-1-60 道場、町編
週に一度、父さんとカイは町の方にある道場に赴く。そこは神社の道場とは違い、参加者――修練生が何人も居る。特別講師というやつで、これは神社の貴重な収入源となり得る事。それに混ざる形で、私は寺院での修学終わりに町の道場に行って、稽古に参加する時もある。
……筈なんだけど。
その町の道場に着いた途端に、今日も今日とて父さんとカイは不毛な言い合いをしている様子で。弟子の居る前で。
「そう言えばなお前、こっちの可愛子とは宜しくやってるか」
……沈黙。
「なんの事ですか」
「隠さんでいいさ。まあ耳貸せ」
そうして、カイの耳元に口を寄せ、
「……××の……××だろ」
「っう! な!」
周囲には聞こえない程度の父さんの声。だけどカイにだけはしっかりと届いていたらしい。かなり激しく動揺している。
「解ってるぜ……可愛い弟子の大事だからな。因みに所在もばっちりだぞ。××、結構近いな。学校が厳しいが黙って奉公もやってる。××亭だな」
「あ、ああ、なっ」
激しくうろたえるカイ。対して父さんは、慈しむような余裕の笑みをする。
「結構評判いいんだぞあの店。わざわざ俺が黙らせてやってんだ。話が学校に届くと面倒だろ?」
「な、なんで、そんな事」
「何? 店の事か? 決まってんだろ……俺はあそこの常連だぜ」
ぐっと親指を立てて、爽やかな笑顔をカイに向ける父さん。ああこれは絶対何か良からぬ事を企んでいるな。
「し、ししし師匠! 一体何が目的なんですか! 何が望みですか!」
「てめ、野暮な事訊くんじゃねえよ。弟子を思って要らん火の粉を払ってんだ。感謝してもいいぞ感謝しろ。形として現すなら今日一日ここ任されてくれや」
それだけ言って、父さんはカイの肩をぽんと叩き、道場を去り行く。
残されたのは、呆然と立ち竦むカイ、只一人。
「父さん……苛めて楽しいか?」
出て行こうとする父さんの背中に、私は問い掛ける。
動きが止まり、その顔が私に向いた。
「楽しいかどうか、お前にゃそう見えるか。それならそれでいいさ……だがな、俺の世界は俺中心には回ってねえんだよ……」
変に気取っている、だけど言う事は意味が解らない。
「訳の解らない事を言って誤魔化さないでくれ」
「本音は楽しいぞ」
結局は認めた。
「だが誤魔化しじゃねえ。理解出来ねえってのはまだまだ青いって証拠だ。お前にもいずれ解るさ。それまであいつでも見て勉強してろ。じゃあな」
行ってしまった。最近仕事を怠け過ぎだ。
「自由人過ぎるよな……」
そして言われた通りカイを見ると、何やら頭を抱えてぶんぶんと振り回している。脇目も振らず。
……あれが勉強になる、か?
ああ、こういう時は、関わってやらない方がいいんだろうな。対処の仕方はあまり知らないのだけど、それはなんとなく解った。
私が出来る事は、カイが思い詰め過ぎて父さんを闇討ちしない事を祈るくらいだ。――ああそれと、馬鹿な父さんの代わりに仕事を引き継いでくれるように頼まなければ。
「あの……馬鹿師匠ぉーっ!!」
カイが咆えた。その他修練生達も驚いた様子でカイの方を見やる。
もう少し落ち着いてからの方がいいだろうか。今この場は私が引き受けておこう。
「はいみんな、少し離れておこう。邪魔になると良くない」
色々な意味で。
「でも……いいのか? あれほっとくとやばいんじゃ……」
「そっとしておくのが優しさだろうし。それともあれをどうにか出来るか?」
……。
「「無理だな」」
全会一致。理解ある決断をありがとう。
「どうせこんなものは日常だろう、気にするだけ修練時間の無駄だよ」
きつい言い方だけど、事実だから詮無い事。
カイは稽古が始まっても、しばらく意気消沈したままだった。
・
「やっほう、遊びに来たでー」
父さんの居なくなった、稽古中の道場にて。能天気な西方言の声が響いた。
「お姉」
レイハお姉が、道場の入口から顔を覗かせている。遊びに来たって、一体普段何をしてるんだろうなこの人。
「なんやら変な叫び声が聞こえたからなあ。どーせどっかの阿呆がなんかやらかしたんやろってな」
その推察自体は正解だけど。因みにその結果である答えは、今も道場の隅でいじけている。精神面でこうも脆いのは、刀士としていかがなものか。
