-1-33 先生と、イクヤ シズホ
そうして、なんとか目論見通りにリーレイア先生の弟子となる事が出来た――んだけど。
なんだかなあ……目的は叶った訳だけど、微妙に嬉しくない。もしかしたら――ふと思ったんだけど、先生は根負けしてくれたんじゃなくて、真相を知る(知らないけど)私を目の届く所に置いておきたかったのでは。
何かあれば――いつでも口封じとか出来るように、とか。
……まさかな。いや私の目的一つ目は叶ったんだ。今はこれ以上考えないようにしよう。
――そうして、先生を先頭にして寺院の中に。その中の、工房棟という所に私達は居る。ここは法術師達の、まさに工房と呼ばれる己の陣地の集まっている建物なのだという。他には実習棟、書物棟、宝物棟、実演棟等々。何をするかによって色々な区分が成されており、その分大きな建物がある。
そして、それらの建物にまで入れるのは、師に選ばれ法術を学ぶ事を認められた者だけだ。寺院の周囲は高い壁で塞がれていて、外から寺院の中を伺い知る事は非常に難しい。入口には門番が居て、何か特別な事情がない限り中に入れさせてもくれない。
早い話、あの場で師を得られなければもう駄目。寺院の他の施設に立ち入る事も出来ない。
そういう意味では、素直に嬉しい。私はまだ法術師としての資格はないにしろ、その第一歩として認められたという事なんだから。
だけど。見知らぬというか、見慣れない場所というものは新鮮味があるというか。きょろきょろと周りを見てしまうのは、思い切り好奇心が表れているという事だろうけど。
「ここいらは機密事項の集まりだ。変に他の工房を覗くなよ。攻撃されるぞ」
先生から物騒な注意を受けた。
確かにまあ、工房というのはある意味秘密基地に近い。自分達だけの領域。そこを覗かれるというのはいい気はしないだろうな。
でも……だからといって攻撃か。どれだけの秘密主義なんだろうね。
「ときに、お前は何が出来る」
歩きながら唐突に、先生からそんな質問が。
「何が、ですか?」
「術が使えるからここに来たんだろう。力を見ない事には、師としても何も教えてやれんぞ」
「……ですよね」
まったくの当たり前な話。とはいえ何を見せようか。エンから手解きを受けた術があるけど、それを見せるくらいなら。
念じてみる。
“何が”“どんな形で”“動く”これらの意味付けが法術を現す最も単純な基本系。これに“実行”の術式を加えて、初めて法術は形になる。序でに、もっと意味付けを付加させれば、法術は更に力を持ち、複雑な事が出来るものとなる。その分時間と術力を要する事になるけど。
ともかく、頭の中でそれらの術式を組み合わせて、法術を形にする。
数秒程度で基礎は出来た。そして最後に、“実行”を――。
「馬鹿者」
頭をはたかれた。術を現す直前に、強制的に中断される。
「こんな所で軽々しく術を見せびらかすな。なんの為の工房だ」
いやそれはそうだけど。見せろと言ったのは先生……。
「わざわざここに来たくらいなら、式の組み立て程度は出来るんだろう? 成程、創造力が強めか」
「解るんですか」
エンに見て貰った時もそうだったけど、私の長所を一瞬で見抜くとは、流石はエンの先生か。
「仮にも教えを与える立場だからな。見る所を見ればおおよその技量は見える」
最初は教える気なんてないって言っていたのに。
だけどもまあ、余計な口走りはやめておこう。折角先生の興味を引けたんだから。
「創造力は長けているようだが、代わりに足りないものがあるな。どうやらその辺りを仕込む必要がありそうだ」
おお、先生らしい物言い。それに私に足りないものまでもすぐさま見破るとは。
「しかしお前――ユエンか。まさか脅しに来るとはな、その蛮勇を買って欲しかったか」
「いえ、私もこんな危ない橋だとは思わなかったです。でも勝算があるなら蛮勇でも使います」
