-1-43 対抗手段
俯いたまま動かないシズホ。その間に、エンの方は詠唱を終えて――。
「今」
――隣に居たから解った。シズホは、何もしないのでなく、
エンの足元を見ていた。いや正しくは、エンの足元にある“小石”を見ていた。
シズホの魔法。それは自分が見た物に、術の発現権を与えるという――。
ばしん! と石が弾けて、そこから青白い稲妻がエンに飛んだ。
「なっ!」
気付くけど、遅い。そう、法術の最大の隙は、術の詠唱の終わる直前。その発現の成功を確信した時だ。流石のエンも、それに例外はなく。
「くうっ!」
稲妻が当たり、呻くエン。初めて、エンが怯みを見せた。
――その隙。今度こそ見逃さない。
エンに駆けていく。その間に、
「振動、実行」
詠唱。そして左手に振動を込めた。あとは触れれば。エンがイスクを倒した時のように、全身に振動が伝って倒れる筈。
左手を突き出して、その手を、エンに伸ばすように。
「解りやすいわっ」
そのエンが、怯んだ筈なのに右手を突き出す。
なんで。まさか振動?
ぶつけ合うつもりか。私の法術と、自分の法術を。相打ち覚悟で。
……これは勝負だ。私の、詠唱込みの振動か、不完全に出さざるを得なかったエンの振動か。
どちらが勝つのか。次の瞬間に解る筈。
そうして、がしっと私の左手と、エンの右手が握り合う。だけど、様子がおかしい。
振動と振動、ぶつかり合えば、確かに相殺はされるだろうけど、手を通じて少しは向こうからの振動の余波を感じる筈だ。
それがない。少なくとも私には。という事は、エンの術式は振動のものでなく――。
「解呪!?」
振動で相殺して来ると思っていた。だけど、これは解呪の術だ。触れた部分の術力を世に溶かし、無効化させてしまうものだ。
私の振動が、全く効いていない。
するとどうなる? エンの最善手は。術を打ち消すだけの解呪で相手を倒す事なんて出来ないけど、エンにはもう片方の手がある――。
「さあ、吹っ飛ぼうかい?」
にやりと笑う、エンの開いていた左手のひらには、符が貼られていた。
――まさかそれは。符術の類、しかも詠唱の要らないもの――。
覚えがある。詠唱の式自体は符に書かれていて、あとは実行のみで発現出来る、エンの得意技――。
「符フレイアっ」
まずい。その術は、一撃必殺の威力を持つ西方式の魔術だ。単純な術力の放射による攻撃だ。
直撃は駄目だ。だけどこちらにも、もう一つ手がある。というかその手しかない。
「解呪!」
開いていた右手を、そのフレイアという魔術を発射する左手に合わせる。エンと逆の手順だけど、今無理をしてでも止めないと、やられてしまう。
術力の無効化。それを以てフレイアを止める。
どごう! という轟音。フレイアの発現だ。
振動とは比較にならない。だけど抑え込む――いや抑え切れない。
だけど一瞬の時間は止めた。あとはフレイアから身を逸らせれば――。
――無理。最初の振動の時に握られた私の左手が、離されない。エンがその左手を握って、私の動きを止めている。
これは――負けか。防御を破られれば、一撃で倒されてしまうのは確実――。
「うらあ!」
思いもしなかった声。それは、最初に脱落した筈の、イスクの声だった。
「復活じゃー!」
そのイスクの放った石の源素の術が、エンの手にぶつかり、弾いた。
「なっ!」
結果、エンの放ったフレイアは私から逸れて、あさっての方向に。
ようやく負荷が止まる。それを以て、エンは私の振動を持つ手を離し、同時に後ろに飛び退いた。
「やるやる。流石三人組だなあ。おねーさん感心だわ」
攻め手は止まった。エンの方も戦意を止めている。
ここまでだな。エンのしごきは。
「これだったらわざわざ教える事もないかもね。見込みありって事で」
なんとまあ、試験前だというのにいきなり試験官から合格予測が出たぞ。
「いいのか。たった一回の手合わせでそんな事言って」
「単純な力量を見た結果だよ。勿論十割確実に通るとは言えないけどね」
「あとは気の持ちようって事ですか」
イスクがそう、エンに問う。
「それはどんな事だってそうだよ。何をするにも力量と気概は強くなきゃなんだから。だからまあ、今以上の気概で物事に臨めば、試験にだって通るとは思うけど」
エンの言いたい事。それは心を強く持て、という事か。今だって三人揃えばエンにも届く事はよく解った。
「解りました! 俺もシエンさんを見習って、強い心を持つようにします!」
イスクが早速自分の売り込みを始めた。何やらエンに変な期待を持ってるっぽい事を言っていたし。まさかこれもその一環なのか。
「うん、いい子だいい子。いっそ私の弟になる?」
は? 何それ、弟枠は私一人で充分――。
「喜んで」
イスク即答。
完全に冗談なのに、完全に本気で返しやがった。
「お呼び下さればいつでもお宅に伺いますので。ユエン、これからお前も義兄さんと呼ぶな」
「絶っ対に嫌だ」
「えーいいじゃねえかお姉さんの許可は貰ったんだからさあ」
「貰ってもだ、そんな動機で家に来たら父さんに叩きのめされるぞ」
「大丈夫だ。二人の愛の間には障害なんてない」
うわ、こいつは馬鹿だ。
「……気が変わった。父さんの前に私が叩きのめす」
「うわあ、お前ってやっぱシスコンの気があるかもって思ってたけど」
なんの事やら。しすこんとは、向こうの言葉か?
