-1-29 気が付けば何やら
「お前には幾つか教えておかねばならない事がある。
一つ。山の中の草は出来るだけ食べるな。
二つ。薬と毒に大きな違いはない。
三つ。一つしかない標を信じるな」
「……なんですか、突然それは」
「大切な事だよ。もしそれを忘れれば、人は容易く死ぬ事が出来る」
「死……って、そんなに深刻な事なんですか」
「そうだな。それを忘れず動けば、一刻程度は長生き出来るかも知れん」
「一刻だけ……」
「それが不満ならばもう少し考えてみる事だ。そうすれば、一刻の間に一年の生を得る事も出来るだろう。――逆もまた然りだがな」
・ あと九日
――目が覚めて。朝の光が窓から差し込む中。
「……だるい……」
第一声がそんな言葉。
自分の部屋に居る。布団から身を起こしても、体がとても重く感じる。そもそも、私がこんな普通に目覚める事さえ珍しいというのに。
しかしこれはなんだろう。風邪とか引いている訳じゃない……筈だけど、ここまで気力が下がっている意識があるなんて。
原因は間違いなく昨日にある、筈だけど。昨日に何があったか――思い出そうとしても思い出せず。
「うーん……」
だけど、深く意識をしてみると少しずつ昨日の惨状が、断片的に頭に浮かんで来た。
「……そうか」
取り敢えず、原因は酒だ。お姉に呑め呑めと言われて、その度無理やり呑まされた。そのさまを見て、エンや父さんはけらけら笑っていた。うん、そこまでは思い出せた。
……そこから部屋に戻った記憶がない。何がどうなってこうなったのか、重要な部分の記憶が綺麗に吹っ飛んでいた。
「なんなんだろうね……」
取り敢えず、目覚めたからには起き出すしかないだろう。立ち上がって――ちょっとふらっとしたけど、そのまま居間の方まで歩いていく。だけど、なんだか妙な感じは続いている訳で。これはふわふわした感じとでも言うか。
そうして居間の前に着いて。ふすまを開けると巫女装束の母さんがいつも通りにお茶を飲んでくつろいでいた訳だけど。
「あら……あら?」
母さんは、私の姿をちらりと見て、だけど思い切りもう一回、しっかりと見据えた。いわゆる二度見というやつだ。
「おはよう、母さん」
朝の挨拶をすると、母さんは無表情だけど、まだ止まったままでいて。
「ユエンがちゃんと起きています……雨の前触れとかでしょうか」
なんだか失礼な事を言われている気がする。
「普通に起きただけなんだけど」
「そう……そうですね。そんな日があってもおかしくはありませんよね」
なんだかとても失礼な事を言われている気がする。
「それより、朝餉は」
「……」
母さんが、少し考える仕草をして。
「そうですね。すぐに朝餉を用意します」
……なんで微妙に間を置いて言ったのかね。
そうして、母さんは台所へ向かう。朝餉自体はもう出来ている筈なんだろうけど……。
「ふああ……おはよ……」
母さんが居間を出てすぐ、今度はエンも顔を出して来た。
「おはよう、エン」
「うおっ」
……なにもエンまで、私の顔を見て驚かなくとも。
「どしたのエン。風邪でも引いた?」
エンまでまた変な事を……そんなに今の私は奇怪に見えるのか?
「普通に起きているだけなのに」
「大丈夫? 頭痛いとかない?」
頭の心配までされるのは真に心外ではあるけど。
「うーん、しいて言うならちょっとだるい」
それくらいの事。普通に動く分には問題はない様子だと思う。
「むー、昨日あれだけ呑ませてこの状態か……」
エンが考え込む仕草をする。私の方を見たまま。
「エンも酒呑みの素質は充分っぽいね」
昨晩散々呑まされて、それで今好調だとか?
「正月の酒じゃあるまいし」
そう。この家では正月にはそこそこ酒を呑む事が慣例になっている。だから昨日初めて酒を呑んだ訳じゃないんだけど。
「エンももっと呑んでみたら?」
そうしたらもっと調子が出るってか。嫌だなあ毎朝こんな状態っていうのも。私はいつも通りの調子の方が合っているんだ。
「そんなまだがぶがぶ呑める歳じゃないんだから」
適当に、拒否をする感じに言う。
「うーん。でもあれだけ呑んでて酒が残ってるそぶりもないってのは勿体ないなあ」
「飲むならお茶で充分なんだけど」
「昨日の記憶もちゃんとあるの?」
「……まあ、大体は」
記憶については、うっすらと、ある部分とない部分がある。少なくとも昨日の全てを憶えている訳じゃないというのは解る。
物覚えが悪いという意識はないんだけど。これが酒の力か。
「ああ、シエンも起きて来ましたか」
朝餉を持って来てくれた母さんが、エンの姿を見て言った。
「おはよう母さん。ご飯は?」
エンのはきはきした物言いに、母さんはまた少し考え込むようにして、
「……今日は大地震でも起きるんでしょうか」
二人共に、なんだか失礼な事を言われた気がした。