いい度胸だ。我が事ながら。
「いい度胸だ。やはりシエンの弟か」
先生も同じ感想を口にした。
そうして、寺院の奥にあるという、リーレイア先生の工房にまで。
「言い忘れたが、私の工房には先客が居る」
言いながら、先生はその工房の戸を開いて、中へと入る。
……先客? 弟子が居る、っていう事なんだろうか。
「先生は、弟子を取らないんじゃなかったんですか?」
私やエンという、例外はさておいて。
「時と場合で事情は変わる。お前が来る前に上から一人を押し付けられてな」
お金の為? とは思ったけど口には出さないでおく。失言などして怒りを買ってしまうのは最悪だからな。
先生の後ろから、私も工房の中に入る。
するとその先客は、私の存在など介する事なく、私の前を通り過ぎていった。私と背が同じくらいの、短い銀髪の少女。喪服のような黒い服を着て、丸くて大きな眼鏡が特徴的に見えた。
「彼女はお前の先輩にあたるな。と言っても三月程度のものだが。質疑があるなら彼女にしろ。基礎程度ならそれで充分だ」
それは、自分で教えるまでもないとでも言うような。……いや実際、法術なんてまだそんなにまともには使えない程度なんだけど。
――人には得手不得手な属性というものがある。自分に完全に合っている属性なら、先程現そうとした最低限、四つの意味付けだけで法術を扱える。逆に合っていない属性となると、同じ手順を踏んだとしてもその法術は使えない。更に多くの意味付けをしなければ、異なる属性は形にはなり得ないという。
――まあその辺りの事はともかくとして。
先程私の前を通っていった先客、椅子が空いているというのに床にぺたんと座り込んで、何やら本を読んでいた。けど、
「え……?」
眼鏡を外して、本を見つめる女の子。その眼が、何やら青白く、うっすらと光っているような。
「シズホ、眼を使うなと言っているだろう。上に睨まれては私も庇い切れんぞ」
先生もそれに気付いたようで、女の子に注意をする。すると女の子は、何事もなかったかのように眼鏡を掛け直した。
眼を使うな? 眼に何かを仕込んでいる、という事か? 先程眼が光って見えたのは見間違えじゃないという事か。
「使ってないです。見えただけ。そこまであいつらに強制されない」
淡々とした言葉で、女の子は反論する。感情が薄めの、小さな声だった。
「それも含めての封じなんだがね……まあいいさ、ばれない程度にしなさい」
禁止事項黙認行為ここにあり。
「歳も近いようだからな。お前も仲良くしてやれ。以上だ」
そうして先生は、机の方に向かい、途中にあった本棚から本を一つ抜き取って、そして椅子に座って本を机の上に開く。
それきり先生は本を読む事に没頭して、何も話さなかった。
……で、これからどうしろと。
先生はもう自分だけの世界に居る。ならば話が通じるのは、先程先生がシズホと言っていた、あの女の子しか居ない。
「ああ、あの、シズホさん?」
話し掛ける。女の子は、眼鏡を掛け直して、床に座った姿勢からこちらを見上げるようにして私を見た。だからか、先程みたいに眼が青白く光っているようには見えずにいた。
「何」
たったの一言のみが返って来た。
「いや、今日から私もここで学ぶ訳だから、挨拶はしておこうとな」
「そう」
「うん」
……。
「それだけ?」
「あー、いやまあその、それだけと訊かれればそれだけなんだけど」
「そう」
そうして、シズホさんはまたも本に向かって没頭する。
なんでだろう。なぜやら会話が続かない。
「ああ、名前。私はアサカエ ユエンって言う」
「そう」
「貴方の、名前は?」
……。
「シズホ。今先生が言ってた」
「それは聞いていたけど。姓の方は?」
……、どうして、一々間を置いて来るんだろうかね。まあいいけど。
「……イクヤ」
……つまり、この子の名前はイクヤ シズホだと。
