-1-32 回想幾らか
私がリーレイア先生の弟子になったのは、エンに勧められたからだ。
もしも寺院でやっていくって事なら、私の先生に教えて貰えばいいよ。と。
――但し、先生が認めてくれたらの話だけどね。
寺院の元にある学び舎は、基本的に放任主義だ。法術に関する情報は与えてくれる。或いは調べさせてくれる。法術に関する蔵書、研究器具、法術を扱える場、どれも申し分ない。しかし、院生に対してあまり制限を与えない代わりに積極的な干渉もしない。するとすれば、本当の法術師となる試験を行う時くらいだ。
代わりに、院生には指導を与えてくれる師を紹介される。師の方から迎えられるか、院生自らが師を選ぶか、その差はあれど院生には師を持つ権利が与えられている。
弟子を取る。これだけであれば、師となる法術師にはあまり得がないという。
なぜならば、寺院に所属する法術師は、そのことごとくが研究――己の術を磨く事を生業にしている。それを自身の存在意義としている彼らにとって、弟子の指導に割く時間など何事の価値もない、そう考える連中ばかりだ。それが多数を占める寺院内にて、昔には好き好んで弟子を取りたがる法術師はあまり居なかった。
だからそこに関しては、表向きには寺院の大元である皇国が干渉している。法術師にとっての提供者である皇国は、寺院に属する法術師が弟子を取る事で、法術師には幾らあっても足りる事はないだろう研究費を上乗せして提供する。
弟子を教える手間代わりに研究設備の充実を約束する、という事だ。単純な話だけど、如何な法術師であれ金によって動くものであって、この制度によって法術師の思考はほぼ逆転する。
研究には得てして金が掛かるものだ。術師(法に限らず)は大抵が自身の領域、言い換えれば縄張りである工房を所有している。それは術師にとっての絶対の領域であり、自身の住処とする以上に、研究情報、法具や材料、物資の保管、安全に術を扱える場。土地の性質によって術の効果が左右される場合もあるので、理想的な源素のある土地、霊脈の維持、或いは変格。工房だけで貴族の下手な屋敷より高価なものにもなる。
更に自身の研究成果を守る為、物理的、術的防衛の為に頭脳や労力、実行の為に金を費やす。法術師の研究を盗み出す盗掘者などにまで対抗するには、更に厳重さを増す必要があったりする。
法術の発現さえ、本格的なもの――詠唱以上の儀式を行おうと思えば、上質な材料や極力理想的な空間、その維持、それを只一度の為に消費する。更にそれも必ずしも成功する訳ではない。
情報の入手も只ではない。法術書もいい情報、信頼出来る情報が記されている程、高価になる。
古文書などであれば内容の解読をする必要があり、贅沢な話、解読書或いは翻訳本が欲しいとなれば、元の十倍以上の値段になる場合もある。
要するに、足りないものは足りない。幾らあっても。
彼ら程欲に塗れた者はなく。彼ら程欲に正直な者はない。秤に依って、彼らは利を取る。
――そんな意味では。
先生は最もそれに当て嵌まる人物で。別格な程正直な人だった。
・ 二年前、春の日の事
寺院の新人による、師を含めた集会の場。寺院の門をくぐった先の、広場にて。
本来なら、ここで私達のような新人が、教えを乞う師を探すという、そんな場所。
だからここには、今期の全ての法術師候補生と、寺院に属する全ての師が集まっていた。
勿論、私も例外じゃない。十数人の候補生の中に、私も居る。だけど、私の目標とするところは只の一つだった。私の目当てとする師、その姿を探して私はその場を歩き回っていた。
ここでは、師が直接新人の能力を見抜いて勧誘する事もあれば、新人が師を選び、弟子となる事を願い出る事もある。
私の望みは後者だ。そして、目当ての人物は、そうした集まりからは少し離れた所に居たんだった。
その人は腕組みをしながら、どこか遠い、新入生達の居る方向とは別の方を向いていた。恐らくだけど、敢えて人と目線を合わせないようにしていた事と思う。
全身白い西方服を着ていて、眼鏡を掛けていて、そしてぼさぼさ頭で長い銀色の髪の毛を後ろで一本に括っている、すらりと背の高い、葉巻を好んで吸っている女性。
……エンに教えられた通りの特徴だった。その人の所に寄って行って、
「あの、リーレイア・クアウル先生……ですよね」
