――若手の少女――が答えた。
「ヤマトの帝、憐れみは不要だ。先輩は兎人族の寿命を考えれば既に老境の身。今回任務を果たしても高天原に戻らぬつもりだった。蒼の月に立ち、帝と話せただけで満ち足りていたはず。」
帝は沈黙し、思わず言葉を失った。
この日以降、その気さくな人柄から軽率と見られていた帝は一転して慎重になり、側近の信頼を得た。
だが、陸軍の一部は先帝の拡張路線を懐かしみ、この帝を快く思わなかった事が、後々大変な事態を引き起こす一因となった。
帝や西園寺、そして生き残っていた兎人兵らから言葉が消えた……まさにその時、突如、爆発音が轟いた。
土煙が逃げてきた方向から立ち上り、それを見た兎人兵の一人が叫んだ。
「サーナ様と鬼の話し合いが決裂した!」
その声に続いて、西園寺が声高に口走った。
「聞いた話の通りなら、サーナ殿は鬼に勝つはず。あの土煙は鬼が自殺行為に出た証であろう。所詮、鬼は鬼だったか!」
西園寺の発言に、別の兎人兵が反論した。
「力比べだけなら、鬼は降伏してる。彼らは自らの誇りに掛けてサーナ様の出した条件を拒んだんだ。」
兎人兵の反論を聞き、帝が頷きながら言葉を紡ぎ出した。
「鬼は自らの誇りに従う。誇りを満たす相手なら、たとえ力弱き者だったとしても従う。大陸の魏武帝に仕えた者も、武帝が認め、誇りを満たしたから忠誠を誓った。主従とは互いの誇りを満たし合う関係だ。」
更に帝は語りを続けた。
「朕は臣民の誇りを満たせぬ帝か? 鬼が朕に従わぬは、朕を誇りの相手と見ぬから。朕の今の姿を見て、ヤマトの今の姿を快く思わぬのだ。」
今までになく鋭い眼差しで発言した帝を見て、西園寺は反論できず、沈黙するしかなかった。
サーナは四鬼王を蹂躙していた。
爆炎が上がり、烈風が木々を裂き、水柱が大蛇の如くうねる。火の鬼は骨すら灼き尽くす焔を放ち、風の鬼は万物を塵に変えるほどの突風を巻き起こし、土の鬼は無数の岩を砕きサーナの頭上に雨霰のように降らせ、水の鬼が放つ水流は地面を溶かしながら斬り裂き、独特の匂いを漂わせていた。
これらはこれまで多くのヤマトの兵を屠った力だった。
サーナは帝の安全圏までの脱出が完了するまで動かず、兎人兵の犠牲すら計算ずくで受け入れた。
彼女は鬼の王からすれば「災悪」そのもの。阿頼耶識の結界内でなら全力を振るえるし、結界外ならヤマトを消し飛ばせると自ら豪語した。
帝はそんなサーナの正体を知りたくなり、周りの兎人兵に問うた。
「誰ぞ、彼女の……サーナについて詳しく知る者はいるか?」
帝の問いに地味な兎人兵の少女が手を挙げ、答えた。
「私のお祖母さんから聞いた話ですが、今の統治者が物心ついた頃から、サーナ様は今と変わらぬ姿であられた。」
その一言に帝は内心驚いた。
「あの統治者たちは千年生きると言った。サーナはそれ以上か? もしや、かぐや姫と会ったかも……」
少女が「自分が知るのはそれだけです」と言うと、帝は礼を述べ、ここでの話を終えた。
後はサーナに直接聞くつもりだった。
ちょうどその時、戦闘の土煙、爆炎、烈風、水柱が止んだ。
空間を揺らす轟音が響き、風景に亀裂が生じた。
これには西園寺も「世界の終わりか!?」と恐れたが、兎人兵が言った。
「結界が、阿頼耶識が崩れるだけ。元の空間に戻れるよ。」
帝は一瞬、「まさかサーナが敗北したのでは?」と思ったが、直後頭に彼女の声が響いた。
「鬼如きに後れをとるはずなかろう。心配無用じゃ。」
空間の亀裂が破裂し、帝と西園寺はその際に意識を失う。
しばらくして目覚めると、そこは始めに鬼の王たちと会談を持った旧都の大極殿前広場。
それまで周りに居たはずの兎人兵は消えており、近くにはサーナが立っていた。
そして、彼女の周りには、見慣れぬ少女四人がうつ伏せで動けずに倒れていた。
その光景をみて帝が問う。
「この少女達は?」
サーナは悪戯っ子の微笑で答えた。
「これこそ四鬼王の真の姿じゃ。」
この、驚愕の事実に帝と西園寺は思考停止。
ヤマトを壊滅させた鬼の王が、サーナと大差ない少女――だいたい中等女学校の生徒ほどの姿――だった。
驚愕の中、四人が唸り、続々と意識を取り戻した。
そんな彼女達の視界には、驚く表情を見せたままの帝と西園寺、そしていかにも悪巧みを企む表情を見せるサーナが仁王立ちしていたのだった。
ー その5につづく ー