「イクヤ シズホで、いいのかな」
……。
こくり。
「そうか。宜しくイクヤさん。私の事はユエンと呼んでくれれば」
……。
「……シズホでいい」
女の子はそう言った。いいって、名前が? 呼び方か。
「じゃあ――これから宜しくシズホ」
「……宜しくユエン」
――こうして、私に新たな友達(先輩)が出来た。
あとになって聞いた話だけど、リーレイア先生に選ばれるという事は、途轍もない逸材か、途轍もない変人か、もしくはその両方、であるらしい。
今にして思えば、なんだそのどちらも先生の事じゃないかと思ってしまう訳で。つまりは先生に選ばれた私も同じ目で見られるという事だ。
そうして改めて観察してみると、周囲の視線が如何にも奇異なものを見るような目で私を見ているという事に、今更ながらに気付く。
共に居る一つ上の姉弟子であるシズホは、そんな視線など最初から別世界の出来事であるように流しているけど。まあ未だに私もシズホの事はよく解らない。一見して無愛想だというのに、なぜか私やイスクと共に居る事が多い。同じ先生の弟子である私と居るのはいいとしても、イスクは私の友人という以外に接点はない筈なんだけど。そのイスクと出会って三日後に、無言で腹に踵蹴りを喰らわせたのは、同年代の院生の間では有名な話だ。
そのあとイスクは復讐計画を立てて実行に移したらしいけど、その更に三日後にはイスクの馬鹿行動にシズホが制裁の蹴りを加えるという、現在まで続く図面が既に確立されていた。
そこまで行動力のあるシズホに、私達以外に親しい友人が居るという話は聞かない。最大の理由が、無愛想だから、だろう。普通の奴には付き合いづらい気配を身に纏っているらしい。
イスクについても実力はともかく、普段の素行が悪いだけに、私達を除いてはもう一人。本人曰く悪友とされるリョクシ ケイタとつるんでいるだけだ。
かく言う私も、排他的という訳ではないんだけど、友人と呼べる存在は少ない。姉であるエンが学院において有名な存在であるだけに、話し掛けられるという事はままあるけど、それ以上になる事は殆どない。やはり先生の問題なのかも知れない。
まあ友人が多い所で、私にとっては重荷なだけだ。優先順位は人付き合いよりも学業の方がずっと高い。友人を作りたければ普通の学び舎にでも行っているし、愛想を振り撒くつもりもない。
三人くらいが丁度いい。たまに数人増える事もあるけど、それは珍しい事でいいだろう。全部成り行き、それが楽なんだ。
「まあ、君らにはそれが丁度でいいんだろうね」
話を聞いた先生が、本の文字を目で追いながらつまらなそうに言った。
「どういう意味ですか」
「人付き合いが下手くそだ」
ばっさりと言い切られた。でも先生も人の事を言えないんじゃ……。
「シズホを見てみろ。あいつに他人とのまともな関わりが出来ると思うか?」
……まあ。
「難しそうですね」
確かに口数は少ないし。無愛想といえばそう言えるかも。今までの付き合いで解ったのは、意外と行動派という事くらいだ。そう、納得のいかない顔見知りにいきなり蹴りを入れるくらいには。
「置いている距離も楽なものだ。あいつは必要以上には構って来ないからね。師という立場になってからは面倒を受けてばかりだが、シズホを引いたのは当たりだな」
……遠回しに私が外れだと言われているような気がする。それは確かに、シズホに比べれば才はないとは自覚している。
寺院内でも文句なく上位、本職の連中にすら匹敵すると言われる逸材だ。比べて私の取り柄と言えば術式の展開、発現が多少速いと言われる事くらい。先生に言わせると、実戦向きだが実践しにくいものだ、と皮肉を言われたりする。
……加えて。私はシズホに絶対に勝てない。術力の問題ではなく、特異性において。
――イクヤ シズホは、魔法使いだったんだ。