「本当だったなんてな」
絶対にろくな事を言っていないというのは解った。これはちょっと目覚まし的なお仕置きが必要なようだ。
「この痴れ者がああっ!!」
その時、傍から見ていたトオナの怒りが、遂に頂点に達した。そうしてイスクの背中に思い切り蹴りを叩き込んだ。
「がふうっ!」
まともに直撃を喰らい、地面に顔面から突っ伏す。
「人の姉を捕まえて、なぁにが愛だのしすこんだの! 勝手な事ばかり言いおって!」
だけどこれって明らかにやり過ぎでは。全然動かないぞイスクの奴。
「シエンもシエンぞ! この恥も程も知らぬ曲者にうかつな事を言いおってからに!」
「うわ無茶苦茶に言うなあ」
トオナの勢いに、エンも若干引いているし。
「傍で見ておれば嫌でも目に付くわ。エンの友人と甘く見ておれば、限度も知らず付け上がる真性の曲者よ」
あのトオナにここまでぼろくそに言われるとは、かなりのものだ。というか、トオナにも初対面で同じような事をして、それ以来険悪なままなのだけど。
「……取り敢えず、こいつを運ぶ」
そうシズホが言って、砂の上で突っ伏しているイスクの足を持ち上げて、ずるずる引っ張っていく。
「ってやめてやめて! 怪我がもっと酷くなるからうぎゃああああ!」
ずるずるがりがりと、イスクが砂の上の、しかもうつ伏せ状態で運ばれていくものだから。その顔面が可哀想な事に。
「やめ、止めて止めて! 悪かった反省してますからあ!」
そこまで言わせて、ようやくシズホが足を放す。
「ったくここまでするか? もう少し気付くの遅かったら洒落にならないぞ」
イスクが立ち上がって抗議の声を上げた。
「……自業自得」
「ねーよ。悪い事した覚えねーよ!」
「はいはいそこまで。神様の敷地内で喧嘩は駄目だよー」
ぱんぱんと手を叩いて、エンが止めに入る。
確かにここは神聖な場所。悪い事なんてしてはいけないのは解る。
……思い切り戦っていたけどな。まあそれはいいのか。あくまで模擬なんだから。
「とにかくまあ、みんなの実力は解ったわ。このおねーさんが太鼓判を押してあげる」
珍しい事もあるものだ。エンは滅多に人を褒めないのに。
「無事法術師になれたら、作業傭兵にも誘いたいくらいだけどねー。みんなそれぞれ夢があるっぽいかな?」
まあ、イスクが元の鞘に収まるとは思えないし。
「はい是非ともお供させて貰います!」
……前言撤回。やっぱりこいつは馬鹿だ。
「……頑張ります」
シズホの方も、魔法という能力がある。それがある限り、寺院の方がシズホを手放すまい。
――私は。
「まあ、明日の事だって解らないからなあ」
本心はどうしたいのか。未だにいろんな考えが頭を回っている。勿論、いずれ神社の跡継ぎになる事は考えているけど。
「そうだね。もう結構な時間みたいだし」
エンの言葉でふと気付く。いつの間にかもう空が、少し赤くなり始めた頃だった。
「さて、そろそろかね」
二人には帰る家がある。それは町の方に。ここからだと、歩いて一刻という所。流石に暗くなってから帰らせる訳にはいかない。
「よし、最後にもう一丁揉んであげようか!」
「「時間は!?」」
私とイスク、二人揃っての極大突っ込み。
「大丈夫だって。まあ十分くらいで終わると思うからさ」
本気だ。エンはやると言ったら絶対に曲げないからな。
――そうして大体十分後。
私達三人はずたぼろにされて、エンだけが凶悪に笑みながら立っている、そんなお約束の図がここにあった――と後にトオナが語ってくれた。何も本気で来ずとも。この負けず嫌いめ。