だけど、お姉もお姉だ。私達は真剣に稽古に勤しんでいるというのに。遊びでやってるんじゃないんだけどな。
「せやからメイスケおらんのか。弟子を教えなあかんっちゅうのに、阿呆なやっちゃなあ」
そう。その阿呆な事をした結果が今のカイの姿だ。カイもそろそろ復活して欲しいんだけど。
「よっしゃ。ほんならうちが臨時講師でもしたろやないの」
よっしゃと言った時点で面白がっている事が見え見えなんだよなあお姉は。
「何をしでかすつもりなんだお姉」
「師範がおらん間に、うちが特別稽古付けたろ思てな」
腕を組み笑みを浮かべながら、お姉が言うけど。
「お姉、剣なんて扱えたっけ?」
「いいや全然?」
じゃあどうするつもりなんだよ。ここは剣を教えている所だぞ。
「せやからな、うちは剣が使えへん時を考えて教えたろ思てな」
「剣士が剣を使えない時って、あんまり考えたくない状況だけど」
「やけど憶えて損はない筈や。武術の基本は体術やさかい」
「体術……」
そんなものお姉が出来たのか。酔拳とかかな。
「ユエン、今酔拳とか思っとったやろ」
じとっとした目でお姉が言う。変な時だけ察しが良過ぎだ。
「いやいや別にそんな。何を教えてくれるのかなって楽しみで」
「ふーん、まあええやろ。うちかてたまには真面目にやるって教えたるわ」
……という訳で、私を含め修練生は、お姉の前で全員正座させられていた。
「さて諸君。あんたらは剣の道を進んで、どこを目指しとるんやろな?」
「どこを目指す……?」
「せや。なんの為に剣をぶんぶん振っとるんやってな」
と言っても、みんな強くなりたいと思って来ている訳なんだから。
「はい、それは勿論強くなる為です」
修練生の一人が手を挙げて言う。そりゃあそう答えるのが普通だ。でなきゃここに来る事なんてないだろうに。
「ああ、そら結構なこっちゃ。勿論それは剣でやろな?」
「あ、はい」
「いずれ達人になりたいとか、そういうこっちゃな」
「そうです」
「やけどな。剣がない時に強くなりたいっても、そらどうなんやって思ったりせんか?」
「は、剣がない?」
「便所でも風呂でも、剣がない時ってのは結構あるやろ。そんな時に襲われでもしたら、そら無理やってならんか?」
「は、はあ確かに」
「そういう時に有効やねんな体術ってのは。なんせ己の身が武器みたいなもんや。得物がない時でも戦える。な? ええこっちゃ思わへんか?」
むう、思った以上に正論っぽい。こんな真面目に語るお姉はなかなか見た事がないぞ。
「せやからうちは体術を極めとる。そら己の身が一番や思とるからや。
っつー訳で、あんたらみんなうちんとここーへんか?」
何やら勧誘みたいな事を言い出したぞお姉。
「って待て。私達の稼ぎをかっさらう気か」
「冗談や冗談。うちかて分別はわきまえとるさかい」
その冗談を冗談と考えきれないところが、お姉の怖い所なんだけどなあ。
「剣がない時でも戦えるっちゅうのは理想的や。一時しのぎって考えとってもええ。でもな、それは諸刃でもあるんや。
達人っちゅうもんはな、一つの技術しか極められんのや。人の容量――仮にそいつを百とした場合な、極めたもんはその百を殆ど使える。けど二つを極めようとしても、その力は容量二つに分断されてまう。技術が互いを打ち消しおうてまうからや」
むう、お姉にしては結構真面目な語りだ。一理ある――と思えばそうかも知れない。
「勿論、容量が大きかったら分割されても充分力引き出せる。けどそれでも問題あるで」
お姉は自分の左手を上げ、人差し指でちょんちょんと自分の頭を差す。
「情報。こいつはどないしようもない。高度な技術を留めるっちゅう事は、それだけ大きい情報を取り込まなあかんっちゅうこっちゃ。実際使う場合には切り替える必要がある。それは例え一瞬でも無駄な時間や」
そしてその一瞬が命取り。そんな場面も極まれにあるだろう。
だけどその極まれにが当たってしまった場合、
それは敗北。或いは死亡の時。
「下手に極めようとしたら逆効果や。けどそれなりに留めといたら、力自体は弱うても戦力にはなる。覚えときや」
……なんだお姉、真面目にやれば出来るんじゃないか。
だけど。まさかお姉がそんなものに精通しているなんて。
「まあ、これ以上教えて欲しかったら講習料取るけどなー」
……やっぱりそう来るか。酒でも用意していれば納得するんだろうかな。