おずおずと話し掛ける。怖いよそりゃあ。だってまず纏っている雰囲気が違うんだもの。他の師はまだ来る者は無理には拒まず、といった感じだったけど、リーレイア先生はそれとは違って、寄ってくれるな話し掛けてくれるなという気配で全身を覆っていたんだ。
「――あ?」
話し掛けた事で、リーレイア先生はこちらに気付き、低い声と目だけを向ける。鋭い目付きだ。とても怖い。
だけど、物怖じしている場合じゃない。先生の気を引かなければ。
「あの、私はアサカエ ユエンと言います。是非ともリーレイア先生の弟子になりたいと――」
ふい、と目線が私から外れる。「ふう……」と一つ大きな息を先生が。これは気難しい人だ。それがまず解った。
「あのっ、先生の事は姉から色々聞いていて、姉はその、力になってくれるだろうと――」
「姉……成程、アサカエというのなら、お前が奴の継ぎという事か」
どうやら少し気を引く事に成功したらしい。目線がまたこちらを向いた。
「あ、はいっ。エン――アサカエ シエンは私の姉で、私も姉のようになりたいと」
「帰れ」
うわ……聞いた通りの素っ気のなさ。
「あいつのようになりたいだと? 冗談だとしても笑えやしない」
かなりの嫌われぶりだった。その声には妙な力が篭っていたもの。
だけど引く訳にはいかない。この先生の下でなければ、エンを知るどころか、追い付く事も出来ないんだ。
「お願いします! 私はエン――姉に追い付く為にここに来たんです」
必死で頭を下げ、お願いをする。
「知った事ではないな。第一だ、お前はシエンに追い付くと言ったが、それが叶ったとしてどうするつもりだ?」
……どうする、つもり。
私は、エンに追い付いて、認めて貰おうと、
――どうして? 何を?
「追い付くというのは法術師としての力量か、知識か。よしんばそれを得られて何を成そうというんだ? あいつを殺すという訳でもないのだろうに」
……自問自答する。少しの間、悩んでしまう。
私はどうしてエンに追い付こうとしている?
勝つでも負けるでもなく。エンの居る位置にまで行こうとしているのはなぜだ?
「答えられないか。青いな」
リーレイア先生は、簡単にそう言ってのけた。吸っていた葉巻を地面に落とし、靴でぐりぐりと捩じり踏む。
「奴と関わるのはもううんざりなんだ。とっとと帰れ」
視線で殺せそうな勢いが漂っている。一体エンはこの人に何をやらかしたんだろうか。
そんな私の疑問をよそに、先生はまるで全ての興味を失ったかのように、私から歩き離れていく。
「あ、待って下さい先生っ」
帰ってしまう。とにかくなんとか引き止めなければ。
そう、その前に、エンから必殺の落とし文句――と教えられた言葉を。
「あの、妖怪山での件で……」
ぴたり、と先生の足が止まる。
「……何を言った。お前」
そして振り返る。その先生の顔は、平静を装おうとしているけど、若干引きつったような感じがして。
「え、いや、そう言えば考えが変わるだろうと姉が」
「質問に答えろ。何を言った」
何やら、声に酷く恐ろしいものが含まれているような気がするけど……。
「妖怪山の件で、と」
繰り返して言う。なんだか怖い。だけども引き留める事には成功しているみたいだ。
「あいつめ……小賢しい真似を」
渋い顔をするリーレイア先生。
一体何をやらかしたんだろう、エンとこの人は。因みに私は言葉を教えられているだけで、実際に妖怪山で何をやっていたかまでは知らされていない。……知らない方が幸せなのかも。この様子だと。
「他にもあるそうですけど。その麓の川で――」
「もういい黙れ」
押し殺した声。だけどその中には、実にはっきりとした強制力が含まれていた。……もしかすると、エンはかなり危ない橋を渡らせようとしているんじゃないだろうな……。
先生は立ち止まったまま、少しの間手を口元にやり、目を閉じて考え込んで、
「解った、お前を迎え入れよう」
そう言ってくれた。
「……いいんですか」
自分で仕掛けておいてなんだけど、無茶苦茶に不安を擁いてしまった。
「期待はするな。師である以上は最低限の責務は果たすが……気は進まないんだ」
いやまあその。嬉しい事は嬉しいけど……何か複雑だ。
「いずれ代償は支払って貰うが……」
……あとの言葉も物凄く怖いんだけど。私やエンは生きて次の年を迎えられるんだろうか。