第1話:碧の月、開く門
世にお伽噺と言う物ありけり。
そこでは人が色々な人外人妖と関わりあう物語が無数に存在した。
そんな物語の中でも、際立って人間の前に何度も、形を変えながらも立ち塞がった存在の中に、俗に言う『鬼』と呼ばれる存在がある。
後世、科学の発展により、鬼とは自然現象や自然災害等が持つ理不尽さを仮託された物として扱われる事となるのだが……
もし、そんな人外の力を振るう"手足の生えた理不尽"が普通に人間達と隣り合わせで暮らしていたなら、果たしてどうなるのか?
これは、もしもそんな"鬼"と称される"人類"と、彼らが住まう世界と交わる事となった旧来の人類が住まう世界の片隅で起きる『小さな物語』……の前日談であり、今回はその物語を綴るにあたり、欠かせない序章と言える「鬼("碧の月"の民の一部でもある。)と旧来の人類("蒼の月"の民の一部である、所謂"ヤマト人")が、如何にして関わり合いを持つ事となったか?」を記す。
(なお、のちに起きる事となる「他の蒼の月(地球)側の諸国と、鬼を含む碧の月側との間で起きた三度に渡る"戦役"」に関しても触れなければならないが、その詳細を事細かく語ると、それだけで一本の作品を書く規模になる為、ここでは詳しくは記さないでおこう。)
なお、改めて繰り返して記しますが、この物語はフィクションであり、実在の人物、組織、国家とは一切関係ない事を明記しておきます。
また、一部の歴史的事象と発生期日が異なる場合がありますが、それもまたフィクションの一つであると御理解頂ければ幸いです。
では、拙い小話ですが、暇潰し程度で良ければ、お付き合い頂きたく存じます。
時は西暦1912年、夏。
ヤマト国の帝は、半世紀にわたり至高の位に君臨した末、病床に伏していた。
崩御を目前に、帝は皇子を枕元に呼び寄せ、囁くような声で告げた。
「皇子よ、驚くでない。我が一族には、指導者としての帝の役割のほかに、もう一つの務めがある。『身の門』――表向きは『御門』と呼ぶが、このヤマトを守る"封印"の要なのだ。」
皇子は思わず眉をひそめた。帝たる父の言葉は、あたかも古の神話のようであった。
「だが、朕の代で、その封印を保つ秘術が失われた。古より、碧の月と蒼の月――我らが世界――を繋ぐ門を守ってきた我が一族だが、その門はもはや閉ざせぬ。皇子、汝は帝になれど、身の門にはなれぬ。やがて"碧の月の民"が現れ、この国を、否、世界を波乱に導くだろう。」
皇子は言葉を失った。父の目は真剣だったが、その話はあまりにも荒唐無稽だった。冗談か、死を前にした妄言か――だが、帝の視線には、諦めと決意が同時に宿っていた。
「信じるも信じぬも汝次第だ。今となっては朕には、どうすることもできぬ。」
そう言い残し、帝は口を閉ざした。それから数日の後、帝は静かに息を引き取った。
皇子の胸には、父の言葉が重く刻まれた。あれは戒めか、予言か――答えの出ないまま、彼は新たな帝となる日を待つしかなかった。
先帝の崩御後、皇子は新たな帝として即位する儀礼に臨むため、旧都の宮殿へ向かった。
ヤマト国の慣わしでは、新帝の即位は、かつての都である旧都で行われる。
新都に住まう帝の一族に対し、旧都の民は「本朝の宮殿は我々の地」との意識を強く持ち、政府もその伝統を尊重していた。
皇子は文武百官を従え、東海道を西進した。
大坂湾には、海軍の総旗艦「三笠」をはじめ、歴戦の艦艇が並び、さながら海の要塞のようであった。ロシア帝国との戦いで鍛えられた海軍の誇りだ。
一方、旧都周辺には陸軍の師団級部隊が複数配備され、鉄壁の防備を敷いていた。戦勝の記憶に裏打ちされた彼らの自信は、揺るぎないものだった。
だが、皇子の心は晴れなかった。先帝の言葉が、頭の片隅に残り、そして響く。
「碧の月の民が現れる……」 それは、新帝となる自分への試練なのか。それとも、ただの老いた父の幻想か。
その夜、宮殿の片隅で、皇子は側近らと儀礼の準備を進めながら、何気に空を見上げた。月は静かに輝いていた――その時までは。
夜が深まった頃、異変が起きた。皇子が何気なく空を見上げると、そこに異様な光が浮かんでいた。月――いや、月ではない。
碧く、妖しく輝く球体が、夜空を支配していた。
「何だ、あれは……月が、碧色に?」
その言葉の途中で、爆音のような空気の震動が旧都を揺さぶる。
宮殿の柱が軋み、瓦が落ち、側近たちが悲鳴を上げて床に伏せた。皇子はよろめきながらも、周囲を落ち着かせようと声を張る。
「慌てるな! 皆、無事か?」
だが、その直後、宮殿の内外から無数の叫び声と、銃声が響き渡った。それを聞いた側近の一人が青ざめて呟いた。
「陸軍が……反乱か?」
その答えはすぐに来た。陸軍の将校が血相を変えて駆け込んできて、こう報告したのだ。
「殿下! 宮殿に得体の知れない巨大な怪物が侵入しております! 速やかに避難を!」
皇子は息を呑んだ。先帝の言葉が脳裏をよぎる。「碧の月の民が現れる……」 まさか、今、この瞬間がその時なのか?
