第3話:神州の誇り、試される刻
東郷と水の鬼の王の会合から数日後、東海道の空を影が滑った。
碧の月の「天浮舟」――音もなく浮かぶ船だ。船内には帝とサーナ、元老院の西園寺公望がいた。
帝の旧都行きに西園寺は当初反対した。
だが、サーナと対面し、彼女が碧の月から来たヤマトを救う使者と知り、帝の決意を聞いた。
納得できぬ西園寺を、サーナは数日前、碧の月へ連れ出した。
碧の月――記紀の高天原――は帝と西園寺を驚かせた。古代ヤマトの神話が事実と分かり、西園寺は手記にこう記した。
「高天原の文化は上古から平安初期を思わせるが、衛生面などは我々の文化の百年先を行く。衣装は和洋折衷のごとく、気品と実用性を兼ねる。いにしえの"かぐや姫"がここの統治層の出と知り、ヤマトの国祖との繋がりに驚愕した。」
高天原は長命族の女性が合議で統治し、三権を握る。
民は「勅」と「令」に従う。帝は古い統治に時代遅れを感じたが、民の不満は見えず、善政と察した。だが、四鬼王が追放される退屈さもあったろう。
統治層の代表――若い女性――は帝に詫びた。
「鬼の王の暴挙と力を封じ得なかった非をお詫び致します。彼らは根は悪くないが、その力ゆえに傲慢に走った。彼らを抑えられなかった我々の力不足だ。サーナの要請で兎人兵を用意する。」
その詫びを受けて、帝は答えた。
「水の鬼の王は朕の親書を受け、他の鬼の王に伝えた。できるなら討伐より話し合いを優先したい。」
代表は羨むように微笑み、忠告した。
「鬼の王は自然の猛威に手足が生えた存在。蒼の月の大半を敵にしても返り討ちに出来る力を持つ。くれぐれもお忘れにならぬように。」
この、一連の流れ。そしてこの地の文化を見て西園寺は驚いた。
女性が統治し、生まれた種族で役割が決まる。長命族は神の血統で、超常の力を持ち、中には単独で鬼の王と渡り合う者もいる。だが、その場合、寿命を削る事になる為か、西園寺は「人間なら即死だ」と震えた。
兎人族は短命だが、人口は最多を誇る。身体的に早熟で、年二回子を産み、背丈は120~140cmほど。西園寺は「成人しても子供の姿で暮らし、兵役に就くとは」と、半ば呆れている。
兎人兵は「蒼の月の陸戦兵千人に勝る」とされ、稀に「一個師団と互角」の剛の者も。超常の力を発揮する時、髪の毛の一部が兎耳状に変化する。
鬼族は雑鬼(男性多数)と真鬼(女性多数)に大別され、四鬼王は本来真鬼の頂点だ。戦闘では文字通りの鬼の姿に化ける。この事を知った帝は「彼らの本当の姿とは?」と呟く。
その呟きにサーナは笑い、「楽しみは最後まで取っておく物じゃ」と答えた。
浮舟は琵琶湖上空を過ぎ、旧都郊外の山科に着陸。帝と西園寺は馬車で宮殿へ向かった。
サーナが馬車を操り、周囲を兎人兵が護衛した。西園寺は兎人兵の脚力に驚き、それを見て帝は笑った。
「兎と亀の話、油断さえ無ければ兎が優れる。物語では油断したが、彼女たちは油断せぬよ。」
帝はそう述べたが、兎人兵は不快そうに睨んだ。兎と亀の兎は彼女たちの祖先筋の者で、あの敗北は今も屈辱らしい。
浮舟は民の目に見えず、音も立てぬ。蒼の月で俗に"ステルス技術"が実用化するのは、この時より百年も後の話だ。
帝は浮舟が、いにしえの「天孫降臨」の時にも使われたと知り、改めて遠祖が碧の月の民と聞いて安堵した。
「天津神とは外の世界の神。朕にはその力はないが。」
そんな時、兎人兵の一人が言った。
「鬼が帝に危害を加えぬのは、その身に宿る神気が彼らを止めたから。だが、蒼の月の毒気で明らかに弱ったみたいだな。」
その発言に西園寺が顔をしかめると、サーナが彼らを叱った。
「帝は高天原の統治層の末裔だ。神気を失わぬ以上、目上の者に接する時は敬意を持て。」
