1 1-5 奇怪少女
サキの小難しい講義、加えて奢りから開放され、疲れの溜まったまま家路に着いた。疲れは主に精神的にだ。
ぐったりしながらの帰路はつらい。一刻も早く住処に帰りたいと思っているが、歩くのも億劫である。惰性で歩き、寝床に着いたらさっさと寝てしまおう。日はまだ高くにあるが、今がいつだろうと私の欲はしっかり働いている。
寝たい。
それが今の私の、人たる故の欲だ。
だがその住処がまた、辺ぴな所にあるからな。とある森の、少し奥に入った所に私の寝床である小屋がある。
時間を掛け過ぎて、森が真っ暗になっていなければいいのだが。いや、このまま行くと、まず間違いなく日は沈み掛ける頃となる。その時に森に入るとは、幾ら住処があるとはいえ怖い。視界が真っ暗闇になるのは当然として、妙なものとかも現れる可能性もあったりする故に。
「はあ……」
その深い息は疲れからのものか、単なる溜息か。
と、その時。道の向こうから人が走って来るのが見えた。
足が速い。全身真赤の服を着た、短髪で赤髪の女だ。
何を急ぐ必要があるのだろうか。人生は長い。もっとゆとりを持って動いてもばちは当たるまいに。
と、
ぐい。
すれ違いざま、急に腕が引っ張られ。
「いたたたたたた!」
引きずられる。
私の腕を引っ張っているのは、今し方走って来た女。
それが、離れる事なく私の後ろにくっ付いて――というか私が女の後ろにくっ付けられている。
「何をするっ」
なんとか足並みを揃え、抗議をする。
「いいから来てっ!」
良くないまったく。人の都合に強引に巻き込まれて堪るか。
と抵抗しようとするが、女の力が物凄く強い。引っ張られる手が全然離せない。ええと、私は一応男であって、そいつは恐らく女であって。
それでどうして思い切り負けている訳だ? 私の腕力は一応人の中では中の並くらいなんだぞ多分。比べた訳ではないが。
――そうして、見も知らない女に、知らない場所まで連れ去られた。
草陰に身を潜め、少女は息を整える。
周囲から隠れた木々の間で。やっと私の手を離した女は、息も絶え絶えに吐き出し、吸っている。へとへとになった女を、私は只突っ立ってぼうっと見ている他なかった。
「っていうかあんたも隠れてよっ」
頭を押さえ込まれる。
だが第一、私が隠れる理由がどこにある。私は単にこいつに拉致された善良な一般人なのだし。このまま無関係を装ってもいいし、いっそこいつを、隠れないといけない何者かの前に突き出してもいい。
……だが私も、そんな鬼のような心持ちの男ではない。息絶え絶えで、汗びっしょりの女を前にだ。これを今から脅威の前に引き出そうなどする気には、ちょっとなれないな。
「さて。納得のいく説明をして貰おうか。つまらない理由なら引きずり回すぞ」
せめて理由は訊いてもいいか。
察するに、私よりもずっと長く走り回っていただろう事を考えると、これでもとても優しい対処でなかろうか。だからと言って犯罪を正当化させる理由などないが。
「……あんた、いきなり凄い事言うね」
「やられたらやり返す信条だ。この際男女は関係なくな」
寧ろこちらが辱めを受けそうな被害者だ。訴える所に訴えれば私が勝つ自信がある。
「で、私を拉致した理由はなんなんだ」
……、と。息の収まって来た少女は、なぜか口元に手をやり、沈黙した。
「……まあ、まず訂正するけど、拉致じゃないよ。断りは入れたから」
「承諾はなかったな」
「緊急だったの」
「理由は」
「あんた法術師なんでしょ? 助けて欲しいなって」
……驚いた。こんないきなりな展開にしてもそうだが、まず私の正体が解っている事に驚きが来る。
「二つ訊こう。なぜ、どうして」
「は? ……ごめん。言ってる意味解んない」
ううむ、端折り過ぎたか。先生辺りなら通じる問答なんだがな。
「ならば一つ目から。なぜ、私が法術師だと解った」
「ああ、そういう事」
少女は納得。うんと一つ頷く。
「友達に居るんだよ。法術師。だからなんとなくね、解った」
法術――一般的には胡散臭い不可思議な力、程度の認識だろうが。その実しっかりと理屈がある、学術であるとも言える。世界を形作る、法を知る術。学問なのだから。そう、法術とはこの広い世界のほんの端っこを切り取り、自分の望む形に書き換えるようなものだと。
知識を得るだけなら難しくはないので、実際に法術が使える奴が身近に居たのなら、なんとなくでも気配は解る、程度にはなる。要は、覚えるというか、慣れるというか。とにかく感じとして解るようにはなる。うむ理解。
「なら二つ目。どうして助けて欲しいのか」
「あいつらも法術師だから」
「友達に助けて貰え。以上」
立ち去る。
「待って待って、今助けて欲しいんだよ。その子向こうの町の方に居るんだからさ」
「役人に頼め。以上」
立ち去る。
「待ってって。それも――駄目だよ。ほら、色々さ、変に心配掛けちゃうしさ」
「お前が怪我でもしたら余計に心配を掛けるだろう。付き添ってやるから役所に行こう」
わざわざ面倒に突っ込むなんてご免だ。役所にも出来れば行きたくない。人というもの、慎ましやかに生きるのが一番なのだから。野次馬根性で犠牲者などになりたくはないし、そんな目に遭うのは誰とも知らないこいつだけで充分だ。
「……なんか保護者気取り」
「お前に必要なのは、寧ろそういったものだ。多分な」
頼むから、私が離れるまでの間には妙な事は起こさないで欲しい。
……だが、関わって来たものが酷い目に遭ったりするなんて事、それこそ気持ちのいい事ではないのは確か。
想像して、はあ……と一つ溜息が出て来る。気は進まないが、
「で? なぜにお前は追われているんだ」
それでも結局は助ける訳だ。我ながら素晴らしいお人好しぶりだな。
「えーっと……それは」
何やらもごもごと口籠る女。
「……お金稼ぎ?」
「はあ?」
意味が解らない。どうしてそれで追われると?
「賞金稼ぎ?」
「あ、凄いねどうして解ったの?」
いやまるっきり適当なんだが。
しかし、なぜにそれが逃げているか。
「察するに、返り討ちに遭って追われているか」
「っ、煩いわねっ、ちょっと油断しただけなのよっ」
図星らしい。
しかし。それならばなぜに私を拉致してくれたのか。お陰で巻き込まれる事になったではないか。
「なら、次には油断をしなければいい。私が居る理由はないな」
「それは……」
言葉に詰まる女。その目線がふらふらと泳いでいた。
「あ、ほら、あんたあいつらが来る方向に向かってたじゃない。絡まれたら大変だなーと思って」
どの口がそんな事を言いやがるか。こいつに捕まって行動を共にしているお陰で、仲間だと思われたら元も子もない。巻き込まれるのがオチだ。
「なら今の内に逃げてもいい訳だ。私は賞金より命がいい」
「駄目よっ。こんなか弱い女の子を放っていくつもりなの?」
「か弱い女はいきなり人を拉致はしない」
「いや人助けと思――来たっ」
ぐっと頭を押さえ込まれる。茂みにほぼ完全に隠れる形になって、草の隙間からしか野道を窺う事が出来なくなった。
来た、とか言われても。私にはそんな気配はまるで感じなかった。そちらの方を見ていなかったからか。危機意識が足りていないのかもなあ私は。