皇子が先帝の言葉を脳裏で思い出した時、地の底から響く野太い声が、皇子たちを呼び止める。
「何処を見ておる? 我らはそなたらの頭の上ぞ!」
皇子や側近たちが視線を上げると、大極殿の屋根の最上部――そこに、四つの巨大な人影が立っていた。
月光を背に、頭部には天を突く角が生えている。鬼――そのように見えたが、それ以上の存在感だった。
彼らの姿は、ヤマトの古文献に記された「高天原」の民を思わせた。
皇子の心臓が早鐘を打つ。恐怖か、運命か――彼はこの脅威を前に動けなかった。
四体の巨人は、自らを「森羅万象を司る鬼の王」と名乗った。
碧の月から蒼の月へ(理由あって)降り立った彼らは、皇子の放つ"神気の残滓"を即座に感じ取り、直接交渉を求めてきた。
「我らは汝を認めよう、人の子よ。」
炎を纏う鬼が、低く唸った。赤い瞳が皇子を射抜く。地面に触れたその手から、焦げた匂いが漂った。
「だが、蒼の月の玩具――その鉄の筒など、我らには無意味だ。」
水を操る鬼が嘲迷惑そうに笑い、指先から滴る水が石畳を溶かした。
「逃げるなら今の内だ。だが、逃げ切れぬぞ?」
土を踏みしめる鬼が、地面を震わせながら哄笑した。
「ふん、酒呑童子と称した三下と、我らは違うぞ。人の子が我らに勝てると思うか?」
風を纏う鬼が、髪をなびかせながら不敵に微笑んだ。
側近たちは震え上がり、陸軍の将校すら言葉を失う。だが、皇子は動かなかった。
先帝の言葉が、胸の内で燃えるように響いていた。
「汝は身の門にはなれぬ。」
もし交渉に応じれば、ヤマトの誇りが穢れる。だが、彼らの力を前に、勝算は皆無に思えた。皇子の拳が震えた――これは恐怖か、怒りか。
「我らと争ってみるか?」
炎の鬼が一歩踏み出し、地面が焦げた。そして続けてこう述べる。
「勝てば、汝の言うことを聞いてやろう。」
その挑発に、陸軍の将校が内心の恐怖を圧し殺すように思わず叫ぶ。
「我々が勝てば従うと? ならば勝負だ!」
皇子は、その瞬間、血が沸騰するような衝動に駆られていた。
「我が国は、ヤマトは、貴様らには屈せぬ!」
言葉は出た後で後悔に変わった。もう少し冷静だったなら、交渉の道を探ったかもしれない。
だが、ヤマトを背負う者として、ここで引くことは、彼にはできなかったのだ。
その言葉を聞き、四鬼王は不敵な笑みを浮かべた。
「ふふ、ならば楽しませてもらおう。」
次の瞬間、炎の鬼は焔の柱となって打ち上がり、水の鬼は霧と化し、土の鬼は地に沈み、風の鬼は嵐のような突風となって消えていた。
宮殿は静寂に包まれたが、遠くで響く銃声と悲鳴が、これより始まるであろう戦いを告げていた。
側近たちは膝をつき、将校たちは勅令を求めたが、皇子は答えた。
「即位を終えるまでは、今は何も決めぬ。」
だが、心の奥では、先帝の予言が現実となった恐怖と、母国を守る決意が、せめぎ合っていた。
四鬼王の出現から数週間、ヤマト国は未曾有の危機に瀕していた。
最新の銃火器を誇った陸軍は、鬼の王の力を前に、為す術もなく各地で敗れ続けた。
炎の鬼は、兵士たちの断末魔すら掻き消すほどに、骨すら残さず焼き尽くす。更に、炎の渦が次々と陣地を呑み込んだ。
水の鬼は海を荒れ狂わせ、水兵たちの阿鼻叫喚の叫びと共に、艦艇を次々と座礁沈没させた。
土の鬼は大地を裂き、山を崩し、師団ごと地中に埋めた。気付いた時には、彼らは大地の一部となっていた。
風の鬼は嵐より激しい突風で銃も兵も何もかも空高く吹き飛ばした。あまりにも突然の出来事に、誰も声を挙げる暇が無かった。
結果、戦死者と行方不明者は既に十万を超え、ヤマト国の国家予算は想定外の戦費によって底をつきかけていた。
そのため、建造中の戦艦は建造工事が止まり、国外領の統治もままならなくなっていた。
そののち、四鬼王はヤマト国の抵抗を嘲笑うかのように、駐屯地や鎮守府を襲撃し始めていた。
その結果、彼らの力の前に、ヤマト国はその軍事力が完膚なきまでに叩き潰される事となった……
そんな最中、皇子は、即位を終えた宮殿で、側近たちの報告を聞きながら、ただ一つ、先帝の言葉を反芻していた。
「碧の月の民が現れるのは時間の問題と心得よ。」
その予言は、現実となっていた。
だが、皇子――いや、新帝に、今や"身の門"となる術はなかった。
ヤマト国の運命は、彼の手に委ねられていた……
ー その2につづく ー