兎人兵は戦場で傷つき、死ぬ役目を負う事もある。その事を知ると帝は特に反論はせず、西園寺は「幼い娘が戦うとは……」と溜息をついたという。
旧都の宮殿周辺は陸軍が警備していたが、鬼の王の襲撃の可能性に怯えていた。各地での友軍の連続的敗北が響き、一部の兵は心因性ストレスで体調を崩していた。
そんな最中、帝の馬車が現れ、司令部幹部が狼狽えた。
「陛下!? いや、まさか偽者では?」
警備をする陸軍の現地司令官が帝の顔を確認し、偽者疑惑はすぐに晴れた。
疑惑が晴れると帝は現地司令官に命じた。
「もうすぐ鬼の王が宮殿に現れる。周辺の民を遠ざけ、警備兵も下がらせるのだ。」
現地司令官が「陛下もお逃げ下さい!」と食い下がると、帝は答えた。
「朕は鬼の王と話し合う。父祖の守護がある。」
現地司令官がなお説得しようと試みた時、突然態度を翻し主命に従い、警備兵を連れて退去する。
この光景を見て西園寺が不思議がると、帝は一言呟いた。
「サーナの小細工だ。」
馬車には白々しい笑みを見せる少女がいた。西園寺はこの常軌を逸した出来事に内心震えた。
「高天原の民の力は底知れぬ。神話通りなら、容易くヤマトを支配できよう。」
そんな西園寺の心内を見透かしたようにサーナは笑った。
「西園寺、支配など面倒じゃ。我らはそんな真似はせぬ。」
西園寺は彼女の発言を信じつつ、一抹の不安を残した。しかし、今は鬼の王との交渉が最優先だった。
それから一時間後、帝と西園寺は宮殿の広場にいた。
帝は綺羅びやかさを湛える折り畳み椅子に座り、西園寺は直立。サーナは気配を消し、兎人兵が周囲を警戒する。
その時、警備を担当していた陸軍部隊は一里程下がっていた。
程なく空が暗雲に包まれ、熱風が吹き、地響きが視界を塞ぐ。そして視界が戻ると、そこには四鬼王の姿があった。
それぞれ、自らの力を誇示するように、超常の力を見せつけていた。火の鬼は焔を纏い、風の鬼は突風をまとい、土の鬼は岩を浮かせ、水の鬼の指先から滴れる水滴が、独特の匂いと共に地面を溶かした。彼らの視線は帝へ注がれていた。
四人の鬼の王の圧迫感を放つ視線を受け、帝は言った。
「鬼の王よ、親書に応じた事に感謝する。ヤマトの国を代表して礼を言う。」
西園寺は帝の下手な態度に不満を感じたが、力の差を思えば仕方がないと思った。
始めに水の鬼の王が話を切り出した。
「使者・東郷平八郎の一廉ならぬ胆力に免じ、三王を連れてきた。」
火・風・土の鬼は、水の鬼の王が主導した今回の話に内心不満げだった。その中で風の鬼は周囲の空気の僅かな異変を感じ、眉をひそめた。
そして、交渉が始まると、さっそく四鬼王は要求した。
「国外領から撤収し、古のヤマトに戻れ。」
それに対し帝は反論する。
「国外領は先帝の指導と、臣民達の献身と犠牲で得た土地。それを放棄するのは国内に混乱と国論分裂を招く事になる。」
その答えを聞き、納得ができない火の鬼が迫った。
「今のヤマトに国外領を維持する力はない! この二年の戦で兵は消耗した。それでなお維持できるか!」
その威圧感を前に、西園寺が尻餅をつき、冷や汗をかいた。しかし、帝は毅然と答えた。
「確かに力は衰えた。朕も君らの力を過小評価した。だが、撤退は混乱を招き、諸外国に侮られる。それでは先帝や父祖、臣民たちに対して面目が立たぬ。」
すると今度は土の鬼が吐き捨てるように述べる。
「ヤマトを侮る奴が無知だ。帝よ、ヒトが善すぎる。ヤマトの帝なら尊大に振る舞え。」
その、あまりにも時代錯誤と言えなくもない発言に、思わず西園寺が叫んだ。
「今の我が国は、まだ辺境の島国に過ぎない! 尊大に振る舞えば孤立する!」
だが、西園寺の言葉を鬼の王は理解せず、代表して水の鬼が言った。
「欧米列強とやらが"神州"を脅かし、侮り、汚すなら……尽く海の塵に変えるまでだ!」
― その4につづく ―